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第20話 氷のバラ

 ロイの言っていた合同実技演習は、それから数日後に行われた。


 新入生と上級生が一堂に会し、互いの魔法を披露し合う。学院の、恒例行事らしい。教師たちが、生徒の力量を測る場でもあるという。


(——なるべく、目立たないようにしないとな)


 ワタシはいつものように、心の中で気を引き締めた。ここでも方針は同じ。「そこそこの三男」を、演じきる。


 演習場は、広い円形の闘技場のような造りだった。新入生のワタシたちは、まず、的に向かって魔法を放つ、基礎的な実技から始まった。


 ワタシは、わざと平凡な火球を放った。狙いも、わざと少しだけ外す。「うーん、難しいなあ」と、頭を掻いてみせる。教師は、ワタシをちらりと見て、すぐに興味を失った。


(——よし。完璧な、凡人ムーブ)


 そして——上級生の番になった。


 その中に、彼女はいた。



 艶やかな黒髪。深い緑の瞳。背筋の伸びた、気品ある立ち姿。ひと目で高位の貴族とわかる、洗練された佇まい。


 ただ——その立ち姿には、どこか。優雅なだけではない、芯の通った隙のなさのようなものが、感じられた。ふとした重心の置き方が、鍛えた者のそれに——見えなくもない。気のせい、だろうか。


 周囲が、ざわついた。


「あれが……噂の、クラリスティア様……」


「『氷のバラ』……本当に、近寄りがたい方ね」


(——あの人が)


 ロイから聞いた、あの令嬢。オルブライト侯爵家の、クラリスティア。ワタシは、初めて目にするその姿を、つい、見つめてしまった。


 彼女が、的の前に進み出る。そして、すっと手をかざした。


 次の瞬間、放たれた魔法に、ワタシは息を呑んだ。


 無駄のない、洗練された術式。込められた魔力の、緻密な制御。的は、音もなく、貫かれていた。——同じ学生とは思えない、ひときわ抜けた腕前だった。


「素晴らしい! さすがは、オルブライト侯爵家のご令嬢だ!」


 教師が、感嘆の声を上げる。


 けれどクラリスティアは、その称賛に表情ひとつ動かさなかった。ただ冷ややかに頷いて、列に戻る。その横顔は美しく——そして、凍りつくように近寄りがたかった。


(——なるほど。これが、氷のバラ、か)


 ワタシは感心半分、納得半分で彼女を眺めた。


 噂通りだ。確かに、強い。そして、確かに、冷たい。ワタシのような辺境の三男とは、住む世界が違う。


 と——その時。


 ワタシはつい、癖で、彼女にごく軽く鑑定を向けてしまった。本当に、何気なく。どんな人なのだろう、という、ただの好奇心で。


(——っ)


 弾かれた。


 彼女の表層の情報——名前や魔力量までは視えた。けれどその奥。「感情の傾向」や「潜在素質」の深いところに触れようとした瞬間、ふっと何かに阻まれた。


 高位の者は、鑑定を察知しやすい。ワタシの知る限り、そういうものだった。——いや。それにしても、彼女の勘の鋭さは。まるで、背後に立たれただけで気配を読み取る、手練れの武人のようだった。


 まずいと思った時には、遅かった。


 クラリスティアの深い緑の瞳が、すっとワタシの方を見た。


 まっすぐに。射抜くように。


(——気づかれた!?)


 ワタシは慌てて視線を逸らした。心臓が嫌な音を立てる。


 まさか、ただ眺めていただけのつもりが。鑑定を使ったことを、気づかれた——?


 彼女はしばらくワタシを見ていた。その表情からは何も読み取れない。やがて、ふいと視線を外し、彼女は何事もなかったように前を向いた。


(——助かった……のか?)


 わからない。ただ、一つわかったことがある。


 あの令嬢は——ただ冷たいだけの人じゃない。


 ワタシのごくわずかな鑑定を察知した(かもしれない)、あの鋭さ。あの凍りついた表情の奥に、何か——簡単には読ませない、別のものがある気がした。


(——気をつけよう)


 ワタシはそう自分に言い聞かせた。


 彼女には近づかない。波風を立てない。目立たず、そこそこでやり過ごす。——それが賢明だ。


 ——のだが。



 その日の夕刻。


 演習を終えたワタシが、学院の人気のない中庭を歩いていた時のことだった。


 ふと、生垣の向こうから声が聞こえた。


「——だから、何度言えばわかるの。彼女に無理な仕事を押し付けるのは、おやめなさい」


 凛とした、けれどどこか抑えた声。


 ワタシは足を止めた。


 声の主は——クラリスティアだった。彼女が、上級生らしき数人の生徒に、何かを抗議している。


「侍女の一人くらい、どう使おうと、こちらの勝手でしょう、オルブライト嬢」


「使用人は、道具ではありません」


 クラリスティアの声が、わずかに鋭くなった。


「彼女にも名前があり、休息が必要です。それをわきまえなさいと、言っているのです」


(——え)


 ワタシは思わず、生垣の隙間からその光景を覗いた。


 昼間の、氷のような令嬢が。今、一人の名もなき侍女のために、声を上げている。自分の評判が下がることもいとわずに。


 その深い緑の瞳には、昼間にはなかった熱が——確かに宿っていた。


(——なんだ、この人)


 ワタシの胸の中で、何かが小さく引っかかった。


 氷のバラ。近寄りがたい、冷たい令嬢。——そう呼ばれている彼女が。誰も見ていないところで、使用人のために怒っている。


(——近づかないって、決めたばっかりなのにな)


 ワタシはこっそり苦笑した。


 どうやらワタシの「目立たず、やり過ごす」計画は、早くも雲行きが怪しくなってきたようだった。


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