第20話 氷のバラ
ロイの言っていた合同実技演習は、それから数日後に行われた。
新入生と上級生が一堂に会し、互いの魔法を披露し合う。学院の、恒例行事らしい。教師たちが、生徒の力量を測る場でもあるという。
(——なるべく、目立たないようにしないとな)
ワタシはいつものように、心の中で気を引き締めた。ここでも方針は同じ。「そこそこの三男」を、演じきる。
演習場は、広い円形の闘技場のような造りだった。新入生のワタシたちは、まず、的に向かって魔法を放つ、基礎的な実技から始まった。
ワタシは、わざと平凡な火球を放った。狙いも、わざと少しだけ外す。「うーん、難しいなあ」と、頭を掻いてみせる。教師は、ワタシをちらりと見て、すぐに興味を失った。
(——よし。完璧な、凡人ムーブ)
そして——上級生の番になった。
その中に、彼女はいた。
*
艶やかな黒髪。深い緑の瞳。背筋の伸びた、気品ある立ち姿。ひと目で高位の貴族とわかる、洗練された佇まい。
ただ——その立ち姿には、どこか。優雅なだけではない、芯の通った隙のなさのようなものが、感じられた。ふとした重心の置き方が、鍛えた者のそれに——見えなくもない。気のせい、だろうか。
周囲が、ざわついた。
「あれが……噂の、クラリスティア様……」
「『氷のバラ』……本当に、近寄りがたい方ね」
(——あの人が)
ロイから聞いた、あの令嬢。オルブライト侯爵家の、クラリスティア。ワタシは、初めて目にするその姿を、つい、見つめてしまった。
彼女が、的の前に進み出る。そして、すっと手をかざした。
次の瞬間、放たれた魔法に、ワタシは息を呑んだ。
無駄のない、洗練された術式。込められた魔力の、緻密な制御。的は、音もなく、貫かれていた。——同じ学生とは思えない、ひときわ抜けた腕前だった。
「素晴らしい! さすがは、オルブライト侯爵家のご令嬢だ!」
教師が、感嘆の声を上げる。
けれどクラリスティアは、その称賛に表情ひとつ動かさなかった。ただ冷ややかに頷いて、列に戻る。その横顔は美しく——そして、凍りつくように近寄りがたかった。
(——なるほど。これが、氷のバラ、か)
ワタシは感心半分、納得半分で彼女を眺めた。
噂通りだ。確かに、強い。そして、確かに、冷たい。ワタシのような辺境の三男とは、住む世界が違う。
と——その時。
ワタシはつい、癖で、彼女にごく軽く鑑定を向けてしまった。本当に、何気なく。どんな人なのだろう、という、ただの好奇心で。
(——っ)
弾かれた。
彼女の表層の情報——名前や魔力量までは視えた。けれどその奥。「感情の傾向」や「潜在素質」の深いところに触れようとした瞬間、ふっと何かに阻まれた。
高位の者は、鑑定を察知しやすい。ワタシの知る限り、そういうものだった。——いや。それにしても、彼女の勘の鋭さは。まるで、背後に立たれただけで気配を読み取る、手練れの武人のようだった。
まずいと思った時には、遅かった。
クラリスティアの深い緑の瞳が、すっとワタシの方を見た。
まっすぐに。射抜くように。
(——気づかれた!?)
ワタシは慌てて視線を逸らした。心臓が嫌な音を立てる。
まさか、ただ眺めていただけのつもりが。鑑定を使ったことを、気づかれた——?
彼女はしばらくワタシを見ていた。その表情からは何も読み取れない。やがて、ふいと視線を外し、彼女は何事もなかったように前を向いた。
(——助かった……のか?)
わからない。ただ、一つわかったことがある。
あの令嬢は——ただ冷たいだけの人じゃない。
ワタシのごくわずかな鑑定を察知した(かもしれない)、あの鋭さ。あの凍りついた表情の奥に、何か——簡単には読ませない、別のものがある気がした。
(——気をつけよう)
ワタシはそう自分に言い聞かせた。
彼女には近づかない。波風を立てない。目立たず、そこそこでやり過ごす。——それが賢明だ。
——のだが。
*
その日の夕刻。
演習を終えたワタシが、学院の人気のない中庭を歩いていた時のことだった。
ふと、生垣の向こうから声が聞こえた。
「——だから、何度言えばわかるの。彼女に無理な仕事を押し付けるのは、おやめなさい」
凛とした、けれどどこか抑えた声。
ワタシは足を止めた。
声の主は——クラリスティアだった。彼女が、上級生らしき数人の生徒に、何かを抗議している。
「侍女の一人くらい、どう使おうと、こちらの勝手でしょう、オルブライト嬢」
「使用人は、道具ではありません」
クラリスティアの声が、わずかに鋭くなった。
「彼女にも名前があり、休息が必要です。それをわきまえなさいと、言っているのです」
(——え)
ワタシは思わず、生垣の隙間からその光景を覗いた。
昼間の、氷のような令嬢が。今、一人の名もなき侍女のために、声を上げている。自分の評判が下がることもいとわずに。
その深い緑の瞳には、昼間にはなかった熱が——確かに宿っていた。
(——なんだ、この人)
ワタシの胸の中で、何かが小さく引っかかった。
氷のバラ。近寄りがたい、冷たい令嬢。——そう呼ばれている彼女が。誰も見ていないところで、使用人のために怒っている。
(——近づかないって、決めたばっかりなのにな)
ワタシはこっそり苦笑した。
どうやらワタシの「目立たず、やり過ごす」計画は、早くも雲行きが怪しくなってきたようだった。




