第119話 明かす、本当のこと
大神官は——姿を、消していた。
オルブライト侯爵が衛兵を率いて、その屋敷へ踏み込んだ時には。もう、もぬけの殻だったという。重要な書類も、使用人の姿も——何もかも消えていた。
その報せを聞いて、ワタシは奥歯を噛んだ。
あの男を、取り逃がした。逃げ足の速いことだ。きっとどこかで、次の手を企んでいる。
だが——陛下の、動きは速かった。
大神官の逃亡を知るや、陛下はただちに——国中へ、手配の触れを出された。「大神官ベルゲンを、王命を騙り陛下を幽閉した大逆の罪人として、捕らえよ」と。かつて、傀儡として、何も命じられなかった王が。今は、自らの意思で——迅速に、手を打っている。
千年、神殿の陰に、隠れてきた、大神官。その男が今——国を挙げて、追われる身と、なったのだ。
だが——今は。
ワタシは商会の窓から、夜の街を見やった。陛下は玉座に戻られ、ワタシの無実も晴れた。家族も仲間も、皆、無事だ。
大神官への警戒は、片時も解けない。けれど、それでも。今夜くらいは——共に戦ったみんなと、この勝利を喜び合っても、いいだろう。
*
その夜。商会は——かつてない賑わいに、包まれていた。
無事を祝う、宴だ。
集まったのは、商会の仲間だけではない。辺境から駆けつけてくれた、父さんに母さん、レオ兄、セリア姉さん。陰で支えてくれた、オルブライト侯爵とクラリスティア。そして——味方になったばかりの、アルベルトの姿もあった。
共に戦い、この勝利をもぎ取った——その、すべての顔が揃っている。
所狭しと料理が並び、あちこちで笑い声が弾ける。普段は節約にうるさいニコまで、今日ばかりは気前よく酒を振る舞っていた。
「さあさあ、今日は無礼講だ! ——飲め飲め! 食え食え!」
ニコが、上機嫌で声を張り上げる。
(——おやおや。あのしみったれのニコが太っ腹だなんて。明日は雨か、槍でも降るんじゃないか)
ワタシは内心でにやりとしながら、出された果実水を口に運んだ。
*
「ルキ! お前、ちゃんと食ってるか!」
レオ兄が、肉の皿をワタシに、ぐいと押しつけてくる。脇腹の傷は、もう痛まないらしい。
「食べてますよ、兄さん。——というか、兄さんこそ、傷に障るから、飲みすぎないで」
「けっ。この程度の傷、酒で、消毒だ!」
豪快に杯をあおる、レオ兄。その隣で、セリア姉さんが「もう、無茶ばっかり」と呆れたように笑う。
母さんは、フィーに料理を取り分けてやっている。フィーは嬉しそうに、それを頬張っていた。父さんは、オルブライト侯爵と何やら、酒を酌み交わしている。
——温かい、光景だった。
立場も生まれもバラバラなみんなが、今、一つの場所で笑い合っている。
*
宴は、大いに盛り上がった。
だが——ワタシには、この賑やかな席で、伝えておきたいことが、あった。
商会の仲間たちへの——力のことだ。
王宮で、ワタシが力を解き放った、あの場には。レオ兄やニコ、クラリスティアたちがいた。だが——商会で留守を守っていた大半の仲間は、まだ、ワタシの本当の力を知らない。
ならば——きちんと、自分の口から、話しておくべきだ。
「——みんな。少し、いいかな」
ワタシが声を上げると、賑わいが、すっと静まった。
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「商会の、みんなに。隠していたことがある。——ワタシの、力のことだ」
ワタシは、居住まいを正した。
「ワタシは実は——人並み外れた魔法の力を持っている。鑑定の力や、戦う力も。今までは、それをずっと隠してきた。今回の騒動でも——その力を使って、みんなを助けた」
留守を守っていた商会の仲間たちが、顔を見合わせる。
みんなはどう思うだろう。今まで騙していたのか、と怒るだろうか。少しだけ——怖かった。
「……なんだ、そんなことか」
最初に口を開いたのは——ニコ、だった。
「え?」
「いやさ。——もう、王宮で見ちまったしな。だんなが、衛兵をまとめて薙ぎ倒すとこ。ありゃあ、とんでもなかったぜ」
ニコが、にっと笑う。
*
「それに——薄々、感づいてたんだ。だんなが、ただ者じゃないってことは」
ニコが、続ける。
「紙を広めて、商会を大きくして。行き場のないおれたちを次々助けて。そんなこと、普通の貴族のボンボンにできるかってんだ」
「そう、そう!」
留守番組の、若い衆も、口々に頷く。
「だんなが、何かすごい秘密を持ってるんだろうな、ってのは。薄々、思ってましたよ」
ワタシは——拍子抜けした。
「怒らない、のか? ——今まで、黙っていたのに」
「怒る? ——なんでだよ」
ニコが、きょとんとする。
「だんなが力を隠してたのは、おれたちを巻き込まないためだろ。目立たないようにして、ひそかに困ってる奴を助けるためだったんだろ?」
ニコの言葉に、ワタシは息を呑んだ。
ワタシが力を隠してきた理由を、ニコはちゃんと見抜いていた。
*
「だったら——怒るわけ、ないだろ。むしろ、そんなすげえ力をひけらかしもせず、黙って人助けに使ってた、なんて。——かっこよすぎるぜ、だんな」
その言葉に、商会中が、わっと沸いた。
「だんな、見直したぜ!」
「ていうか、もともと尊敬してたけどな!」
口々に囃し立てる、仲間たち。ワタシは、なんだか照れくさくて、頬をかいた。
(——なんだ。心配して、損した)
あれほど打ち明けるのを恐れていたのに。みんなは、あっさりと。いや、むしろ喜んで——受け入れてくれた。
長年、独りで抱えてきた秘密。それを下ろせた安堵が、じんわりと胸に広がっていく。
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「ったく。水くさいぜ、だんな」
ニコが、ワタシの肩に腕を回してきた。
「おれたちは——もう、仲間だろ。力があろうが、なかろうが、だんなは、だんなだ。何も変わりゃしねえよ」
「ニコ……」
「それに——力のこと、隠しときたいなら。おれたちが口をつぐんでりゃ、いい。なあ、みんな!」
「おう!」
仲間たちが、力強く頷く。ワタシの秘密を、みんなで守ろうと言ってくれている。
ワタシは——胸が熱くなるのを、感じた。
*
「ふっ。——良い、仲間を持ったな、ルキウス」
近くで聞いていたアルベルトが、静かに微笑んだ。
「お前が、力を隠してまで、守ろうとしたものが。何だったのか——よく、わかる気がする」
元剣聖の、その言葉には。どこか、しみじみとした響きが、あった。
彼もまた、大切な妹を守るために、心ならずも剣を振るってきた。守りたいものがある、その想いは——ワタシと、同じなのだ。
ワタシは、アルベルトに、頷き返した。
(——アルベルトさんの、妹さんも。必ず、助けないと)
その決意を、改めて、胸に刻む。
*
「さあ、湿っぽいのは、なしだ! 飲み直すぞ!」
ニコの音頭で、宴は再び、賑わいを取り戻した。
笑い声。歌声。グラスのぶつかる音。
長く張り詰めていた空気が、今夜は——すっかり、緩んでいた。
ワタシは、賑やかなその光景を眺めた。家族。仲間。フィー。クラリスティア。二人の父。そして、アルベルト。
誰もが、笑っている。共に、戦い抜いた、その先で。
(——守れた。そして——こんなにも、たくさんの人と、繋がれた)
大神官は、まだどこかに潜んでいる。戦いが、終わったわけでは、ない。
でも——今夜くらいは。この束の間の温もりに浸っていても、罰は当たらないだろう。
ワタシは、果実水のグラスを、そっと掲げた。
賑やかな夜は——まだ、続く。




