第28話 兵糧攻め
妨害は、じわじわと始まった。
最初に気づいたのは、ニコだった。
「——ルキの旦那。おかしいぜ。仕入れ先が、次々手を引いてきやがる」
商会の帳場で、ニコが苦い顔をしていた。
「これまでうちに品を卸してくれてた商人が、急に『悪いが、もう取引はできねえ』と言い出した。それも、一人や二人じゃねえ。——示し合わせたみたいに、一斉にだ」
「……圧力、か」
「ああ。ボルツ伯爵の差し金で間違いねえ。『アステリア商会と関わる商人は、こっちが許さねえ』——そう裏で、触れを回してやがるんだ」
(——なるほど。兵糧攻め、か)
ワタシは奥歯を噛んだ。
正面から潰しに来るのではない。商会の息の根を、じわじわと絞めてくる。取引先を奪い、仕入れを断ち、商売を立ち行かなくさせて自滅させる。——いかにも金と人脈を握る貴族らしい、やり方だった。
しかも巧妙だった。これなら、ボルツ伯爵が直接手を下したという証拠は残らない。「商人たちが勝手に取引をやめただけ」。そういう体裁になる。
*
商会の空気は、重かった。
働いている解放された仲間たちも、不安を隠せずにいた。せっかく見つけた居場所が、また奪われるのではないか、と。
「……ルキさま」
フィーが、そっとワタシに近づいてきた。
「みんな、心配しています。——わたしたちは、どうなるのでしょうか」
その声に、ワタシははっとした。
そうだ。ここにはワタシの理想だけがあるんじゃない。ここで新しい人生を始めた、たくさんの仲間の暮らしがかかっている。ワタシの選択一つで、この人たちをまた路頭に迷わせるかもしれない。
(——守らないと)
ワタシは静かに、こぶしを握った。
力でボルツ伯爵をねじ伏せることは、たぶんできる。でも、それはできない。正体が露見する。それに暴力で解決すれば、ワタシは、ワタシが憎んだものと同じになってしまう。
なら——どうする。
(——知恵だ)
ワタシは顔を上げた。
「ニコ。——力を貸してくれ。これは商売の戦いだ。君の出番だ」
ニコの目が、きらりと光った。
「……へへ。やっと、おれの土俵だな、旦那」
*
ニコの策は、鮮やかだった。
「いいか。敵が仕入れ先を断ってくるなら——こっちは仕入れ先を変えりゃいい。ボルツ伯爵の息のかかってない、別の流通を開拓するんだ」
ニコは、辺境との繋がりを活かした。アーデルハイト領や、その周辺から直接品を仕入れるルートを作ったのだ。王都の商人を通さなければ、ボルツ伯爵の圧力も届かない。
さらにニコは、もう一手打った。
「それと——『アステリア商会は、不当な圧力に屈しない』。この話を逆に、市民に広めちまう」
「……広める?」
「ああ。うちはもともと、『行き場のない者を助ける、心ある商会』として評判だ。その商会が、大物貴族にいじめられてる。——市井の連中は、こういう話が大好物さ。判官贔屓ってやつだ」
(——なるほど)
ワタシは舌を巻いた。
ボルツ伯爵の妨害を隠すのではなく、逆に「弱い者いじめ」として、世間の同情を集める。そうすればボルツ伯爵は、おおっぴらには動きにくくなる。評判を気にする貴族なら、なおさらだ。
力には力で、ではなく。知恵と、人の心で返す。——これこそ、ワタシたちの戦い方だった。
*
そして、もう一つ。思いがけない援護があった。
クラリスティアだ。
彼女は社交界で、さりげなく、こう囁いて回ったのだという。「最近、アステリア商会という面白い商会があるの。行き場のない者に職を与える、心ある商いをしているのよ」と。
氷のバラが、わざわざ口にする商会。——それだけで、好奇心旺盛な貴族たちの注目が集まった。中には「では、私もその商会から買ってみようかしら」と、新たな客になる者まで現れた。
ボルツ伯爵が商人たちを締め付けて減らした取引先。その穴を——クラリスティアの貴族の人脈が、埋めていく。
(——すごい人だ)
ワタシは改めて思った。
彼女の貴族社会での立ち回りは、ワタシには決して真似のできない力だった。ニコの商才と、クラリスティアの人脈。この二つが、ボルツ伯爵の兵糧攻めを、少しずつ押し返していく。
*
数週間後。商会は、持ちこたえていた。
いや——むしろ、以前より評判を上げてさえいた。「大物貴族の圧力にも屈しない、心ある商会」。その評判は、王都の市民の間に静かに広がっていた。
「……まさか、ここまで盛り返すとはな」
ニコが感心したように言った。
「ボルツ伯爵も、今頃歯ぎしりしてるぜ。子ども一人が始めた商会に、まさかこうも手こずるとはな」
ワタシは苦笑した。
もちろん、これで終わりではない。ボルツ伯爵がこの程度で引き下がるとは思えない。むしろ——正面からの兵糧攻めが効かないとわかれば、次はもっと汚い手を使ってくるかもしれない。
(——油断は、できない)
それでも。ワタシたちは最初の攻防を、しのぎきった。力ではなく、仲間の知恵と繋がりで。
それは、ワタシに確かな手応えを与えてくれた。
(——一人の力じゃない。みんなでなら。——あの巨大な影とも、戦える)
ワタシはそう、信じ始めていた。




