第107話 息子の歩いた道
幾日も馬車を飛ばし、わしたちはようやく王都に着いた。
北の辺境から王都までの道のりは遠い。だが、休んでいる暇などなかった。ルキが囚われている。その一心で、わしたちはひたすらに馬を走らせ続けたのだ。
王都の門をくぐると、エルマがぽつりと言った。
「ここで、ルキは暮らしていたのね」
その声には、息子を案じる母の想いが滲んでいた。
*
わしたちはまず、ルキの商会——アステリア商会を目指した。
息子が王都で興したという店。正直、わしはその商売の中身を、よくは知らなかった。紙を扱っているとは聞いていたが。
たどり着いたその商会は、思っていたよりもずっと立派な構えだった。だが今は——どこか沈んだ空気が漂っている。主を奪われた店の、悲しみが。
「ごめんください。——わしは、ルキの父だ」
わしがそう名乗ると、店の奥から、数人の若者が飛び出してきた。
*
「ルキのだんなの——お父様!?」
先頭の青年が、目を見開いた。痩せた体に、鋭い目つき。だがその目には、隠しきれない必死さが宿っている。
「おれは、ニコ。だんなの——いえ、ルキの商会で働いている者です」
ニコと名乗った青年は、深々と頭を下げた。その後ろにも、何人かの若者が控えている。
そしてその中に——見知った、銀色の髪の少女がいた。
「フィー! お前も、ここに、いたのか」
わしが、思わず声を上げると。フィーは、わしたちの顔を見るなり、ぽろぽろと、涙をこぼし始めた。
「お父様……。奥様も、セリアお姉様も、レオお兄様も……」
辺境の屋敷で、共に過ごした、あの頃のように。フィーは、わしたちに、駆け寄ってきた。
「ルキさまが……ルキさまが、捕まって……っ」
言葉にならず、肩を震わせるフィー。セリアが駆け寄り、その肩をそっと抱いた。
「フィーちゃん。——大丈夫よ。わたしたちが、来たからね」
エルマも、母親の顔で、フィーの背を、優しくさすった。
この子は——辺境にいた頃から、ルキが、大切に、想ってきた娘。わしらにとっても、家族同然の、存在だ。その子が、こんなにも、憔悴している。それだけでも、事の深刻さが、伝わってきた。
ああ——この子たちは皆、本気でルキを案じているのだ。
*
わしたちは、商会の中へ通された。そこでニコたちから、これまでのいきさつを聞いた。
ルキが衛兵に踏み込まれ、「国家転覆」の罪で連れ去られたこと。突きつけられたのが、王の印璽の押された捕縛状であったこと。
「でも、おかしいんです」
ニコが、悔しそうに言った。
「だんなは王様と、心を通わせていた。なのに、いきなりこんな——。だからおれたちで、裏を探ったんです。そしたら」
ニコは、声を潜めた。
「最近、王様が表に出てこない。ずっとご体調が優れないとかで。代わりに大神官猊下が、政務を執っていると」
わしの眉が、寄った。
*
大神官。その言葉を聞いた瞬間、わしの腹の底で、何かがざわついた。
「ルキは……前に、手紙で書いてきたことがある」
わしは、記憶をたどった。
「商会の邪魔をする、大きな力がある、と。それが何なのかは書いてなかったが。——もしや、その正体が大神官だったのか」
「おれも、そう睨んでます」
ニコが頷いた。
「だんなが紙を広めて、民が賢くなるのを。あのお方は面白く思ってなかったんでしょう。だから——こんな強引な手で」
わしは、拳を握りしめた。
わが子を陥れたのが、この国の神殿を束ねる大神官だというなら。これは——とてつもなく大きな敵だ。
*
だが——それ以上に、わしの胸を打ったのは、別のことだった。
「お父様」
フィーが、涙を拭いながら言った。
「ルキさまは王都で、たくさんの人を助けてきました。ここにいる、みんなも——行き場のなかったところを、ルキさまに救われて。商会で、居場所を、もらったんです」
「おれもです」
ニコが続けた。
「おれは昔、しがない詐欺師でした。誰にも信じてもらえなかったおれを、だんなだけが『お前は本当は優しい奴だ』って——拾ってくれたんです」
一人、また一人。商会の若者たちが、口を開く。
行き場を失っていたところを救われた者。重い病の家族を、ルキの伝手で助けてもらった者。それぞれが、それぞれのルキとの出会いを語った。
わしは——言葉を、失った。
*
知らなかった。
ルキが王都で、こんなにも多くの人を救い、こんなにも多くの人に慕われていたとは。
あの子は辺境にいた頃から、優しい子だった。だがそれが——ここまで大きなものに育っていたとは。
「商会の外でも、そうなんです」
ニコが言った。
「だんなが捕まったって聞いて、街の人たちがみんな心配してる。『あのいい御方が、なぜ』『何かの間違いだ』って。だんなはそれだけ、たくさんの人に慕われてるんです」
わしの目頭が、熱くなった。
かつて、わしはあの子の生き方を「家門の名に泥を塗った」と叱った。商売だの改革だのと、貴族の子らしからぬことを、と。
だが——どうだ。あの子はわしの知らぬところで、こんなにも立派に、こんなにも人のために生きていたのだ。
(——ルキ。お前は、わしの誇りだ)
*
「お父様」
黙って聞いていたレオが、口を開いた。その声は、震えていた。
「俺……ルキのこと、ガキの頃から知ってるつもりだった。でも——こんなの知らなかった。あいつ、こんなにすげえこと、してたなんて」
レオの目にも、光るものがあった。
「父上。——俺、ますますあいつを助けたくなった。あいつは、俺の自慢の弟だ」
「ああ」
わしは、頷いた。
「だからこそ——何としても助け出す。この、アーデルハイト家の総力を挙げてでも」
*
「あの、お父様」
その時、フィーが、おずおずと口を開いた。
「実は——わたしたちの他にも、ルキさまのために動いてくださっている御方が、いるんです」
「ほう。——どなただ」
「オルブライト侯爵家の、ご令嬢。クラリスティア様と、おっしゃる御方です」
ニコが、後を引き取った。
「クラリスティア様は、前から陰でだんなを支えてくれてたお人で。だんなが捕まったって知って、侯爵家の力で動いてくれてるんです。『事情を調べて、できる限りの手を尽くす』って」
オルブライト侯爵家。その名に、わしは聞き覚えがあった。王都でも名の知れた、有力な侯爵家。
*
(——侯爵家が、味方に)
わしは、考えを巡らせた。
辺境伯家のわしらだけでは、王都での力は限られる。だが——王都に根を張るオルブライト侯爵家が、共に動いてくれるなら。これほど心強いことはない。
しかも、その令嬢は、ルキを陰で支えてきたという。
(——ふむ。クラリスティア、どの、か)
なにやら、ただの支援者というだけでは、なさそうな気配も感じたが。——今は、それを詮索している場合ではない。
「ニコ、とやら」
わしは、青年に向き直った。
「そのオルブライト侯爵に——是非、お会いしたい。共にルキを救うために手を結びたいと、伝えてくれ」
「はい! ——すぐに、つなぎを取ります!」
*
こうして——辺境の家族と、王都の仲間が、一つになった。
わしは、商会の窓から、王都の街並みを見渡した。
どこかに、ルキが囚われている。だが——あの子は、独りではない。
血の繋がった家族。心を通わせた仲間。そして、陰で支える侯爵令嬢。あの子がこれまで誠実に生き、積み重ねてきたすべてが。今——あの子を救うために、動き出している。
(——待っていろ、ルキ)
わしは、心の中で、息子に誓った。
(——お前が撒いた種は、こんなにも大きく育っている。その、すべてが、今、お前の味方だ。だから——必ず、助け出す)
戦いは、これからだ。だが、わしの胸には——確かな希望の灯が、ともっていた。




