第15話 三人目は、薬を煎じる手
『アステリアの灯』が、ともってから、しばらく。
ワタシたちの活動は、少しずつ、形になってきていた。
ニコは、たいしたものだった。解放されてから、ほんの数週間で、組織の「金回り」を、すっかり、握ってしまった。
「いいか、ルキの旦那。奴隷を買うにも、隠れ家を回すにも、金がいる。先立つもんがなきゃ、きれいごとも、言えねえんだ」
そう言って、ニコは、ワタシのなけなしの小遣いを元手に、領都で、ちょっとした"商い"を、始めた。安く仕入れた品を、目利きして、別の街で、高く売る。気づけば、活動の資金は、最初の何倍にも、膨らんでいた。
(——こいつ、本当に、商才の塊だな)
ニコのおかげで、ワタシたちは、以前より、ずっと多くの奴隷を買い取れるくらいに、なっていた。
そして、フィーも。
あの、感情を失っていた少女は、少しずつ、変わってきていた。自分から、好きな色を選び、好きな菓子を選ぶ。庭の花を、じっと眺めていることもある。言葉は、まだ少ない。表情も、乏しい。それでも——かつての、何も映さなかった瞳とは、もう、違っていた。
その小さな回復の一つひとつが、ワタシには、たまらなく、嬉しかった。
*
三人目を見つけたのは、いつもの、奴隷市場——ではなかった。
領内の、とある村。流行り病が出た、と聞いて、ワタシは、セバスと共に、様子を見に、足を運んでいた。アーデルハイト家の人間として、領民を、気にかけるのは、表向きの務めでもある。
その村の外れ。打ち捨てられたような、粗末な小屋に。
その人は、いた。
歳の頃は、二十半ばだろうか。痩せた女性で、片足を、引きずっている。村人たちは、彼女を、遠巻きにして、近づこうとしない。
「あれは、よそから流れてきた、奴隷でしてな。——首に、隷紋は、あるものの。もう、主も、おらんのです」
村の長が、声をひそめて、言った。
「足が、あの通りになって。使い物にならんと、主に、放り出されたそうで。隷紋を、刻まれたまま、行き場もなく——この村に、流れ着いたのです。薬草の知識が、あるとかで、村の病人を、診てはおるんですが……どうも、薄気味悪がられて、おるようで」
(——薬草の知識)
ワタシは、その女性に、近づいた。彼女は、警戒するように、身を、固くした。
ワタシは、そっと、鑑定の目を、開いた。
―――――――――――
メイア(奴隷/隷紋あり)
種族:人間/年齢:26
習得スキル:薬学/調合/看護
潜在素質:【薬師】★★★★★/【治癒魔法】★★★
備考:かつて、さる医師に仕えた。足の傷ゆえに主に見捨てられ、隷紋を刻まれたまま、流浪している
―――――――――――
(——薬師、星五つ。治癒魔法まで)
ワタシは、息を、呑んだ。
この村で、薄気味悪がられている女性が。実は、星五つの薬師で、治癒魔法の素質まで、持っている。それも、ただ、足が、不自由だというだけで——その才の、すべてを、見過ごされている。
(——またか)
胸の奥が、静かに、痛んだ。
この世界は、こうやって、いくつもの才能を、捨ててきたのだろう。「奴隷だから」「足が悪いから」「気味が悪いから」。そんな、くだらない理由で。
ワタシは、彼女の前に、しゃがんで、目の高さを、合わせた。
「あなたの煎じる薬で、この村の病人が、よくなってる。——そうですよね」
メイアと呼ばれた女性は、戸惑ったように、ワタシを見た。
「……坊ちゃん。なぜ、そんなことを」
「すごいことだと、思うんです。あなたの、その手は。——人を、助ける手だ」
メイアの目が、揺れた。
たぶん、ずっと、誰にも、言われてこなかったのだろう。彼女の手が、何を、生み出しているか。それが、どれほど、尊いことか。
*
メイアは、最初、ワタシの誘いを、信じなかった。
「ワタシたちのところで、薬師として、その腕を、ふるってほしい」——そう言っても、彼女は、ただ、力なく、首を、振った。
「……からかわないでください。わたしのような、足の悪い、流れ者を。雇うところなんて、ありはしない。——どこへ行っても、同じでした。少し、役に立てば、使い潰され。役に立たなくなれば、捨てられる。それが、わたしの、生きてきた道です」
諦めの、にじむ声だった。
その時。
ワタシの、後ろに、控えていた、フィーが——前に、出た。
ワタシは、驚いた。フィーが、自分から、知らない人に、話しかけるなんて。
「……あの」
フィーは、消え入りそうな声で、けれど、必死に、言葉を、探しながら、言った。
「わたしも……むかし、こころを、なくして、いました。だれにも、いらない、と、おもって、いました。——でも」
フィーは、ワタシを、ちらりと、見て。それから、また、メイアに、向き直った。
「この人は……わたしの、『すき』を、きいて、くれました。やくに、たたなくても。——だから、わたしは、すこしずつ、ひとに、もどれた、んです」
(——フィー)
ワタシは、言葉を、失った。
あの、何も話さなかった少女が。今、自分の言葉で、自分の体験を、誰かのために、語っている。——救われた者が、次の誰かを、救おうとしている。
メイアは、フィーの、銀の髪と、薄紫の瞳を、見つめて。
その目から——ぽろり、と、涙が、こぼれた。
「……足が、悪くても」
メイアは、震える声で、言った。
「わたしの、手は……まだ、役に、立ちますか」
「立ちます」
ワタシは、はっきりと、頷いた。
「あなたの手は、これから、たくさんの人を、助ける。——ワタシたちと、一緒に。どうか、その手を、貸してください」
メイアは、しばらく、泣いて。
それから、ゆっくりと、頷いた。
こうして、『アステリアの灯』に、三人目の灯が、ともった。薬を煎じる、温かい手が、加わった。
*
その夜、ワタシは、フィーやニコにしたのと、同じように——メイアの首の隷紋を、解いた。
鑑定で構造を読み、手探りで、波長を合わせる。黒い紋様が、淡い光に変わって、ほどけていく。この頃には、ワタシの腕も、ずいぶん、上がっていた。
自分の首から、鎖が消えたことに、メイアは、しばらく、声も出せずにいた。
「……こんな、こと。信じ、られない。——隷紋は、誰にも、消せないと。そう、聞いて、いたのに」
「ワタシと、ここの仲間の、秘密です。——だから、メイアも」
ワタシは、彼女にも、生成りのスカーフを、手渡した。
「首は、隠しておいてください。隷紋が、消えてるのが、外に知れたら。ワタシも、あなたも、危ない。——この世の誰もが、隷紋は消せないと、信じてる。だからこそ、首さえ隠せば、誰も、疑いません」
メイアは、涙を、拭って、こくりと、頷いた。台帳の処理は、いつものように、セバスが、抜かりなく、整えてくれた。書類の上で、一度『死んで』もらう。だが、首の隷紋は、消せない。消せば、なぜ消えたのかと、かえって命取りになる。だから、身分は奴隷のままに、首を隠し、一人の人間として、迎え入れる。
*
メイアは、鍛冶場跡地の隠れ家に、小さな薬房を、与えられ、水を得た魚のように、働き始めた。
彼女の薬は、よく効いた。フィーの、まだどこか儚げな体も。ニコが、無茶な商いで、時折こしらえてくる、擦り傷や打ち身も。メイアの手は、そのすべてを、優しく癒やした。彼女の、治癒魔法の素質は、ワタシが手ほどきすると、めきめき、伸びていった。
鍛冶場跡地の隠れ家には、少しずつ、活気が、生まれていた。フィーがいて、ニコがいて、メイアがいて。それぞれが、それぞれの才で、組織を、支え始めている。
(——いい、流れだ)
ワタシは、手応えを、感じていた。
このまま、一人ずつ。手の届く範囲から。焦らず、着実に。そうやって、灯を、増やしていけば——
その夜だった。
ニコが、商いの帰りに、妙な噂を、聞き込んできたのは。
「——なあ、ルキの旦那。ちょっと、気になる話を、耳にしたんだが」
ニコの顔は、いつもの、軽い調子とは、違っていた。
「最近、この辺りで、人が、消えてるらしい。それも、村の子どもや、女が、何人も。——表の、奴隷商人とは、別口だ。攫って、どこかへ、流してる、連中がいる。手口が、荒くて、容赦がねえって、評判だ」
(——攫って、流す)
ワタシの、背筋が、冷えた。
「正規の、奴隷商人すら、手を出さねえような、危ない橋を、渡る連中。——闇商人、って、呼ばれてる」
ニコは、声を、ひそめた。
「まあ、今んとこ、遠い噂話さ。——けど、この稼業を、続けてくなら。頭の、隅にでも、留めておいた方が、いいと思ってな」
鍛冶場跡地の、ランプの灯りが、ゆらりと、揺れた。
闇商人、か。
今はまだ、どこか遠い、他人事のような、響き。——けれど、その名前は、なぜだか、ワタシの胸の底に、小さな、しこりのように、残った。




