第114話 解き放つ刃
先に動いたのは——剣聖だった。
ぐっと身を沈めたかと思うと、次の瞬間には、ワタシの懐に飛び込んでいた。
——速い。
レオ兄を一蹴し、クラリスティアを追い詰めた、その剣が。今、ワタシの喉元めがけて、突き出される。
ワタシは半身をひねり、紙一重でかわした。頬を、切っ先がかすめる。
返す刃で斬りかかる。だが——剣聖は、それを難なく受け流した。
甲高い音が、幾度も回廊に響く。
*
数合打ち合って——ワタシは、悟った。
(——剣の腕だけなら、この人の方が上だ)
当然か。剣聖は幼い頃から、剣ひとすじに生きてきた男だ。対するワタシは——剣も努力で磨いたとはいえ、本職には及ばない。
じりじりと押される。剣聖の剣筋は、鋭く、重く、的確だった。
「どうした。——その程度か」
剣聖が、低く言う。
だが——ワタシは、焦ってはいなかった。
(——剣だけで勝とうなんて、最初から思っちゃいない)
ワタシには、剣のほかにも——積み上げてきたものが、ある。
*
ワタシは、足元に魔力を巡らせた。
身体強化。風の操作。——剣技に、魔法を織り交ぜる。
次の剣聖の斬撃を受けた、その瞬間。ワタシは、風を纏った足で地を蹴り、跳んだ。
常人なら、あり得ない跳躍。剣聖の頭上を越え、背後へ回り込む。
「——!?」
剣聖が、初めて体勢を崩した。
ワタシはすかさず、斬りかかる。剣聖が辛うじて、振り向きざま受け止めるが——その表情に、初めて驚愕が走った。
「魔法を——剣に、これほど馴染ませるか……!」
*
ここから、形勢は変わった。
ワタシは風を操り、剣聖の間合いを乱す。身体強化で、剣聖の剣速を上回り、的確に打ち込む。
剣の腕では、敵わない。なら——魔法で補えばいい。いや、補うどころか。剣と魔法を一つにすることで、ワタシの攻撃は、剣聖の対応を超えていく。
剣聖が、防戦に回り始めた。その額に、汗が滲む。さっきまでの余裕は、もう、ない。
「ぐ……っ。なんて男だ。剣も魔法も——どちらも、底が見えん……!」
*
だが——剣聖も、引かなかった。
「——まだ、だ」
剣聖の全身から、闘気が膨れ上がる。残る力を、すべて振り絞るように。
「ここを通すわけには、いかぬ! たとえ——この身が朽ちようとも!」
剣聖が、渾身の一撃を放ってきた。
研ぎ澄まされた、必殺の斬撃。——おそらく、これが、剣聖の奥義。
受ければ、ただでは済まない。かわしても、体勢を崩される。
(——なら)
ワタシは、心を決めた。
(——もう、出し惜しみは、しない)
*
ワタシは剣を構え、左手を前にかざした。
全身の魔力を——一点に、収束させる。
これまで、誰にも見せてこなかった。隷紋を解くためでも、便利のためでもない。ただ——目の前のすべてを、捻じ伏せるための力。
長く、長く温めてきた、その力を。今——解き放つ。
「——っ、これは……!?」
剣聖の目が、見開かれた。ワタシの手のひらに渦巻く、膨大な魔力。その密度に、剣聖の奥義すら——一瞬、止まった。
「悪く、思わないでください」
ワタシは、静かに言った。
「あなたを倒したいわけじゃない。——ただ、前へ進みたいだけ、なんだ」
*
ワタシは、その力に——名を、与えた。
(——『天嵐』)
心の中で、短く、念じる。そして——解き放った。
——どぉん!
轟音と、衝撃。
収束させた魔力が、嵐となって剣聖を襲う。だが——ワタシは、その威力を寸前で制御した。殺すためではない。あくまで——打ち倒す、ため。
吹き荒れる力の奔流が、剣聖の体を捉え、その剣を握る手を弾き、壁へと叩きつける。
——どぉっ!
剣聖の剣が宙を舞い、遠くで音を立てて落ちた。
壁に背を打ちつけた剣聖が、ずるずると崩れ落ちる。
*
回廊に、静寂が戻った。
ワタシは剣を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
手加減は、した。剣聖は気を失ってはいない。だが——もう、立ち上がる力は、残っていないはずだ。
「……まいった」
壁にもたれた剣聖が、掠れた声で呟いた。
「剣でも、魔法でも——完敗だ。これほどの力を持つ者が、なぜ、ただの商人のふりなど……」
その目は——もう、戦意を失っていた。
ワタシは、剣聖に歩み寄った。とどめを刺すためでは、ない。
ただ——この男の目に、ずっと滲んでいた、あの哀しげな色の、わけを。確かめたかった。
*
「……なぜ、あなたは」
ワタシは、静かに問うた。
「そんなに哀しそうな目で、剣を振るうんですか」
剣聖が、はっと顔を上げる。
その表情が——ぐしゃりと、歪んだ。まるで、長い間隠してきた何かが、決壊したように。
「……私とて。——好きで、こんなことをしているわけ、ではない」
絞り出すような、声だった。
月明かりの差し込む回廊。倒れた剣聖の、その口から——今、語られようとしている。
この強く、哀しい男が、なぜ大神官の刃となったのか。——その理由が。




