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第109話 覚悟のしるべ

 わたくし、クラリスティア・オルブライトは。その夜、屋敷の大広間にいた。


 集まったのは、父——オルブライト侯爵。ルキウスの父君、アーデルハイト辺境伯ガイウス様。その息子で、ルキウスの兄君、レオ様。そして、商会のニコたち。


 ルキウスを、そして囚われた陛下を、救い出す。——その作戦を練るための、顔ぶれだった。


 大広間の空気は、張り詰めていた。皆の顔に、それぞれの決意が刻まれている。


*


「では——作戦を、確認しよう」


 父が、低い声で口を開いた。


「鍵となるのは、陛下の救出だ。大神官が王命を騙り、ルキウス殿を陥れた。ならば——その王命が偽りであると、陛下ご自身に証言していただくしかない」


 父の言葉に、皆が頷く。


「陛下さえ表に出て、真実を語れば。大神官の企ては、根底から崩れる。ルキウス殿の無実も、明らかになる」


 だが——と、父は続けた。


「問題は、陛下が宮の奥深くに幽閉されていることだ。大神官の息のかかった衛兵に、固く守られている。正面から訪ねても——会わせては、もらえまい」


*


「だから——陽動を、使う」


 ガイウス様が、太い腕を組んで言った。


「わしが城門で暴れる。『倅に一目会わせろ』と、な。辺境伯がわざわざ王都まで来て、息子に会わせろと騒ぎ立てれば——衛兵どもの目は、嫌でもそちらに向く」


 豪快なその策に、わたくしは息を呑んだ。


「ですが、辺境伯様。それでは、あなた様が——」


「なに、構わん」


 ガイウス様は、豪快に笑った。


「老い先短い年寄りが一人、騒いだところで、どうということはない。それで倅が救えるならば——安いものよ」


 息子のために、自ら囮になる。その覚悟に、わたくしは胸を打たれた。


*


「侯爵様は——大神官を、足止めなさるのですね」


 ニコが、確認するように言った。


「ああ」


 父が頷く。


「わたしは、大神官のもとを訪ねる。『陛下のご容態が案じられる』と、な。侯爵家の当主として、堂々と問いただす。大神官とて——無下には扱えまい。その間、あの男の注意は、わたしに釘付けになる」


 父が大神官を引きつけ、ガイウス様が衛兵を引きつける。その二重の陽動の隙に——。


「本命の潜入部隊が、宮の奥へ忍び込む」


 父の視線が、一同を巡った。


*


「ですが——広い王宮の、どこに陛下が囚われているのか。それがわからなければ——捜しようが、ありません」


 わたくしの問いに、父は——静かに、頷いた。


「その点は——案ずるな。実は、すでに——内通者から、報せが届いている」


「内通者?」


「陛下に長くお仕えしてきた——老侍従の、グレイ殿だ」


 父は、声を、潜めた。


「グレイ殿は、陛下の数少ない味方。大神官の目を盗み、危険を冒して——わたしに、こっそりと伝えてくださった。陛下が、どこに閉じ込められているのか——を」


 わたくしは、息を、呑んだ。


 陛下のお側に仕える忠臣が、命の危険を顧みず——わたくしたちに、手を貸してくれている。


「グレイ殿によれば——陛下は、王宮の奥にある古い離宮に幽閉されている、とのことだ。表向きは使われていない建物だ。——そこなら、人目にもつかぬ」


 居場所さえわかれば、あとは——そこへ、たどり着くだけ。


*


「潜入には、商会の中でも特に身の軽い者たちがあたる」


 ニコが進み出た。


「俺と、商会の腕利き数人。それに——レオの旦那」


「ああ」


 レオ様が、力強く頷いた。


「俺は辺境で、魔物討伐をやってきた。荒事には慣れてる。衛兵の一人や二人——黙らせるくらい、わけはない」


 頼もしい言葉だった。けれど——わたくしには、一つ気がかりがあった。


「皆様。——王宮の内部は、ご存じですか」


 わたくしの問いに、一同が口をつぐんだ。


*


「王宮は——広く、入り組んでいます。離宮の場所が、わかっていても。やみくもに進めば、たどり着く前に迷い、捕まるのがおちです」


 わたくしは続けた。


「どの回廊が、どこへ通じているか。どこに衛兵の詰所があるか。それを知る者が、案内しなければ——潜入は、成功しません」


「クラリスティア様は——ご存じなので?」


 ニコの問いに、わたくしは、はっきりと頷いた。


「ええ。わたくしは侯爵家の娘として、これまで幾度も、王宮の行事や社交の場に出入りしてまいりました。宮の造りは——おおよそ、頭に入っております」


 一同が、顔を見合わせた。


*


「ですから——わたくしも、潜入部隊に加わります。道案内として」


 その瞬間。


「ならん!」


 声を上げたのは——父だった。


「クラリスティア。お前を、そんな危険なことに——巻き込めるか。万一捕まれば、不法侵入の咎で——お前まで罪に問われるのだぞ」


「承知の上です、お父様」


 わたくしは、父の目をまっすぐに見返した。


 胸の奥が、震えていた。けれど——退くつもりは、なかった。


*


「お父様。わたくしは——もう、決めたのです」


 わたくしは、静かに、けれど強く言った。


「ルキウスは今、独り囚われておられます。何も悪いことなどしていないのに。理不尽に、罪を着せられて」


 ルキウスの、あのまっすぐな瞳が、わたくしの脳裏に浮かぶ。


「わたくしは——あの方をお救いしたい。陰で支えるだけでは、もう足りない。この手で——あの方の力に、なりたいのです」


 声が、震えた。けれど、言葉は止まらなかった。


「王宮の道を知るわたくしが行かなければ、皆様を危険にさらすことになります。ならば——わたくしが行くのが、一番確実なのです。どうか——行かせて、ください」


 わたくしは、深く頭を下げた。


*


 しばらく、沈黙が流れた。


 父は、苦渋の表情で、わたくしを見つめていた。娘を危険にさらしたくない。その想いは——痛いほど、伝わってきた。


 やがて——父は、長い息をついた。


「……お前は、本当に。強くなったな、クラリスティア」


 その声には、案じる想いと——どこか誇らしげな響きが、あった。


「氷のように澄まして、誰にも心を開かなかったお前が。一人の人のために、ここまで——」


 父は言葉を切り、そして頷いた。


「わかった。——行きなさい。ただし、決して無茶はするな。危ういと思ったら、必ず退け。約束、できるな」


「はい。——ありがとうございます、お父様」


 わたくしは、こみ上げるものを堪えて頷いた。


*


「——よし。役割は、決まったな」


 ガイウス様が、一同を見回した。その顔はもう、ただの好々爺ではなかった。戦いに臨む、武人の顔だった。


「だが——皆、よく聞いてくれ」


 ガイウス様の声が、低く響いた。


「これは——危険な賭けだ。王宮に無断で忍び込む。失敗すれば——ここにいる全員が、不法侵入の罪で捕らえられる。下手をすれば——命すら、危うい」


 大広間に、緊張が走った。


「それでも——やるか。引くなら、今のうちだ。誰も、責めはせん」


*


 誰一人——退こうとは、しなかった。


「俺は、やります」


 ニコが、即座に言った。


「だんなには、拾ってもらった恩がある。命を張るくらい——どうってことない」


「俺も、当然行く」


 レオ様が続く。


「弟を見捨てて帰れるか。兄貴ってのは——そういうもんだ」


 商会の皆も、次々と頷いた。誰の目にも——揺るぎない覚悟が、宿っていた。


 わたくしは——その光景に、胸が熱くなった。


 ルキウス。あなたは、こんなにも多くの人に愛されている。その人たちが今——あなたのために、命を懸けようとしている。


*


「決まりだな」


 父が、立ち上がった。


「決行は、明日の夜。月の出ていない闇夜が、好都合だ。それぞれ抜かりなく、支度を整えてくれ」


 皆が頷き、散っていく。


 わたくしは一人、窓辺に立ち、夜空を見上げた。


 明日——わたくしは、王宮に忍び込む。氷のバラと呼ばれた令嬢が、危険を承知で、闇に紛れて。


 恐ろしくないと言えば、嘘になる。けれど——それ以上に、胸の奥には、確かな熱があった。


(——待っていてください、ルキウス)


 わたくしは、夜空に祈った。


(——必ず陛下をお救いし、あなた様の無実を晴らしてみせます。わたくしの——この命に、代えても)


 冷たい夜気の中。わたくしの決意は——一つの灯火のように、静かに燃えていた。

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