第19話 王都ぐらし、はじめます
王都に着いてまずやることは、暮らしの足場を作ることだった。
幸い、アーデルハイト家は王都に小さな屋敷を一つ持っていた。代々、当主が王都に出る際に使うタウンハウスだ。古いがしっかりした造りで、普段は管理人が一人、留守を守っているだけだった。
ワタシはここを、王都での新しい拠点にすることにした。
そして、この屋敷を切り盛りするのに、これ以上ない、心強い味方がいた。——セバスだ。
「王都の屋敷のことは、お任せを。——かつて、若い時分に、いくつかの貴族の家を渡り歩いた折、この王都にも、しばらく、おりました。勝手は、心得ております」
辺境を離れ、共に王都へ来てくれたセバスは、さっそく、その手腕を発揮し始めた。タウンハウスの古い管理人とも、すぐに打ち解け、屋敷を、住みよいように整えていく。貴族社会の、しきたりや、人付き合いの機微。——それらを知り尽くした老執事の存在は、右も左もわからない王都で、ワタシの、大きな支えになった。
「いいか、フィー。表向き、ここは『辺境伯家の三男が学院に通う間の住まい』。君は、セバスを助けて、この家を切り盛りする——いわば、若い使用人頭ってことになる」
「使用人頭……わたしが、ですか?」
フィーが目を丸くした。
「うん。セバスも歳だ。屋敷の実務は、だんだん、君が担っていってくれると助かる。——それに、本当の役目は別にあるんだ」
ワタシは声を少し落とした。
「ここを、王都の『アステリアの灯』にする。辺境のニコたちと連絡を取りながら、こっちでも少しずつ足場を作っていく。——王都は人も情報も多い。やれることは、辺境よりずっと多いはずだ」
フィーはしばらく考えて、それからこくりと頷いた。
「……はい。やってみます。ルキさまのお役に立てるなら」
三年前なら絶対に言えなかった言葉だ。ワタシはその成長が、ただ嬉しかった。
*
こうして、ワタシの王都での生活が始まった。
平日は学院の寮で寝起きする。学院は全寮制が基本で、貴族の子弟も皆、寮に入る。ワタシもほかの新入生と同じ、簡素な相部屋をあてがわれた。
休日になると、タウンハウスへ帰る。フィーと王都の活動について打ち合わせをし、辺境からの便りに目を通す。——二つの暮らしを行き来する日々だ。
最初は、これがなかなか骨だった。
寮では「平凡な三男」を演じ続けなければならない。魔法の腕も知識もほどほどに隠して。素のワタシ——前世の記憶を持ち、規格外の魔力を隠したワタシを、決して出さないように。
(——気が抜けないな)
辺境では、屋敷に帰れば家族や灯の仲間がいて、少しは素を出せた。でもここでは、四六時中、他人の目がある。寮の同室の相手にすら油断はできない。
仮面をつけ続ける。それは思っていたより、ずっと疲れることだった。
*
とはいえ、学院の暮らしには、楽しいこともあった。
同室になったのは、ロイという明るい男だった。下級貴族の三男で、ワタシと同じ、家督から遠い身。気取らない性格で、すぐに打ち解けた。
「なあルキ、お前、辺境の出だろ? 魔物とか出るのか? 戦ったことある?」
「まあ、魔物は出るよ。森が近いからね。——でも、うちの兄貴たちや、領兵が、しっかり守ってくれてるから。暮らしは、わりと平和なんだ」
「なんだ、つまんねえの」
ロイは武勇伝を聞きたがる、わかりやすい男だった。こういう相手は、ありがたい。「平凡な三男」を疑いもせず、信じてくれる。
授業も新鮮だった。
体系立てて魔法を学ぶのは、ワタシにとって初めての経験だった。これまでは、術式解析の力を頼りに、独りで、魔法の構造を、一つひとつ分解し、なぜそう動くのかを、理詰めで解き明かしてきた。前世で、複雑な仕組みを、部品ごとにばらして理解した——あの、やり方と同じだ。
だから、学院の授業は、ワタシにとって、新しい発見というより——答え合わせに、近かった。
「ああ、ワタシが解析で掴んでいた、あの回路の働きには。世間では、こういう名前がついているのか」
「ワタシが独りで組み立てた理屈は。ちゃんと、体系立った学問として、存在していたんだな」
自分が手にしていた断片が、世に知られた知識と、次々に、噛み合っていく。バラバラだった知識に、正式な名前と、地図が、与えられていく感覚。それは、それで、面白かった。
(——独学の穴に、名前と、索引が、つく感じだ)
もっとも、教わる内容そのものは、ワタシには易しすぎた。教師が「これは難解だ」と前置きする術式も、ワタシは、とっくにその深層まで読み解いて、使いこなせるものばかり。
だからワタシは、毎回必死で加減した。
本当なら、詠唱なんて、要らない。頭の中で術式を思い描けば、声に出さずとも、魔法は発動できる。——でも、それをやったら、目立ちすぎる。詠唱は、本来、まだ術の像を安定させられない、初心者が使う、補助輪のようなもの。だから、ワタシは、あえて、声に出して詠唱する。しかも、いかにも不慣れな風に、つっかえながら。
わざと術の威力を抑え、同級生が苦戦する課題を、さも自分も苦戦しているように装う。——演技力だけは、無駄に磨かれていく日々だった。
(——なんかワタシ、魔法学院で演技の練習してるな……)
ふとそんなことを思って、一人で苦笑することもあった。
*
ある日の昼休み。
ワタシは食堂の隅で一人、辺境からの便りを読んでいた。
ニコからの手紙だった。商いは順調で、新たに三人、解放できたという。メイアの薬が隣領でも評判になっているとも。例の、ニコが後を継がせるために仕込んでいる若者も、めきめき腕を上げている、とも。
そして——メイアもまた、腕のいい弟子を、一人、取ったのだという。薬の調合も、治癒魔法も、筋がいい。「いつか、あの子に、辺境の薬房を任せられる日が来れば」と、メイアは、そう漏らしていたらしい。
(——なるほど。ニコも、メイアも。先を、見据えてるんだな)
ワタシは、手紙を読みながら、ふっと、笑みが、こぼれた。
二人とも、いつまでも辺境に、とどまるつもりは、ないのだろう。後進を育て、辺境の灯を、託せるようにして——いつか、ワタシのいる、この王都へ。二人が、揃って、来てくれる日が。きっと、そう遠くない。
(——その時が、楽しみだ)
離れていても、辺境の灯は、ちゃんと燃え続けている。それどころか、次の世代へと、受け継がれようとしている。——それが、何より、嬉しかった。
「——よ、ルキ。何読んでんだ?」
ロイがトレイを持って、隣に座ってきた。
「ん、家族からの手紙」
「へえ、仲いいんだな。——なあ、そういや聞いたか? 今度、上級生も交えた合同実技演習があるらしいぜ。なんでも、あの『氷のバラ』も出るって話だ」
(——氷のバラ)
その名に、ワタシの手がほんの少し止まった。
クラリスティア・オルブライト。オルブライト侯爵家の令嬢で、学院でも、とびきりの有名人らしい。ずば抜けた魔法の才を持ちながら、誰も寄せつけない、冷たい美貌。——それで「氷のバラ」と呼ばれているのだとか。
「お前、知ってるか? あの人、すげえ美人なんだけど、とにかく冷たいんだ。誰も近寄れねえって」
「……へえ。そんな人がいるんだ」
ワタシは、初めて聞く名に、軽く相槌を打った。
オルブライト侯爵家。この国でも指折りの大貴族だ。その令嬢ともなれば、ワタシのような辺境の三男とは、住む世界が違う。
(——まあ、ワタシには、縁のない相手だろうな)
目立たず、そこそこで、やり過ごす。それがワタシの方針だ。雲の上の令嬢に、関わることなんて、きっとない。
——この時のワタシは、まだ、知らなかった。その「氷のバラ」と、思いがけない形で、関わることになるなんて。
便りをしまいながら、ワタシは窓の外の、王都の空を見上げた。
新しい暮らしは、四苦八苦の連続だ。仮面を被り続ける疲れもある。
でも——ここには、まだ見ぬ出会いも、やるべきことも、たくさんある。
(——さて。ぼちぼち、やっていくか)
ワタシは軽く伸びをして、午後の授業へと向かった。




