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第34話 灯を、ともす側

 探りを攪乱でしのいだ後も、ワタシの気の休まる日はなかった。


 いつ、また探られるか。いつ、あの査察官の鋭い目が、こちらを向くか。学院では相変わらず「平凡な三男」を演じ続け、商会では解放した仲間の安全に神経を配り、そして活動は止めない。


 ——気づけば、ワタシはずっと、気を張り続けていた。


 自分では平気なつもりだった。


 でも。



 その夜。ワタシがタウンハウスの自室で、遅くまで商会の帳簿に目を通していると、ことり、と扉が開いた。


「ルキさま。——夜分に、すみません」


 フィーだった。手に、湯気の立つカップを持っている。


「お茶をお持ちしました。あの……まだ起きていらっしゃるかと思って」


「ああ、ありがとう。——気が利くね」


 ワタシが受け取ると、フィーはけれど、すぐには立ち去らなかった。少しためらってから、口を開いた。


「……ルキさま。最近、お疲れではないですか」


「え?」


「ずっと……気を張っていらっしゃる気がして。——わたしの気のせいなら、いいのですが」


(——っ)


 ワタシは少し驚いた。


 誰にも気づかれていないつもりだった。ニコにもセバスにも、心配をかけまいと。「平気だ」という顔を、ずっとしていたのに。


 ——フィーは、見抜いていた。


「……バレてたか」


 ワタシは苦笑した。


「うん。正直、ちょっと疲れてるかもしれない。——いろいろ、あったからね」


 ワタシがそう認めると、フィーは少しほっとしたように、それからまっすぐワタシを見て言った。


「ルキさま。——たまには、休んでください」



「ルキさまは、いつも誰かのために頑張っていらっしゃいます」


 フィーの言葉は静かで、けれど芯があった。


「わたしのことも。ニコさんのことも。メイアさんのことも。商会のみんなのことも。——たくさんの人を背負って、走り続けていらっしゃる」


「……まあ、それは、ワタシがやりたくてやってることだから」


「はい。——でも」


 フィーは首を横に振った。


「でも、ルキさまだって。——支えられて、いい人なんです」


(——あ)


 ワタシの胸の奥が、とん、と鳴った。


「ルキさまは、わたしに教えてくれました。『役に立つとか、立たないとか、関係ない。君が、君だから大事なんだ』って。——それは、ルキさまご自身にも、言えることだと思います」


 フィーの薄紫の瞳が、まっすぐワタシを見ていた。


「ルキさまは、たくさんのことをしてくださるから、大事なんじゃありません。——ルキさまが、ルキさまだから。だから、わたしは——あなたに休んでほしい。少しでも、楽になってほしい。そう思うんです」


 ワタシは——言葉が出なかった。


 かつて、何も感じられず、何も望めなかった、あの子が。


 今、ワタシに、ワタシ自身が教えた言葉を、そっくり返してくれている。


 ——救った者が。今、ワタシを救おうとしている。



 ワタシはふと、肩の力が抜けるのを感じた。


 そうか。ワタシは——ずっと一人で、背負おうとしていたのかもしれない。「ワタシがやらなきゃ」「ワタシが守らなきゃ」と。誰にも弱音を吐かずに。


 でも。


 ワタシの周りには、ちゃんと支えてくれる人がいる。セバスが、ニコが、メイアが、クラリスティアが。——そして、フィーが。


「……ありがとう、フィー」


 ワタシは温かいお茶を、一口飲んだ。優しい味がした。じんわりと、体の芯までほどけていくような。


「君にそう言ってもらえると。——なんだか、本当に楽になるよ」


 フィーは、ふわりと微笑んだ。


 あの無表情だった少女の、今は、こんなにもやわらかい笑顔。


「……よかった。あの、わたし。ルキさまの、お役に——」


 そこまで言いかけて、フィーははっと口をつぐんだ。それから、ちょっと慌てて言い直した。


「……ち、違います。役に立つ、とかじゃなくて。——ただ、わたしがそうしたかった、だけです」


(——ふふ)


 ワタシは思わず、笑ってしまった。


 ちゃんと覚えていてくれたんだ。「役に立つ、立たない、じゃない」って。そして、それを自分の言葉で言い直そうとする、その不器用な優しさが。


 ——たまらなく、愛おしいと。そう思った。



 その夜。ワタシは久しぶりに、ぐっすりと眠れた。


 張り詰めていた何かが、フィーのお茶と言葉で、ほんの少しゆるんだおかげだろう。


(——一人で抱え込むの、やめよう)


 ワタシは思った。


 ワタシは確かに、力を持っている。前世の知識もある。でも——だからといって、何もかも一人で背負う必要はない。


 支え合えば、いい。


 ワタシがみんなを支えるように、みんなもワタシを支えてくれる。——それでこそ、灯は消えずに燃え続けるのだから。


 ワタシは目を閉じながら、もう一度、心の中でつぶやいた。


(——ありがとう、フィー)


 その夜の夢は、なんだか、とても温かかった。

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