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第25話 氷のバラ、商会へ来たる

 クラリスティアが、商会の後ろ盾になってくれてから。彼女は時折、アステリア商会に顔を出すようになった。


 「後ろ盾として、商いの様子を見ておきたい」というのが、その理由だった。けれどワタシは、なんとなく感じていた。——それだけではない気がする、と。



 最初、商会の仲間たちは、ひどく緊張していた。


 無理もない。相手は、オルブライト侯爵家の令嬢。「氷のバラ」と恐れられる、雲の上の人。元奴隷だった仲間たちにとって、貴族とは——自分たちを虫けらのように扱ってきた存在の、象徴だった。


 彼女が初めて商会に来た日。仲間たちは皆、青ざめて隅に固まっていた。


「……あの。何か、粗相がありましたら……」


 おずおずと頭を下げるメイアに、クラリスティアはけれど——静かに首を横に振った。


「やめて。——わたくしは、あなたたちを咎めに来たのではないわ」


 その声は、いつもの冷たい響きとは、少し違っていた。


「むしろ……見せてもらいに来たの。あなたたちが、どんなふうに働いているのか。——どんなふうに生きているのかを」



 最初のぎこちなさは、意外な人物が解きほぐした。


 ニコだ。


「へえ、侯爵令嬢さまが、商売にご興味で?」


 ニコは、相手が大貴族だろうと物怖じしない。さすが、肝が据わっている。


「でしたら、ちょいとご覧に入れやしょう。うちの帳簿の付け方。——これがね、よそとはひと味違うんで」


 ニコが得意げに、商会の仕組みを説明し始めると。クラリスティアの目が——きらり、と光った。


「……これは。仕入れと売り上げを、複数の帳面で照らし合わせているの? 面白いわね。普通の商会は、こんな几帳面なやり方はしないわ」


「お、わかりますかい。さすが、お目が高い」


 商売の話で、二人は思いがけず意気投合した。クラリスティアは、もともと聡明な人だ。商いの合理性や工夫を見抜く目がある。ニコの革新的なやり方に、彼女は純粋に感心しているようだった。


(——へえ)


 ワタシはその様子を、少し驚いて見ていた。


 氷のバラと、抜け目ない商人。——意外な組み合わせだったけれど。二人はなんだか、楽しそうだった。



 メイアの薬房にも、クラリスティアは興味を示した。


「この軟膏は……傷の治りを早めるの?」


「はい。薬草を独自に調合して……あの、よろしければ、お試しに」


 最初はおどおどしていたメイアも、自分の薬の話になると、人が変わったように熱がこもる。クラリスティアは、その説明に熱心に耳を傾けた。


「——素晴らしいわ。あなた、本物の薬師ね」


 その一言に、メイアの顔が、ぱっと輝いた。


 貴族から、薬師としての腕をまっすぐ認められる。——足が悪いからと見捨てられ、薄気味悪がられてきた彼女にとって、それがどれほど嬉しいことだったか。


(——クラリスティアさんは)


 ワタシは思った。


 この人は、相手が元奴隷だろうと、貴族だろうと。——「その人が何ができるか」「どう生きているか」で、まっすぐ向き合う。身分や生まれで、人を測らない。


 だから——仲間たちも。最初はあんなに怯えていたのに、少しずつ、彼女に心を開き始めていた。



 そして——フィー。


 彼女とクラリスティアの間には、ワタシにはわからない、何か通じ合うものがあるようだった。


 ある時、ワタシは二人が商会の片隅で、静かに話しているのを見かけた。


「……あなたも。つらいことが、あったのね」


 クラリスティアが、ぽつりと言った。


 フィーは、こくりと頷いた。


「でも……今は、しあわせです。ルキさまや、みんなといられて。——クラリスティアさまも、よかったら、いつでもいらしてください。ここは……あったかい、場所だから」


 その言葉に、クラリスティアはふと、息を呑んだ。それから——少しだけ寂しそうに、けれど温かく微笑んだ。


「……ありがとう。——そうね。お言葉に甘えようかしら」


 氷のバラの、その微笑みは。ワタシがこれまで見た中で、いちばんやわらかかった。


 たぶん——彼女もまた。仮面を脱げる場所を、心のどこかで探していたのかもしれない。



 こうして、いつしか。クラリスティアは、商会になくてはならない存在になっていった。


 後ろ盾として、だけではない。——仲間の一人として。


 貴族の令嬢が、元奴隷たちと机を並べ、笑い合う。普通ならありえない光景。でも『アステリアの灯』では、それがごく自然なことになっていた。


(——ここは、そういう場所だ)


 ワタシは温かい気持ちで、その光景を見ていた。


 身分も、生まれも、過去も関係なく。ただ、同じ灯を囲んで笑い合える。——そんな場所に、『アステリアの灯』はなりつつあった。


 そしてクラリスティアも、その灯の輪の中に。——いつの間にか、加わっていたのだった。


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