第34話 灯を、ともす側
探りを攪乱でしのいだ後も、ワタシの気の休まる日はなかった。
いつ、また探られるか。いつ、あの査察官の鋭い目が、こちらを向くか。学院では相変わらず「平凡な三男」を演じ続け、商会では解放した仲間の安全に神経を配り、そして活動は止めない。
——気づけば、ワタシはずっと、気を張り続けていた。
自分では平気なつもりだった。
でも。
*
その夜。ワタシがタウンハウスの自室で、遅くまで商会の帳簿に目を通していると、ことり、と扉が開いた。
「ルキさま。——夜分に、すみません」
フィーだった。手に、湯気の立つカップを持っている。
「お茶をお持ちしました。あの……まだ起きていらっしゃるかと思って」
「ああ、ありがとう。——気が利くね」
ワタシが受け取ると、フィーはけれど、すぐには立ち去らなかった。少しためらってから、口を開いた。
「……ルキさま。最近、お疲れではないですか」
「え?」
「ずっと……気を張っていらっしゃる気がして。——わたしの気のせいなら、いいのですが」
(——っ)
ワタシは少し驚いた。
誰にも気づかれていないつもりだった。ニコにもセバスにも、心配をかけまいと。「平気だ」という顔を、ずっとしていたのに。
——フィーは、見抜いていた。
「……バレてたか」
ワタシは苦笑した。
「うん。正直、ちょっと疲れてるかもしれない。——いろいろ、あったからね」
ワタシがそう認めると、フィーは少しほっとしたように、それからまっすぐワタシを見て言った。
「ルキさま。——たまには、休んでください」
*
「ルキさまは、いつも誰かのために頑張っていらっしゃいます」
フィーの言葉は静かで、けれど芯があった。
「わたしのことも。ニコさんのことも。メイアさんのことも。商会のみんなのことも。——たくさんの人を背負って、走り続けていらっしゃる」
「……まあ、それは、ワタシがやりたくてやってることだから」
「はい。——でも」
フィーは首を横に振った。
「でも、ルキさまだって。——支えられて、いい人なんです」
(——あ)
ワタシの胸の奥が、とん、と鳴った。
「ルキさまは、わたしに教えてくれました。『役に立つとか、立たないとか、関係ない。君が、君だから大事なんだ』って。——それは、ルキさまご自身にも、言えることだと思います」
フィーの薄紫の瞳が、まっすぐワタシを見ていた。
「ルキさまは、たくさんのことをしてくださるから、大事なんじゃありません。——ルキさまが、ルキさまだから。だから、わたしは——あなたに休んでほしい。少しでも、楽になってほしい。そう思うんです」
ワタシは——言葉が出なかった。
かつて、何も感じられず、何も望めなかった、あの子が。
今、ワタシに、ワタシ自身が教えた言葉を、そっくり返してくれている。
——救った者が。今、ワタシを救おうとしている。
*
ワタシはふと、肩の力が抜けるのを感じた。
そうか。ワタシは——ずっと一人で、背負おうとしていたのかもしれない。「ワタシがやらなきゃ」「ワタシが守らなきゃ」と。誰にも弱音を吐かずに。
でも。
ワタシの周りには、ちゃんと支えてくれる人がいる。セバスが、ニコが、メイアが、クラリスティアが。——そして、フィーが。
「……ありがとう、フィー」
ワタシは温かいお茶を、一口飲んだ。優しい味がした。じんわりと、体の芯までほどけていくような。
「君にそう言ってもらえると。——なんだか、本当に楽になるよ」
フィーは、ふわりと微笑んだ。
あの無表情だった少女の、今は、こんなにもやわらかい笑顔。
「……よかった。あの、わたし。ルキさまの、お役に——」
そこまで言いかけて、フィーははっと口をつぐんだ。それから、ちょっと慌てて言い直した。
「……ち、違います。役に立つ、とかじゃなくて。——ただ、わたしがそうしたかった、だけです」
(——ふふ)
ワタシは思わず、笑ってしまった。
ちゃんと覚えていてくれたんだ。「役に立つ、立たない、じゃない」って。そして、それを自分の言葉で言い直そうとする、その不器用な優しさが。
——たまらなく、愛おしいと。そう思った。
*
その夜。ワタシは久しぶりに、ぐっすりと眠れた。
張り詰めていた何かが、フィーのお茶と言葉で、ほんの少しゆるんだおかげだろう。
(——一人で抱え込むの、やめよう)
ワタシは思った。
ワタシは確かに、力を持っている。前世の知識もある。でも——だからといって、何もかも一人で背負う必要はない。
支え合えば、いい。
ワタシがみんなを支えるように、みんなもワタシを支えてくれる。——それでこそ、灯は消えずに燃え続けるのだから。
ワタシは目を閉じながら、もう一度、心の中でつぶやいた。
(——ありがとう、フィー)
その夜の夢は、なんだか、とても温かかった。




