第27話 影の輪郭
あの脅しから、数日。
ワタシたちは動いていた。やられっぱなしでいるわけにはいかない。相手が誰で、何を狙っているのか。それを知らなければ、守りようもない。
「——で、わかったことをまとめるとだ」
商会の奥の一室。ニコが、集めてきた情報を帳面に書きつけながら説明してくれた。
「あの男が出入りしてる先を辿った。表向きは、いくつかの商会やギルドだ。けど、その金の流れをずっと遡ると——一つの名前に行き着く」
ニコが、帳面の一点を指で叩いた。
「ボルツ伯爵。——王都でも指折りの、奴隷商を束ねてる貴族だ」
(——奴隷商を、束ねる貴族)
ワタシは眉をひそめた。
「ボルツ伯爵の懐は、奴隷売買で潤ってる。王都に流れてくる奴隷のかなりの数が、こいつの息のかかった商人を通ってる。——なのに、おれたちが横から、安い奴隷をかっさらってく。それだけでも」
「——ボルツ伯爵の、商売の邪魔をしてるってことか」
「そういうことだ」
ニコが苦々しく頷いた。
なるほど、と思った。ボルツ伯爵にとって、アステリア商会は目障りなのだ。
一つは、商売敵として。ボルツ伯爵の息のかかった商人から、安く奴隷を買い集めていく新興の商会は、それだけで、彼の商売を横からつついている。
そして、もう一つ。——その、不可解な成功だ。
「それに、考えてもみろよ」と、ニコは続けた。「うちが買ってるのは、買い手のつかねえ、安い奴隷ばっかりだ。なのに、その連中が、なぜか妙に役に立つ。商会は、ぐんぐんでかくなる。——傍から見りゃ、不気味だろうな。『あの商会は、いったい何の手品を使ってる』ってな」
(——っ)
ニコの言う通りだった。
ワタシは、鑑定で、見過ごされた才能を持つ者を、選んで買っている。だから、安い奴隷あがりの者たちが、次々と、優れた働きを見せる。——けれど、その「からくり」は、誰にも、話していない。傍から見れば、ただ、不可解な成功に映る。
その不可解さが、ボルツ伯爵の、警戒を、買ってしまったのだ。「あの子どもは、何か、おかしい」と。
*
けれど、話はそれだけではなかった。
その夜。ワタシは学院の中庭で、クラリスティアと落ち合っていた。商会のことで、貴族社会の事情に詳しい彼女に、知恵を借りたかったのだ。
「ボルツ伯爵?」
その名を聞いて、クラリスティアの表情がわずかに険しくなった。
「……関わったのね。よりによって、あの人に」
「知っているんですか」
「ええ。社交界では有名よ。——けれど、あなたが気をつけるべきは、ボルツ伯爵その人ではないわ」
「……どういうことです?」
クラリスティアは声を潜めた。あたりに誰もいないことを確かめてから。
「ボルツ伯爵のような、奴隷商で潤う貴族は、ほかにも何人もいる。彼らは互いに結びついて、一つの大きな派閥をなしているの。——『保守派』。身分制度と奴隷制を、何より重んじる貴族たちの集まり」
彼女の深い緑の瞳が、夜の闇の中で静かに光った。
「そして、その保守派の後ろ盾になっているのが——教会よ。『身分は、女神アステリアの定めた秩序である』。そう説く、保守派の教会。彼らが手を組んで、この国の変化を抑え込んでいる」
(——っ)
ワタシの背筋が、ぞくりとした。
貴族と、教会。富と、信仰。世俗の力と、聖なる権威。——その二つが結びついて、奴隷制という巨大な仕組みを支えている。
ワタシが辺境で、一人ずつこっそり救ってきたもの。そのずっと先に、こんなにも巨大で根の深いものが、横たわっていたのだ。
「……ワタシは」
ワタシは思わず呟いた。
「ワタシは、とんでもないものに手を出してしまったんでしょうか」
「——そうね」
クラリスティアは静かに頷いた。けれど、その目に怯えはなかった。
「でも、それはわたくしも同じ。——この国を変えたいと願った時から、わたくしたちはもう、その巨大なものと向き合う運命なのよ。遅いか早いかの、違いだけ」
*
彼女の言葉は重かった。けれど、不思議と絶望は感じなかった。
なぜなら——隣に、彼女がいたから。
もしワタシが一人だったら。この、あまりに大きな影の輪郭を知って、立ちすくんでいたかもしれない。でも今は、違う。
貴族社会の内側を知る、クラリスティア。情報と商才の、ニコ。法の知恵の、セバス。そして、辺境と王都の、灯の仲間たち。
(——一人じゃ、ない)
巨大な影。保守派貴族と、教会。その全貌はまだ見えない。けれど、おぼろげに輪郭だけは掴めてきた。
それで十分だ。敵が見えれば、備えることができる。
「クラリスティアさん」
ワタシは彼女を見た。
「ワタシは引きません。商会も、活動も続けます。——もちろん、慎重に。でも、止めるつもりはないんです」
クラリスティアはワタシをじっと見て——それから、ふっと口元をゆるめた。
「……ええ。知っているわ。あなたは、そういう人だもの」
その横顔が、夜の中で、少しだけやわらかく見えた。
影は、大きい。
でも、ワタシたちの灯も——もう、一つきりではないのだから。




