幕間 番頭の算盤 ニコ視点
おれは、ニコ。元・債務奴隷。今はまあ——『アステリア商会』の、若き番頭ってとこかな。
商売人ってのは、損得で物を考える生き物だ。おれもご多分に漏れず、そうだった。いや、人一倍そうだった。なにせ、それで生き延びてきたんだからな。
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親父がでかい借金をこさえて、ぽっくり逝った。残されたのは借金と、まだ十そこそこのおれだけ。借金のかたに、おれは売られた。——債務奴隷ってやつだ。
奴隷ってのは、地獄だ。だが、おれはその地獄の中でも、考えるのをやめなかった。
檻の中で配られる飯が少ねえなら、強い奴に取られねえよう、隠す工夫をする。腹を空かせた奴にこっそり分けてやって、「貸し」を作る。看守の機嫌を取って、ちょっとでも待遇を良くさせる。——そうやっておれは、地獄の中でもちゃっかり生き延びてきた。
思えば、親父も——しがない行商人だった。子どものおれに、口八丁の商売を仕込んだのは、あの親父だ。安物を高く売りつけ、ありもしねえ効能を謳う。——騙りまがいの行商で、親子二人、日銭をつないでいた。
売られた後も、それは変わらねえ。奴隷商の親方は、おれの口の回りが金になると見ると、日銭稼ぎの行商に、おれを使った。稼ぎはぜんぶ、親方の懐。しくじりゃ、飯を抜かれる。——だからおれは、ますます騙りの腕を磨いた。……ああ、白状するよ。「まがい」じゃねえ。ありゃあ、立派な詐欺だ。生きるためだった、とは言うがね。
行商あがりの、詐欺師くずれの、債務奴隷。——それが、おれって男だった。
誰も信じちゃいなかった。
この世は、食うか食われるか。情けなんて腹の足しにもならねえ。タダより高いものはない。——それが、おれの世の理だった。
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だから、あの坊っちゃんがおれを買ったときも。
おれはこう思った。「こいつ、おれを安く買い叩いて、こき使う気だな」と。それならそれでいい。せいぜい役に立つフリをして、隙を見てうまく立ち回ってやる。——そういう算盤をはじいていた。
ところが、だ。
その坊っちゃん——ルキの旦那は、おれの隷紋を解いた。「君を自由にする」と。その上で言いやがった。「対等な仲間になってくれ」と。
——は? って思ったね。
「なんで、おれを自由にする。あんたに、何の得があるんだ」
おれがそう訊くと、旦那はけろっとした顔で言った。
「得なんて、ないよ。強いて言うなら——君みたいなしぶとい奴が、自由になってその商才を思いっきり振るったら、面白いことになるなって。それが見たいだけ」
——面白い、だと?
おれのこれまでの算盤が、音を立てて狂った。
損得じゃねえ。打算でもねえ。ただ、おれが自由に生きるのを見たい。——そんなお人好し、この世にいるわけがねえと思ってた。
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最初は、半信半疑だった。
だからおれは、こう計算し直した。「まあ当面は、この旦那に乗っかってりゃ食いっぱぐれねえ。利用できるだけ利用してやろう」と。打算だ。あくまで打算。きれいごとじゃねえ。
——なのに、いつの間にか、おれは本気になってた。
解放された子が、初めて飯を腹いっぱい食って泣くのを見たとき。フィーの嬢ちゃんが、昔の自分みたいな子にそっと寄り添うのを見たとき。あの鍛冶場の灯の下で、みんなが笑い合うのを見たとき。
——胸の奥が、妙に熱くなった。
ちくしょう、と思った。こんなはずじゃなかった。おれは損得で動く、商売人のはずだったのに。
ああ、認めるよ。
おれは、この『灯』が好きなんだ。ここが、おれの帰る場所なんだ。
*
だから、決めた。
おれの商才の全部を使って、この商会をでかくする。
旦那が魔法で鎖を解く。なら、おれは金と知恵で、その道をならしてやる。商会の看板で堂々と金を動かし、解放した連中にまっとうな働き口を作る。台帳の細工も、買い手の名義の分散も、消去理由の使い分けも——そういう危ない橋を渡る算段は、おれの領分だ。旦那のきれいな手を、汚させやしねえ。
なあ、旦那。
あんたは自分のこと、「ただの普通の人間」だって思ってるんだろ? いつも自信なさげで。「自分なんかが」って顔をしてる。
——けどな。
普通の人間は、奴隷一人のために命がけで王国法を破ったりしねえんだよ。普通の人間は、見ず知らずのガキの「好きなもの」を、知りたがったりしねえんだよ。
あんたは自分で思ってるより、ずっと——とんでもない奴だ。
おれみたいなすれっからしの商売人を、本気にさせちまうくらいにはな。
まあ。そこは口に出しちゃやらねえけどな。調子に乗るといけねえ。
おれはにやりと笑って、今日も商会の帳簿に、算盤をはじく。
——この灯を、もっとでかく。もっと遠くまで。
それが、番頭ニコの新しい、生きがいってやつだった。




