第16話 全力を出せない
事の起こりは、メイアが診ていた、村の子どもだった。
名を、ティナという。七つになる、小さな女の子。メイアの薬で流行り病から回復して——その矢先に、姿を消した。
ワタシが、それを知ったのは、偶然だった。
その日、ワタシは、拠点の近くの村へ、買い出しに出ていた。薬草や、日用のあれこれを、抱えて歩いていた、その時だ。
「誰か! 誰か、お願いします! うちの子が——ティナが、いないんです!」
村の広場で、一人の女が、通りかかる人を、片端から、捕まえていた。半狂乱の、母親だった。髪を振り乱し、涙で顔を、くしゃくしゃにして。けれど——道行く人々は、気の毒そうに眉をひそめるだけで。誰も、足を、止めようとしない。
「昨日の夜から、どこにも、いなくて……! お願い、誰か——!」
子ども一人が消えたくらいで、領主様が兵を出してくれるわけもない。村の男たちも、自分の暮らしで手一杯。——だから、この母親は、こうして、藁にもすがる思いで、見知らぬ通行人に、助けを求めているのだ。
ワタシの胸が、ざわついた。
ティナ。——メイアが、必死に、流行り病から救った、あの子だ。
そして、ワタシの脳裏に、ニコが最近こぼしていた、不穏な噂が、よぎった。近頃、近隣の村で、子どもや女が、何人も、姿を消している。攫って、遠くへ流す——闇商人。
(——まさか)
嫌な予感が、背筋を、走った。
ワタシは、抱えていた荷物を、ぎゅっと握りしめると。母親のもとへ、駆け寄っていた。
「——おばさん。その子のこと、詳しく、聞かせて。ワタシに、心当たりが、あるかもしれない」
突然現れた子どもに、母親は、戸惑っていた。けれど、藁にもすがる思いだったのだろう。すぐに、堰を切ったように、事情を、話してくれた。
——ならば、まずは、手がかりを、探すのが先だ。ニコとセバスには、後で、合流してもらえばいい。
まず向かったのは、ティナが最後にいた場所——村外れの、彼女の家だった。
半狂乱の母親をなだめ、ワタシは家の周りを、ゆっくりと歩いた。そして、鑑定の目を、開く。
ワタシの鑑定は、派手じゃない。火を噴くわけでも、敵を薙ぎ払うわけでもない。でも——こういう時にこそ、地味に、効く。
(——ここだ)
家の裏手の地面。土の上に残った、いくつもの足跡。ワタシは、その一つひとつに、意識を向けた。鑑定は、物の性質や、そこに残った気配の名残まで、おぼろげに読み取れる。
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土に残る痕跡
・大人の男の足跡(複数/重い/急いでいる)
・引きずられた跡(小さな踵/抵抗の形跡)
・落とし物:木彫りの兎(持ち主の温もりの残滓あり)
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ワタシは、草むらに落ちていた、小さな木彫りの兎を、拾い上げた。鑑定が、教えてくれる。これは——ティナの、持ち物だ。
「……この子の、宝物だね。連れ去られる時に、落としたんだ」
ワタシは、ぐっと、奥歯を噛んだ。引きずられた、小さな踵の跡。抵抗した、形跡。あの子が、どれほど怖い思いをしたか——痕跡が、無言で語っていた。
足跡を辿り、ワタシは村の出口まで歩いた。そこで、轍の跡を見つける。鑑定で、車輪に残った土を読めば、それがどの方角の、どんな土質の土地から来たものか、おおよそ見当がつく。
「——北。それも、湿った土。川沿いか、低地の方角だ」
ワタシが、轍を読み解いた、ちょうどその頃。
村へ買い出しに来ていたはずのワタシが、なかなか戻らない。それを不審に思ったのか——あるいは、ワタシの「勘」を、もう何度も見てきたからか。ニコとセバスが、ワタシを追って、村まで来てくれていた。事情を話すと、二人は、すぐに、飲み込んでくれた。
「へえ……」
ニコが、感心したように、口笛を吹いた。
「ルキの旦那、その目、便利すぎだろ。——あとは、おれの番だな」
ワタシが鑑定で絞り込んだ方角を頼りに、ニコが、裏の情報網を当たる。セバスが、領内の人脈を辿る。地味な観察と、足で稼いだ情報が、噛み合っていく。
そして——半日もかからず、手がかりは掴めた。
「領境の、廃村だ」
ニコの声は硬かった。
「使われなくなった古い村に、人の出入りがある。攫った連中を一時集めて、まとめてよそへ流す——闇商人の、中継地点になってるらしい。ティナも、十中八九、そこだ」
「——行く」
ワタシは即答した。
「ルキの旦那、待てよ。相手は人攫いだぜ。荒くれの犯罪者だ。まともにぶつかったら——」
「わかってる」
わかっていた。危険なことくらい。
でも——ティナは七つだ。メイアが必死に救った、小さな命だ。あの子が今、暗い場所でおびえている。それを知っていて見過ごすなんて、ワタシにはできなかった。
「セバスは、念のため領兵に話を通しておいて。ニコはここで待機。——ワタシが先に行く」
「ルキの旦那!」
「大丈夫」
ワタシは笑って見せた。
「ワタシは——たぶん、君たちが思ってるより、ずっと強いから」
*
廃村は、不気味なほど静まり返っていた。
崩れかけた家々。割れた窓。雑草に覆われた井戸。
ワタシは物陰から、鑑定の目で村を探った。集中すれば、生命の気配のおおよそは掴める。
(——いた)
村の中央の、一番大きな納屋。そこに、複数の気配。怯えた小さな命がいくつもと——それを囲む、大人の男たち。
(——ティナも、いる)
ティナの小さな気配を、確かに捉えた。生きている。まだ無事だ。
でも——男たちの数は、多い。八人、いや、十人近い。腰には、剣や棍棒。明らかに、荒事に慣れた連中だ。
(——どうする)
ワタシは唇を噛んだ。
正面からぶつかれば、今のワタシの魔法なら——たぶん、勝てる。全力を出せば、あの程度の荒くれ者、一掃するくらいできるだろう。
でも。
(——それを、やったら)
ワタシの力が、露見する。
貴族平均の何倍もの魔力。常識外れの術式。そんなものを十二の子どもがぶっ放したと噂が立てば——終わりだ。「平凡な三男」の仮面が剥がれ、注目が集まる。そうなればもう、こっそりとは、誰も救えなくなる。
ワタシの本当の戦いは、「奴隷を密かに解放する」こと。その、ずっと大きな目的のためには。ここで目立つわけにはいかない。
(——ジレンマ、だな)
力は、ある。でも、その力を全開にはできない。
救うために力をつけたのに。救う、その時に、力を隠さなきゃならない。
(——なんて、不便な最強だ)
ワタシは自嘲気味に思った。
それでも——やるしかない。
目立たない範囲で。「ちょっと魔法が使える子ども」の範疇で。できる限りのことを。
*
ワタシは、納屋の裏手に回った。
まずは、ティナたちを逃がす。戦うのは、最後の手段だ。
見張りの男が一人、裏口に立っていた。
ワタシはごく細く絞った魔力で——男の足元の地面を、ほんの少しぬかるませた。
ずるっ、と男が足を滑らせる。体勢を崩した、その隙に。
ワタシは小さな風の魔法で、背後から男の後頭部を軽く打った。「ちょっとできる子ども」の範囲で。男は声もなく崩れ落ちた。
(——よし。一人)
ワタシは納屋に忍び込んだ。
中は暗く、饐えた匂いがした。隅に、縄で縛られた子どもたちが、数人。その中に——
「ティナ」
ワタシは駆け寄った。
小さな女の子が、涙で汚れた顔を上げた。
「……だれ?」
「助けに来た。——静かに、できる?」
ティナは、こくこくと頷いた。
ワタシは、懐から、あの木彫りの兎を取り出して、そっと、その手に握らせた。
「これ、君のだろ? 落としてたよ。——ちゃんと、迎えに来たから」
ティナの目から、ぼろぼろと、新しい涙がこぼれた。けれど今度のそれは、恐怖の涙では、なかった。
ワタシは細い風の刃で、子どもたちの縄を一つずつ切っていった。
(——もう少し。あと少しで)
その時だった。
「——おい。誰だ、てめえ」
背後から、低い声。
振り返ると——納屋の入口に、男が立っていた。
ほかの荒くれ者とは、明らかに違う。鋭い目。隙のない立ち姿。腰に提げた剣の握りに、無造作に置かれた手。
——強い。
ひと目でわかった。これまでの見張りとは、格が違う。
(——闇商人の、頭か)
「ガキが一人で忍び込むたあ、いい度胸だ」
男はゆっくりと剣を抜いた。ぎらり、と刃が光る。
「どこの回し者だ? まあ、いい。——どうせ、ここで消えてもらう」
(——っ)
ワタシはティナたちを背に庇った。
まずい。逃がす前に、見つかった。子どもたちがいる。この状況で、戦うしか——
(——でも、こいつは強い。「ちょっとできる子ども」のふりで、いなせる相手じゃない)
冷や汗が伝った。
全力を出せば、勝てる。でも、出せば——正体がバレる。
手加減すれば——この子どもたちごと、斬られるかもしれない。
ワタシの頭の中で、二つの選択が激しくせめぎ合った。
(——どうする。どうする、ワタシ)
男が、一歩、踏み込んだ。
刃が、振り上げられる。




