幕間 伯爵の苛立ち ボルツ伯爵視点
わたし、ボルツ伯爵は、不機嫌だった。
ここ数か月、ずっとだ。原因はわかっている。あの——アステリア商会とかいう、成り上がりの商会のせいだ。
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わたしは、奴隷を商う。
いや、正確には、奴隷を商う者たちを束ね、そこから上前をはねる。王都に流れる奴隷の多くが、わたしの息のかかった商人を通る。その流れの一部を握っているだけで——金は、面白いように転がり込んでくる。
それの、何が悪い。
奴隷は、商品だ。古来、そういうものと決まっている。教会もそう説いている。「身分は、女神の定めた秩序」だと。わたしはその秩序に従って、正当な商いをしているに過ぎない。
——なのに。
あの忌々しい商会は。行き場のない者を雇うだの、元奴隷に職を与えるだの——きれいごとを並べ立てて、市民の安っぽい同情を集めている。そして、わたしの大事な「商品」を、横から安く買い漁っていく。
目障り、などという言葉では、生ぬるい。
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最初は、簡単に潰せると思っていた。
取引先を締め上げ、兵糧攻めにすれば。子どもが道楽で始めた商会など、ひとたまりもあるまい、と。
ところが——どうだ。
あの商会は、しぶとく生き延びた。それどころか、世間の同情を味方につけ、評判を上げてさえいる。挙げ句、あの妙な石けんとやらで、ますます勢いづいている。
——子ども一人に。このわたしが、手こずらされている。
屈辱で、はらわたが煮える。
査察を仕掛けても、しっぽを出さない。探りを入れさせても——出てきたのは、「放蕩息子の道楽」などという、間の抜けた答えばかり。
……いや。わたしは、その「答え」を、信じてはいない。
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あの、アーデルハイトの三男。
わたしの放った間者は、こう報告してきた。「あの子どもは、何か特別なものを隠している」と。そして——「妙に見どころのある奴隷ばかり引き当てる。まるで、人の値打ちが見えているかのように」と。
(——人の値打ちが、見える、だと)
馬鹿げている、と笑い飛ばすこともできた。
だが——わたしは長く、この汚れた商いの世界で生きてきた。その勘が告げている。あの子どもには、何かある。ただの運やまぐれでは片づけられない、何かが。
「放蕩息子の道楽」——あんな安っぽい答えにすり替えて、本当の何かを隠している。そんな気がしてならない。
(——ならば)
わたしは決めた。
正面から商会を叩くのは、もうやめだ。あの子どもは、商売の上では妙に賢い。守りも固い。
なら——別のところを突く。
*
人間というのは、面白いものだ。
どんなに賢く、守りを固めた者でも、必ず一つ、弱いところがある。それは——「守りたいもの」だ。
あの子どもは、行き場のない者を雇い、目をかけている。情の深い性質らしい。——ならば。
その目をかけている者の一人を、攫ってしまえば。
あの子どもは、どう出るか。きっと必死になって動くだろう。守ろうとして、取り戻そうとして。——そして、焦った人間は、必ずぼろを出す。
隠していた「本当の何か」を。——その時こそ、引きずり出してやる。
「——おい」
わたしは、控えていた手の者を呼んだ。
「アステリア商会の周辺を洗え。あの子どもが、特に目をかけている者を探し出すのだ。——そいつを、いただく」
「……は。よろしいので?」
手の者が、わずかにためらった。
「相手は、辺境伯家のご子息。下手に手を出せば——」
「構わん」
わたしは冷たく言い放った。
「証拠が残らぬようにやれば、よい。——それに」
わたしはふと、声を潜めた。
「……この件は、わたし一人の考えではない。——もっと上のお方も、あの商会の『目障りな輝き』を、気にかけ始めておられる」
手の者の顔が、こわばった。「上のお方」——それが誰を指すのか。この王都の闇の世界で生きる者なら、口にするのも恐ろしい、その存在を。
「だから——しくじるな。これは、わたしの面子だけの問題ではないのだ」
*
手の者が去った後。わたしは一人、ワインを傾けた。
あの生意気な子ども。「人の値打ちが見える」などという、得体の知れない力を持つ(かもしれない)小僧。
——せいぜい、足掻くがいい。
お前が大事にしている、その「灯」を。わたしが一つずつ、吹き消してやる。
わたしは、薄く笑った。
——だが。この時のわたしは、まだ知らなかった。
その「灯」が、わたしの想像をはるかに超えて——強く燃えるものであることを。




