第23話 王都の灯を
休日。ワタシはタウンハウスへ帰り、フィーと、王都での活動について話し合っていた。
この数週間でフィーは、見違えるほど頼もしくなっていた。屋敷を切り盛りしながら、王都の市場や裏通りの噂を、こまめに集めてくれている。表向きはただの使用人頭。その実、王都の『アステリアの灯』の、立派な目になっていた。
「ルキさま。——気になる話があります」
フィーが一枚の紙を差し出した。几帳面な字で書きつけられたメモだ。
「西の市場の奥に、小さな奴隷商があります。そこに……ひどい扱いを受けている子どもが、何人か。買い手がつかず、ずっと売れ残っているそうです」
(——フィー)
ワタシは胸を打たれた。
かつて自分が売られていた側だった少女が、今は売られている子どもたちのために、自分から情報を集めている。——救われた者が、次の誰かに手を伸ばす。辺境で願ったことが、ここでも起きている。
「……ありがとう、フィー。行ってみよう」
*
けれど王都での活動は、辺境とは勝手が違った。
まず、目が多い。辺境なら「辺境伯家の三男が、気まぐれで奴隷を買った」で済んだ。けれど王都では、誰が何を買ったか、どこかで必ず、誰かが見ている。
それに、王都の奴隷商は、辺境よりもずっと組織的で、危うかった。
「気をつけな、ルキの旦那」
手紙で、ニコが釘を刺してきていた。「王都の奴隷商の裏には、でかい連中がついてる。下手に首を突っ込むと、辺境の闇商人どころじゃねえぞ」
あの闇商人。辺境で衝突した、人攫いの連中。あれですら、末端に過ぎなかった。王都の闇は、もっと深い。
(——慎重に、いこう)
焦って目立てば、すべてが潰れる。「平凡な三男」の仮面を守りながら、一人ずつ、手の届く範囲から。辺境でやってきたことを、ここでも貫くだけだ。
*
西の市場の奥。フィーの言った通り、そこに小さな奴隷商があった。
ワタシは「平凡な貴族の道楽息子」を装い、ぶらりと店を覗いた。
檻の隅に、痩せた子どもたちが身を寄せ合っていた。何日も売れ残っているのだろう。誰の目にも留まらないまま。
ワタシはそっと、鑑定の目を開いた。
——いた。一人の少年。【鍛冶】の素質に、星五つ。なのにひどく痩せて、目に力がない。武具屋にでも売れば引く手あまただろう才能が、ここで朽ちかけている。
(——また、見過ごされた才能だ)
ワタシは静かに決めた。この子を救う。
ニコ直伝の交渉術と、フィーが用意してくれた資金で、ワタシはその少年と、隣にいた幼い子の、二人を買い取った。値切りも、すっかり堂に入ったものだ。
「毎度ありがとうございます。物好きな坊っちゃんだ」
奴隷商の嫌な笑いを背に、ワタシは二人の子を連れて店を出た。
その夜。タウンハウスの、目立たぬ一室で。
ワタシは二人の隷紋を解いた。鑑定で構造を読み、手探りで波長を合わせる。——もう何十回と繰り返してきた作業だ。辺境にいた頃より、ずっと速く、確実に。
鎖の解けた少年が、自分の首を何度も触って、信じられないという顔をした。
「……おれ、もう、奴隷じゃ、ないのか?」
「うん。——君は、自由だ」
ワタシが言うと、少年の目からぼろぼろと涙がこぼれた。
フィーが、そっとその子のそばに寄り添った。
「だいじょうぶ。——ここは、あったかい場所だから」
かつて自分がかけてほしかった言葉を、今、フィーは別の誰かにかけている。
涙が落ち着いた頃。ワタシは二人の前に膝をつき、できるだけ穏やかに、けれど真剣に切り出した。
「——一つだけ、大事な約束がある」
二人がこくりと頷く。
「君たちが自由になったことは、誰にも話しちゃいけない。『拾われて使用人になった』。それだけにしておくんだ。——隷紋を消すのは、本当は王国の法で禁じられてる。だから君たちのためにも、ここのみんなのためにも、内緒にしてほしい」
「……それって。バレたら、ルキさまが罰されるってこと?」
鍛冶の少年が、おそるおそる訊いた。賢い子だ。
「まあ、そういうこと」
ワタシは苦笑して頷いた。
「だから、もう一つ。——首の、隷紋があったところ。ここは布で隠しておいてほしい」
ワタシは自分の首筋を、軽く叩いてみせた。
「奴隷だった子が、急に隷紋なしで歩いてたら、目ざとい奴はおかしいって気づく。王都は辺境より、ずっと目が多いからね。——スカーフでも、襟の高い服でもいい。痕が消えるまでは隠して暮らそう」
「……わかった。隠す」
少年は神妙に頷いた。
身元は、セバスと、それを手伝うフィーが、整えてくれる手筈だ。書類の上では一度「病死」させて台帳から消し、その上で「新たに雇い入れた使用人」として登録し直す。身分は、表向き奴隷のまま。けれど実際には、給金も休みも与え、一人の人間として扱う。——辺境でフィーやニコにしたのと、同じやり方だ。
なぜ「奴隷のまま」にするのか。それは、この世界では隷紋が消せないのが常識だからだ。もし「自由民になった」と偽っても、自由民の首に隷紋の痕がなければ当然。けれど——隷紋は本来消せないのだから、誰かが「消した」とバレる余地が残る。それより、「奴隷のまま雇っている使用人」ということにして、首さえ隠しておけば、誰も隷紋のあるなしを気にしない。皮肉にも、「隷紋は消せない」という世間の常識が、いちばんの隠れ蓑になる。
ただ、王都で数を重ねるなら、辺境と同じ手は使えない。——それは、セバスが、いちばん口を酸っぱくして言っていたことだった。
「坊っちゃま。同じ家が、買った奴隷を、片端から『病死』させておりましては。すぐに、お役所に、目をつけられます。——ですから、買う名義を、分けるのです。消す理由も、分ける。『病死』、『よその商人へ転売』、『年季明け』。——実際には、すべて、こちらで引き取っておりましても。書類の上では、てんでばらばらの、行き先に。そうして、一つの家に、記録が偏らぬように、いたします」
セバスは、静かに、けれど、そらんじるように、そう言った。長年、貴族の家で仕え、法の際どいところを、幾度も、くぐってきた老執事の、年季の入った知恵だった。
「——こうした、書類の細工は。わたくしの、領分にございます。坊っちゃまは、どうぞ、安心して、お任せくださいませ」
セバスの、老練さには、いつも、舌を巻く。ワタシの魔法が、鎖を解く。セバスの知恵が、その痕跡を、消してくれる。——どちらが欠けても、この活動は、回らない。
脅すような言い方には、したくなかった。だからワタシは、最後に笑って付け加えた。
「——怖がらせて、ごめんね。でも、これは君たちを守るためなんだ。せっかく取り戻した自由を、誰にも奪われないように。——それだけなんだ」
二人の目から、強張りがほどけた。
(——王都にも、灯がともった)
ワタシはその光景を見て、静かに思った。
まだ小さな、小さな灯。でも、確かにともった。
*
数日後。タウンハウスに、辺境からニコがやってきた。商いの、王都進出の下見だという。
「——なあ、ルキの旦那。ちょいと相談なんだが」
ニコは、いつもの抜け目ない目を、きらりとさせた。
「王都で、ちゃんとした『商会』を立ち上げねえか?」
「商会?」
「ああ。今はまだ、こそこそした行商だ。けど王都で、表向きのまっとうな商会を構えりゃ——もっと堂々と、金を動かせる。解放した連中の働き口にもなる。情報だって、商売の名目でいくらでも集められる。——でかくやるなら、今だぜ」
(——なるほど)
ワタシは目を見開いた。
表向きは、まっとうな商会。その裏で、解放活動の資金と、人と、情報を回す。——辺境の、あの鍛冶場の灯を、王都という大きな舞台に合わせて進化させる。
それは、ワタシ一人では決して思いつかない発想だった。ニコの商才があってこその構想だ。
「——いいね。やろう、ニコ」
ワタシは頷いた。
王都の灯は、まだともったばかり。
でもここから——大きくしていく。
その第一歩が、今、始まろうとしていた。




