第102話 偽りの王命
それは——あまりにも、突然だった。
その日、ワタシは商会で——いつものように、仲間たちと仕事をしていた。
ニコと帳簿を突き合わせ、フィーがお茶を淹れてくれて、メイアが、薬草の整理をしている。ありふれた、けれど——かけがえのない、日常。
その平穏を打ち破るように、商会の扉が——乱暴に、開け放たれた。
*
「アステリア商会、当主——ルキウス・フォン・アーデルハイト!」
雪崩れ込んできたのは、武装した衛兵たち。——その数、十名以上。
先頭の隊長らしき男が、一枚の書状を——突きつけた。
「貴殿に、王命による捕縛状が出ている。——国家転覆を企てた咎により、同行願おう」
「——は?」
ワタシは一瞬、何を言われたのか——わからなかった。
「国家、転覆? ——何かの間違いでは」
「問答は無用。——これは、王命である」
隊長が書状を掲げる。そこには確かに、王の印璽が——押されていた。
*
「ちょ、ちょっと待てよ!」
立ち上がったのは、ニコだった。
「だんなが国家転覆だって!? ——そんなのデタラメに決まってる! だんなは——みんなのために働いてるんだ!」
「そうです!」
フィーも、青ざめた顔で——前に出た。
「ルキさまはそんなこと、するわけありません! ——何かの、間違いです!」
仲間たちが口々に抗議する。衛兵たちの手が、剣の柄にかかる。——一触即発の、空気。
(——まずい)
ワタシはとっさに、みんなを——制した。
「やめろ。——みんな、下がっていて」
*
ワタシは必死に、頭を働かせた。
国家転覆の罪で、王命による捕縛。——だが、おかしい。
王は、ワタシを信じてくれていた。グレイを介して、幾度も心を通わせ——「いつか共にこの国を変えよう」と、夢を託してくれた、あの王が。
その王が今さら、ワタシを——「国家転覆の罪人」として、処刑しようとする?
(——あり得ない)
あの王に限って、そんなこと。——何か裏に、事情があるはずだ。
ならば、ここで暴れては、いけない。力を使って衛兵をなぎ倒して逃げれば——それこそ本当に、反逆者になる。仲間たちも、巻き込んでしまう。
幸い、牢に入れられても、ワタシの力なら、いつでも抜け出せる。今は——耐える時だ。
「……わかった」
ワタシは、両手を——上げた。
「同行しよう。——抵抗は、しない」
*
「ルキさま!?」
フィーが、悲鳴のような声を——上げた。
「どうして! ——抵抗しないなんて——!」
「フィー」
ワタシはできる限り、穏やかに——微笑んだ。
「大丈夫だ。——何かの間違いだから、すぐに戻ってくる。みんな、商会を頼んだ。——そして、絶対に無茶はするな。衛兵に逆らっちゃ、いけない」
ワタシは一人ひとりの顔を見た。ニコ。メイア。そして——今にも泣きそうな、フィー。
「必ず戻る。——約束だ」
両手を縄で縛られ、ワタシは——衛兵たちに、引き立てられた。
振り返ると、フィーが両手で口を押さえ、大粒の涙を、こぼしていた。その隣でニコが拳を握りしめ、メイアが——唇を、噛んでいる。
(——みんな、すまない。——でも、必ず戻る)
*
商会を出ると、外には、さらに多くの衛兵が——待ち構えていた。
逃げ場など、どこにもない。物々しい包囲の中、ワタシは——王都の大通りを、引き立てられていく。
縄を打たれた、罪人の姿。
道行く人々が、足を止め——ひそひそと、何かを囁き合う。
「おい、見ろよ。——あれ、アステリア商会の……」
「国家転覆、だってよ。——あんなに、立派な御方が」
「まさか。——何かの、間違いじゃ……」
好奇と、戸惑いの——無数の視線が、突き刺さる。
ワタシは、ただ前を向いて——歩いた。
俯けば、罪を認めたことに、なる。ワタシは、何も——やましいことなど、していない。だから——背筋を伸ばし、まっすぐに——歩き続けた。
けれど——胸の奥は、ざわついていた。
(——一体、誰が。——こんな、大掛かりな茶番を)
答えは、薄々、見えている。だが——今は、まだ。——確かめる術が、ない。
*
やがて、行く手に——王城が、そびえ立った。
いつもは、遠くから、仰ぐばかりの、威容。——それが今、ワタシを——飲み込もうと、口を開けている。
巨大な、城門。その両脇に、居並ぶ衛兵たちが——冷たい目で、ワタシを——見下ろした。
門をくぐると、空気が——一変した。
石造りの、長い回廊。魔法の灯りが、ゆらめき——足音だけが、やけに大きく——反響する。
すれ違う、文官たちが、ぎょっとした顔で、道を空け。——遠巻きに、ワタシを——窺っている。
誰一人、声を、かけてはこない。——まるで——触れれば、己も罪に問われるとでも——いうように。
(——異様だ)
城全体が、何か、重苦しい、緊張に——包まれている。
その、息の詰まるような空気が、王の身に何かが起きたことを——無言のうちに、物語っていた。
*
回廊を抜け、階段を——下りていく。
降りるごとに、灯りは、乏しくなり。——空気は、冷たく、湿って——黴の匂いが、鼻をつく。
地下深く。——光の、届かぬ場所。
そこが——王都の地下牢、だった。
ずらりと並ぶ、鉄格子。その奥の、暗がりから——誰のものとも知れぬ、呻き声が——かすかに、漏れ聞こえる。
ワタシは、最奥の——一室へと、押し込まれた。
冷たい石壁。藁の敷かれた、硬い床。——天井近くの、小さな鉄格子から——わずかな光が、差し込むだけ。
がしゃん——!
重い、鉄の扉が——叩きつけるように、閉じられた。
その、音が。地下牢の、闇に——いつまでも、響き渡る。
錠前の、回る、硬い音。——遠ざかる、衛兵たちの——足音。
そして——静寂。
*
ワタシは、一人——硬い床に、座り込んだ。
ほんの、数刻前まで。温かな商会で、仲間たちと——笑い合っていた。
それが今は——光も乏しい、冷たい地下牢の中。
あまりの、落差に、思わず、乾いた笑いが——漏れそうになる。
(——とんでも、ないことに、なったな)
縛られた手首が、じくじくと、痛む。——冷気が、体の芯まで——染み込んでくる。
だが、不思議と。——心は、折れて、いなかった。
牢の錠前など、魔力で、いつでも、開けられる。——その気になれば、この壁ごと——吹き飛ばして、出ていける。
けれど——今は、動かない。
まずは、知らなければ。この騒動の裏で——一体、何が、起きているのか。——王の身に、何があったのか。
それを、確かめるまでは——軽率には、動けない。
*
ワタシは、冷たい鉄格子の——向こうの闇を、見据えた。
大神官、ベルゲン。この一件の裏に、あの男がいる。——それだけは、もう——疑いようがない。
証人を消し。そして今度は——王命まで、持ち出して、ワタシを——葬ろうとしている。
(——どこまで)
冷たい、怒りが——静かに、込み上げる。
けれど、ワタシは、その怒りを、奥歯で——噛み殺した。
今は、焦る時では、ない。——耐えて、見極めて——そして、機が来た時に。——一気に、動く。
長く、隠してきた、この力を。——振るうべき時が。——刻一刻と、近づいている。
その予感だけが、冷たい牢の中で。——ワタシの胸を、静かに——熱く、していた。




