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第32話 ほどほどに、負ける技術

 学院には、年に一度、対抗戦という行事があった。


 生徒たちが魔法の腕を競い合う、実技の勝ち抜き試合。成績は進路にも響くため、皆、本気で挑む。学院きっての晴れ舞台だ。


 ——そしてワタシにとっては、今年いちばんの難関だった。


(——どう負けるかが、問題だ)


 ワタシは頭を抱えていた。


 全力を出せば、間違いなく優勝できる。けれど、それは絶対にできない。「平凡な三男」が学院一の魔法を見せたら——どうなるかは、火を見るより明らかだ。


 かといって、一回戦であっさり負けるのも不自然すぎる。アーデルハイト家の名にも関わる。「そこそこ戦えるが、上位には届かない」。——その絶妙なところを狙わなければ、ならない。


 勝ちすぎず、負けすぎず。——これが、思いのほか難しい。



「うおおお、ルキ! 次、お前の番だぞ!」


 同室のロイが、興奮気味にワタシの背を叩いた。ロイも出場している。さっき二回戦で、惜しくも敗れたばかりだ。


「お前、一回戦、危なげなく勝ったよな。次もいけるんじゃないか?」


「いやあ、どうかな。相手、強そうだし」


 ワタシはへらへらと笑って見せた。


 内心では、対戦相手をすでに鑑定で見ていた。相手の魔力量、得意な術、癖。——全部、見えている。勝とうと思えば、指一本で勝てる。


(——さて。どうするか)


 ワタシの対戦が始まった。


 相手は中堅どころの生徒。火の魔法を得意とする。ワタシは相手の火球を、わざとぎりぎりで避けた。本当は当たる前にかき消すこともできる。でも、それはやらない。


「危なっ! ……っと、こっちも行くよ!」


 ワタシはわざと、制御を甘くした風の魔法を放った。狙いをほんの少し外して、「惜しい」ところに着弾させる。


 観客が沸く。「お、いい勝負だ」「アーデルハイト、やるな」。


(——よし。ちょうどいい感じ)


 ワタシは接戦を演じた。勝ったり負けたりしているように見せかけて、本当はすべて計算ずく。相手に花を持たせつつ、でも自分もださくは見えない。——絶妙な塩梅で。


 そして頃合いを見て、ワタシはわざと隙を作り、相手の一撃を「際どく」もらって——場外に押し出された。


「——勝者、それまで!」


(——ふう。三回戦、敗退。我ながら、完璧な負けっぷりだ)


 ワタシは「あー、惜しかったあ」と悔しがるフリをしながら、内心、ほっと胸をなでおろした。



 ところが、対抗戦は、思わぬ展開を見せた。


 勝ち進んでいったのは——クラリスティアだった。


 氷のバラは、その洗練された魔法で、対戦相手を次々と退けていった。無駄がなく、美しく、圧倒的。観客は、その実力に息を呑んだ。


 そして、決勝。


 彼女の相手は、上級生の屈強な男子生徒だった。力任せの豪快な魔法を、ぶつけてくる相手。


 苦戦するか、と思われた。けれどクラリスティアは冷静だった。相手の大技を巧みにいなし、最小限の魔力で、的確に反撃を決めていく。


(——強いな、本当に)


 ワタシは観客席から、感心して見ていた。


 彼女の魔法は、ワタシのように規格外なわけではない。けれど——その一つひとつが、磨き抜かれている。たゆまぬ努力の跡が見える。氷の仮面の下で、彼女がどれだけ研鑽を積んできたか。それが、その太刀筋に滲んでいた。


 そして——クラリスティアは、勝った。見事な優勝だった。


 表彰される彼女は、相変わらず冷ややかな無表情。けれどワタシには、わかった。ほんの少しだけ誇らしげに、背筋を伸ばしている、その心が。


(——おめでとう)


 ワタシは心の中で、そっと拍手を送った。



 対抗戦の後。


 ワタシが人気のない廊下を歩いていると、ふいに後ろから声をかけられた。


「——ルキウス」


 振り返ると、クラリスティアが立っていた。周りに人はいない。二人きりの時、彼女がワタシを名で呼ぶようになったのは、いつからだったか。


「優勝、おめでとうございます。——お見事でした」


 ワタシが頭を下げると、彼女はふっと目を細めた。そして——意外なことを言った。


「あなた、わざと負けたでしょう」


(——!?)


 ワタシの心臓が跳ねた。


「……な、何のことですか」


「ごまかさなくて、いいわ」


 クラリスティアは静かに、けれど確信を持って言った。


「三回戦の、あなたの動き。——一瞬だけ、相手の火球を避ける軌道が、無駄がなさすぎた。あれは『偶然、避けられた』動きじゃない。『完全に見えている』者の動きよ。——わたくしには、わかる」


(——っ、この人)


 さすが、と言うべきか。学院一の実力者。彼女の目は、ごまかせなかった。


 ワタシが言葉に詰まっていると、クラリスティアはふっと笑って——


「——でも、安心なさい。誰にも言わないわ」


 そう言った。


「あなたには、あなたの事情があるのでしょう。力を隠す理由が。——わたくしが、仮面を被るように」


(——ああ)


 ワタシは思った。


 この人はまた、ワタシの一歩奥を見抜いて。そして、それでも踏み込まずにいてくれる。


「……ありがとうございます」


 ワタシがそう言うと、クラリスティアは踵を返しながら、ぽつりと付け加えた。


「——いつか。あなたがその『事情』を話してくれる日を。——楽しみにしているわ」


 その背中を見送りながら、ワタシは——いつか本当に、この人になら、すべてを話せる日が来るのかもしれない。そんなことを、ふと思った。


 ——その時だった。


 ふと、視線を感じて。ワタシは、はっと振り返った。


 少し離れた、柱の陰。——そこに、誰かがいた気がした。ワタシが目を向けた時には、もう、すっと物陰へと消えていく後ろ姿しか、見えなかったけれど。


(——今の、誰だ)


 背筋に、ひやりとしたものが走った。


 距離はあった。ワタシとクラリスティアの、あの声の届かないやりとりまでは、聞かれていないはずだ。——だが。


 ワタシが、氷のバラと呼ばれる侯爵令嬢と、二人きりで、親しげに話していた。——その様子だけは。あの人影に、見られていたかもしれない。


(——気をつけないと)


 せっかく「平凡な三男」を演じているのに。妙な人物と繋がっていると知れれば、要らぬ詮索を招きかねない。


 ワタシは、去っていった人影のことを、頭の隅に、留めておくことにした。


 ——それが、どんな意味を持つのか。この時のワタシは、まだ、知らないままに。


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