第103話 動き出す者たち
だんなが、連れて、いかれた。
その衝撃で、商会の中は——しんと、静まり返っていた。
いや。静まり返っていたのは——最初の、ほんの一瞬だけ。
「うあ……ああ……っ」
フィーが——その場に、崩れ落ちた。
「ルキさま……ルキさまぁ……っ」
両手で顔を覆い、肩を震わせて——泣きじゃくる。
その姿に、おれの胸も——締めつけられた。
*
「だんな……」
ラントが、呆然と立ち尽くしている。商会の若い連中も、みな青ざめ——どうしていいか、わからない様子だ。
無理も、ない。
ついさっきまで、いつも通りの日常があったのに。それが突然、衛兵が雪崩れ込んで——だんなを「国家転覆」だなんて、馬鹿げた罪で——引っ立てて、いった。
おれだって、内心は——煮えくり返っていた。
(——ふざけるな……!)
だんなが。あの、だんなが。——国家転覆だと?
誰よりも、この国のことを、民のことを考えてる人が。——そんな罪で、縛られるなんて。
怒りで、手が震える。
*
だが——。
(——いや、待て。——落ち着け、ニコ)
おれは、奥歯を噛んだ。
ここで、おれまで取り乱して——どうする。
昔のおれなら、こんな時、とっくに逃げ出していた。詐欺師だった頃のおれなら、面倒事の匂いがしたら——さっさと、ずらかっていた。
でも——今は、違う。
だんなが、そんなおれを拾ってくれた。——「お前は本当は優しい奴だ」と、信じてくれた。
その恩を返すのは、今——だろうが。
*
「——おい、お前ら!」
おれは、腹に力を込めて——声を、張った。
しん、と——みんなの視線が、集まる。
「いつまで——めそめそ、してる、つもりだ! ——そんなんで——だんなが——助かるのか!?」
自分でも驚くほど、大きな声が——出た。
「だんなは——言ったろ。『必ず、戻る』って。——『商会を、頼んだ』って。——なら——おれたちが、やることは——一つだろうが!」
フィーが、涙に、濡れた、顔を——上げた。
「ニコ、さん……」
「泣いてる、暇が——あったら。頭を、使え! ——どうすりゃ——だんなを、助けられるか。——それを——考えるんだよ!」
*
おれの言葉に、みんなの目に——少しずつ、光が戻ってきた。
「そう……ですね」
メイアが、静かに頷いた。——さすがに、肝が据わっている。
「取り乱して、いても——ルキさまは、戻りません。——わたしたちに——できることを、しましょう」
「……はい」
フィーが、涙を拭った。まだその目は赤かったが、もう——泣いては、いなかった。
「わたし——ルキさまを、助けたい、です。——何でも、します。——だから——教えて、ください。——わたしたちに、何が——できるのか」
その目には、もう——さっきまでの絶望は、なかった。
(——よし)
おれは、頷いた。
*
「まずは——情報だ」
おれは、みんなを見回して——言った。
「なんで——だんなが、いきなり、捕まったのか。——『王命』って、言ってたが——本当に——王様が、そんな、命令を——出したのか。——裏で——何が——起きてるのか。——それを——探る」
こういうのは、おれの——得意分野だ。
元、詐欺師。胸を張れたことじゃないが、おかげで——裏社会の人脈も、情報を嗅ぎつける勘も——人並み以上には、ある。
「おれの——昔の、つてを、当たってみる。——役所の、下働き。——酒場の、亭主。——情報を、握ってそうな——連中に——片っ端から——あたるんだ」
「わたしも——手伝います」
ラントが、前に出た。
「取引先や——お得意さんに、聞いて、回ります。——何か——噂を——耳にしてるかも」
*
「いいぞ、ラント。——だが——気を、つけろよ」
おれは、釘を刺した。
「相手は——だんなを、でっち上げの、罪で——捕まえる、ような——奴らだ。——下手に——嗅ぎ回ってるのが——バレたら。——次は——おれたちが——狙われる。——あくまで——さりげなく。——いいな」
「は、はい」
「フィー。——お前は、商会で——待機だ」
「え……。——でも、わたしも——」
「お前は——だんなの、一番、近くに、いた。——顔も——割れてる。——お前が——うろつけば——目立ちすぎる」
フィーが、悔しそうに——唇を、噛む。
「……それに」
おれは、少しだけ——声を、和らげた。
「だんなが——戻ってきた、時。商会に——誰も、いなかったら——寂しいだろ? ——お前は——ここを——守って、いてくれ。——それも——大事な、役目だ」
「……はい。——わかり、ました」
*
こうして、おれたちは——動き出した。
おれは街へ出て、昔のつてを——一つひとつ、当たっていった。
だが、街の様子は、すでに、おかしなことに——なっていた。
「よう。——聞いたか? ——アステリア商会の、旦那が——捕まったって」
「ああ。——国家転覆、だってな。——信じられねえ」
「あの、紙を——広めて、くれた、お人だぞ? ——うちの、ガキも——あの、安い紙で——字を、覚えたんだ」
「何かの——間違いじゃ、ねえのか。あんな——いい御方が」
市井にも、もう——噂は、広まっていた。
だんなを慕う声。逮捕を信じられない声。そして、ひそひそと囁かれる——様々な、憶測。
*
おれはその声を聞きながら、改めて——思い知った。
だんなは、いつの間にか。——こんなにも——多くの、人に——慕われて、いたんだ、と。
安い紙を広め、民が字を学べるようにした。——困ってる奴を放っておけず、手を差し伸べてきた。
その積み重ねが、今、こうして、人々の心に——根を、張っている。
(——だんな)
おれは、拳を握りしめた。
(——あんたは——一人じゃ、ない。——あんたが——救ってきた——たくさんの——人が、いる。——そして——おれたち、仲間が、いる)
必ず、助け出す。
おれは、夜の街を——見据えた。
元詐欺師のおれに、何ができるか、わからない。でも——やれることは、全部やる。
だんながおれを信じてくれたように。今度はおれが、だんなを信じて——動く、番だ。
*
その夜、おれは——いくつかの有力な情報を、掴んだ。
どれもまだ断片的だったが、一つ——確かなことが、見えてきた。
最近、王様が表に姿を見せていない。そして大神官猊下が、その代わりを——務めている、らしい、と。
(——大神官)
おれの背筋に、冷たいものが——走った。
だんなが前に言っていた、商会の邪魔をする大きな力のこと。——もしかして、その正体は。
まだ確証は、ない。だが、何かとてつもなく大きなものが——だんなを、飲み込もうとしている。——その予感が、おれの胸を——ざわつかせた。
長い、夜に——なりそうだった。




