第32話 ほどほどに、負ける技術
学院には、年に一度、対抗戦という行事があった。
生徒たちが魔法の腕を競い合う、実技の勝ち抜き試合。成績は進路にも響くため、皆、本気で挑む。学院きっての晴れ舞台だ。
——そしてワタシにとっては、今年いちばんの難関だった。
(——どう負けるかが、問題だ)
ワタシは頭を抱えていた。
全力を出せば、間違いなく優勝できる。けれど、それは絶対にできない。「平凡な三男」が学院一の魔法を見せたら——どうなるかは、火を見るより明らかだ。
かといって、一回戦であっさり負けるのも不自然すぎる。アーデルハイト家の名にも関わる。「そこそこ戦えるが、上位には届かない」。——その絶妙なところを狙わなければ、ならない。
勝ちすぎず、負けすぎず。——これが、思いのほか難しい。
*
「うおおお、ルキ! 次、お前の番だぞ!」
同室のロイが、興奮気味にワタシの背を叩いた。ロイも出場している。さっき二回戦で、惜しくも敗れたばかりだ。
「お前、一回戦、危なげなく勝ったよな。次もいけるんじゃないか?」
「いやあ、どうかな。相手、強そうだし」
ワタシはへらへらと笑って見せた。
内心では、対戦相手をすでに鑑定で見ていた。相手の魔力量、得意な術、癖。——全部、見えている。勝とうと思えば、指一本で勝てる。
(——さて。どうするか)
ワタシの対戦が始まった。
相手は中堅どころの生徒。火の魔法を得意とする。ワタシは相手の火球を、わざとぎりぎりで避けた。本当は当たる前にかき消すこともできる。でも、それはやらない。
「危なっ! ……っと、こっちも行くよ!」
ワタシはわざと、制御を甘くした風の魔法を放った。狙いをほんの少し外して、「惜しい」ところに着弾させる。
観客が沸く。「お、いい勝負だ」「アーデルハイト、やるな」。
(——よし。ちょうどいい感じ)
ワタシは接戦を演じた。勝ったり負けたりしているように見せかけて、本当はすべて計算ずく。相手に花を持たせつつ、でも自分もださくは見えない。——絶妙な塩梅で。
そして頃合いを見て、ワタシはわざと隙を作り、相手の一撃を「際どく」もらって——場外に押し出された。
「——勝者、それまで!」
(——ふう。三回戦、敗退。我ながら、完璧な負けっぷりだ)
ワタシは「あー、惜しかったあ」と悔しがるフリをしながら、内心、ほっと胸をなでおろした。
*
ところが、対抗戦は、思わぬ展開を見せた。
勝ち進んでいったのは——クラリスティアだった。
氷のバラは、その洗練された魔法で、対戦相手を次々と退けていった。無駄がなく、美しく、圧倒的。観客は、その実力に息を呑んだ。
そして、決勝。
彼女の相手は、上級生の屈強な男子生徒だった。力任せの豪快な魔法を、ぶつけてくる相手。
苦戦するか、と思われた。けれどクラリスティアは冷静だった。相手の大技を巧みにいなし、最小限の魔力で、的確に反撃を決めていく。
(——強いな、本当に)
ワタシは観客席から、感心して見ていた。
彼女の魔法は、ワタシのように規格外なわけではない。けれど——その一つひとつが、磨き抜かれている。たゆまぬ努力の跡が見える。氷の仮面の下で、彼女がどれだけ研鑽を積んできたか。それが、その太刀筋に滲んでいた。
そして——クラリスティアは、勝った。見事な優勝だった。
表彰される彼女は、相変わらず冷ややかな無表情。けれどワタシには、わかった。ほんの少しだけ誇らしげに、背筋を伸ばしている、その心が。
(——おめでとう)
ワタシは心の中で、そっと拍手を送った。
*
対抗戦の後。
ワタシが人気のない廊下を歩いていると、ふいに後ろから声をかけられた。
「——ルキウス」
振り返ると、クラリスティアが立っていた。周りに人はいない。二人きりの時、彼女がワタシを名で呼ぶようになったのは、いつからだったか。
「優勝、おめでとうございます。——お見事でした」
ワタシが頭を下げると、彼女はふっと目を細めた。そして——意外なことを言った。
「あなた、わざと負けたでしょう」
(——!?)
ワタシの心臓が跳ねた。
「……な、何のことですか」
「ごまかさなくて、いいわ」
クラリスティアは静かに、けれど確信を持って言った。
「三回戦の、あなたの動き。——一瞬だけ、相手の火球を避ける軌道が、無駄がなさすぎた。あれは『偶然、避けられた』動きじゃない。『完全に見えている』者の動きよ。——わたくしには、わかる」
(——っ、この人)
さすが、と言うべきか。学院一の実力者。彼女の目は、ごまかせなかった。
ワタシが言葉に詰まっていると、クラリスティアはふっと笑って——
「——でも、安心なさい。誰にも言わないわ」
そう言った。
「あなたには、あなたの事情があるのでしょう。力を隠す理由が。——わたくしが、仮面を被るように」
(——ああ)
ワタシは思った。
この人はまた、ワタシの一歩奥を見抜いて。そして、それでも踏み込まずにいてくれる。
「……ありがとうございます」
ワタシがそう言うと、クラリスティアは踵を返しながら、ぽつりと付け加えた。
「——いつか。あなたがその『事情』を話してくれる日を。——楽しみにしているわ」
その背中を見送りながら、ワタシは——いつか本当に、この人になら、すべてを話せる日が来るのかもしれない。そんなことを、ふと思った。
——その時だった。
ふと、視線を感じて。ワタシは、はっと振り返った。
少し離れた、柱の陰。——そこに、誰かがいた気がした。ワタシが目を向けた時には、もう、すっと物陰へと消えていく後ろ姿しか、見えなかったけれど。
(——今の、誰だ)
背筋に、ひやりとしたものが走った。
距離はあった。ワタシとクラリスティアの、あの声の届かないやりとりまでは、聞かれていないはずだ。——だが。
ワタシが、氷のバラと呼ばれる侯爵令嬢と、二人きりで、親しげに話していた。——その様子だけは。あの人影に、見られていたかもしれない。
(——気をつけないと)
せっかく「平凡な三男」を演じているのに。妙な人物と繋がっていると知れれば、要らぬ詮索を招きかねない。
ワタシは、去っていった人影のことを、頭の隅に、留めておくことにした。
——それが、どんな意味を持つのか。この時のワタシは、まだ、知らないままに。




