表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/50

第11話 あかい、ほうが、いいです

 解除の、翌朝。


 ワタシは、寝不足の、重い頭を抱えて、目を覚ました。


 昨夜は、結局、明け方近くまで、眠れなかった。隷紋を解いた高揚と、安堵と、そして——「やってしまった」という、遅れてやってきた実感とで、頭の中が、ずっと、ぐるぐるしていたからだ。


(——もう、後戻りは、できないな)


 ワタシは、王国法を、破った。死刑になっても、おかしくない、大罪を。


 でも、不思議と、後悔は、なかった。むしろ、あの、フィーの首から鎖が消えた瞬間を思い出すと、胸の奥が、じんわりと、温かくなる。


(——さて。フィーは、どうしてるかな)


 ワタシは、身支度を整えながら、ふと、あることに、思い至った。


(——そうだ。フィーの、首)


 昨夜、ワタシは、フィーの隷紋を、消した。——だが、それは、この世界の常識では、絶対に、ありえないことだ。隷紋は、誰にも消せない。それが、この国の、揺るがぬ大前提。


 なのに、フィーの首には、もう、隷紋がない。


 もし、これを、誰かに見られたら。「なぜ、消えている?」と、怪しまれる。そして、たどっていけば——ワタシが、隷紋を消せるという、最大の秘密に、行き着いてしまう。


(——それだけは、絶対に、まずい)


 隷紋が「ある」ことより、「ない」ことのほうが、よほど、危険なのだ。皮肉な、話だけれど。


 ワタシは、戸棚から、柔らかい、生成りのスカーフを、選び出した。これを、フィーに渡そう。首元を、隠すように、巻いてもらう。——事情を知らない者の前では、決して、外さないように。


 幸い、この家で、フィーの隷紋を消したことを知るのは、ワタシと、セバスだけだ。家族は、誰も、知らない。——だからこそ、なおさら。フィーの首は、隠しておかなければ、ならなかった。


 ワタシは、スカーフを手に、フィーにあてがった、客間へと、向かった。



 客間では、フィーが、ぽつんと、椅子に、座っていた。


「フィー。おはよう。——これ、君に」


 ワタシは、持ってきた、生成りのスカーフを、そっと、差し出した。フィーは、きょとんと、それを、見つめる。


「首に、巻いて、おいてほしいんだ。——外では、いつも。人前では、外さないように」


 フィーは、こくりと、頷いた。理由も、訊かずに。ただ、ワタシの言うことだからと、素直に、受け取ってくれる。


 その、あまりの素直さに。ワタシは、少しだけ、胸が、痛んだ。


(——ごめんな。本当は、君が、悪いわけじゃ、ないのに)


 隷紋を消したのは、ワタシだ。なのに、その痕跡を隠すために、フィーが、首を隠して生きなければ、ならない。理不尽な、話だ。


 でも——今は、これしか、ない。この首の秘密が、露見すれば。ワタシだけでなく、フィーの、せっかく手にした、この穏やかな日々まで、崩れてしまう。


 フィーは、渡されたスカーフを、両手で、大切そうに、握って。それから、ぎこちない手つきで、自分の首元に、巻いてみせた。生成りの布が、あの忌まわしい痕を、そっと、覆い隠す。


「……こう、ですか」


「うん。——よく、似合ってる」


 ワタシが言うと、フィーは、ほんの少し、頬を、赤くした。



 ワタシが、いったん部屋を出て、しばらく、してから。


 もう一度、様子を見に、客間へ、戻ろうとした、その時だった。


 中から、声が、聞こえる。


 姉セリアの、明るい声と——もう一つ、小さな、ためらいがちな声。


「ねえフィー、こっちのリボン、可愛いと思わない? あなたの髪、銀色で綺麗だから、きっと似合うわ! さ、つけてみましょ!」


「……あの」


「ん?」


「…………」


 ワタシは、扉の隙間から、そっと、中を、覗いた。


 セリアが、フィーの髪に、青いリボンを、結ぼうとしている。首元には、さっき渡した、生成りのスカーフが、きちんと巻かれたままだ。フィーは、椅子に座って、それを、されるがままに——いや。


 フィーの手が、ほんの少し、リボンに、伸びかけて。


 止まった。


「フィー? どうしたの? 青、嫌だった?」


 セリアが、首を、かしげる。


 フィーは、うつむいて、しばらく、黙っていた。何かを、ものすごく、迷っているように。膝の上で、両手を、ぎゅっと、握って。


 そして。


「…………あかい、ほうが」


 消え入りそうな、声で。


「……あかい、ほうが、いい、です」


 ワタシは——扉の陰で、息を、呑んだ。


(——今、フィーが)


 セリアの手元には、青いリボンと、赤いリボンが、あった。フィーは、その、赤いほうを、見ていた。


「あら! 赤がいいのね! いいわよ、もちろん!」


 セリアは、ぱっと、顔を輝かせて、赤いリボンを、手に取った。


「ふふ、フィーったら、初めて、自分から、おねだりしてくれたわね! お姉ちゃん、嬉しい!」


 フィーは、自分でも、自分のしたことに、戸惑っているようだった。「おねだり」なんて、したつもりは、ないのに、と言いたげに。けれど、その頬が——ほんの、少しだけ。


 赤く、なっていた。


(——好き、を、言えたんだ)


 ワタシは、扉の陰で、ぐっと、こみ上げるものを、堪えた。


 昨日まで、「好きなものは?」と訊いても、「わかりません」としか、答えられなかった子が。


 今、自分で、「赤いほうがいい」と、言った。


 たった、それだけ。リボンの、色を、選んだだけ。


 でも——それは、フィーが、出会ってから初めて、自分の「好き」を、口にした、瞬間だった。


 隷紋という、鎖が、消えて。


 彼女の心が、ほんの一センチ、外の世界へ、踏み出した、証だった。



「——というわけで、ルキさま。これ、見て、ください」


 その日の、昼下がり。


 フィーが、ワタシのところへ、やってきた。赤いリボンで、結わえた、銀色の髪を、ちょっとだけ、得意げに。


(——わざわざ、見せに、来てくれた)


 これも、昨日までの、フィーには、なかったことだ。自分から、ワタシに、何かを、伝えに来る。それだけで、ワタシは、もう、嬉しくて、たまらなかった。


「うん。すごく、似合ってる。——赤、選んだんだ?」


「……はい。なんだか……赤が、いい気が、して」


 フィーは、自分の髪のリボンに、そっと、触れた。


「……変、ですか」


「ううん。全然。——フィーが、いいと思ったなら、それが、正解だよ」


 ワタシが、そう言うと。


 フィーは、こくん、と、頷いて。


 それから——ほんの、少し、考えるように、首を、傾けてから。


「……ルキさま。あの」


「ん?」


「これからは……その。お洋服も、自分で、選んでも……いい、ですか」


(——っ)


 ワタシは、思わず、フィーの顔を、見た。


 フィーは、おそるおそる、けれど、まっすぐに、ワタシを、見上げている。


 「お洋服を、自分で選びたい」。


 たった、それだけの、ささやかな、願い。


 でも、それは——フィーが、自分の意思で、自分の暮らしを、選ぼうとし始めた、何よりの、しるしだった。


「——もちろん」


 ワタシは、大きく、頷いた。


「フィーの服は、フィーが、選ぶ。当たり前だ。何だって、自分で、決めていい。——君は、もう、自由なんだから」


 フィーは、ぱちぱちと、瞬きをして。


 それから。


 ふ、と。


 ほんの、わずかに——口元を、ゆるめた。


 笑った、とまでは、いかない。けれど、確かに、その表情は、今までの、無表情とは、違っていた。


 春先の、固い蕾が、ほんの少しだけ、ほころんだような。


 そんな、変化。


(——いつか)


 ワタシは、思った。


(——いつか、この子が、声を上げて、笑う日が。来るといいな)


 その日まで。ワタシは、何度でも、待とう。一歩ずつ。少しずつ。



 ——と。


 ほのぼのと、していた、ワタシだったが。


 その夜、セバスから、告げられた一言で、現実に、引き戻された。


「坊っちゃま。一つ、お耳に、入れておくことが」


 いつもの、穏やかな声。けれど、その目は、真剣だった。


「あの娘——フィー様の、ことです。近々、王国の、奴隷台帳の、定期確認が、ございます。領内の、奴隷の数と、隷紋の、照合を行う、お役所仕事ですが」


(——奴隷台帳)


 ワタシの、背筋が、すっと、冷えた。


「フィー様の隷紋は、もう、ございません。坊っちゃまが、消されましたゆえ。——ですが、台帳には、まだ、『アーデルハイト家所有の奴隷』として、記録が、残っております」


 つまり。


 台帳には「奴隷がいる」と書いてあるのに、その奴隷の首には、隷紋が、ない。


 照合すれば、すぐに、わかってしまう。台帳にあるはずの隷紋が、フィーの首から、消えていることが。——本来、誰にも消せないはずの隷紋が、だ。そんな、ありえないことを、やってのけた者がいる。そして——国に無断で、隷紋に手を出すことは、それがどんな形であれ、重い罪に問われる。露見すれば、ただでは、済まない。


「……どうすれば、いい?」


「ご安心を」


 セバスは、ふっと、目を、細めた。


「方法は、ございます。——ただ、それには。坊っちゃまに、少々、込み入ったお話を、させていただく、必要が」


 セバスの声が、わずかに、低くなった。


「私の、昔語りに——少しばかり、お付き合い、願えますかな」


(——セバスの、昔語り)


 ワタシは、ごくり、と、唾を、飲んだ。


 五年前から、ずっと、気になっていた。この、何も訊かず、何も語らない執事が、胸の奥に、抱えているもの。


 それが——今、ようやく、語られようとしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ