第91話 兄の背中
翌日。朝早く。
まだ寝ぼけ眼のワタシは——レオ兄さんに、叩き起こされた。
「おい、ルキ。——起きろ。付き合え」
「……ふぇ? ——な、なんですか。こんな、朝早くから」
「見回りだ。——領地の。たまには、お前も——故郷の現状ってやつを、見ておけ」
(——いや、寝起きにその圧は、勘弁してほしい)
とは思ったものの、レオ兄さんの誘いは——珍しい。ワタシは、眠い目をこすりながら——身支度を、整えた。
*
馬に乗って、二人で——領地を、巡る。
アーデルハイト辺境伯領は——王国の北の果て。魔物の棲む深い森と——隣り合わせの、土地だ。
「この、あたりは——月に何度か、森から魔物が下りてくる」
レオ兄さんが、馬を進めながら——言った。
「だから、定期的に見回って——民に被害が出ないように、目を光らせてる」
その横顔は、いつものぶっきらぼうなレオ兄さんとは——少し、違って見えた。
領地を守る、武人の顔だった。
*
「レオ兄さんが、魔物の討伐を?」
「ああ。——兄貴は、領地経営の方だ。書類仕事だの、民との折衝だの——そういうのは、昔から得意でな」
レオ兄さんは——肩を、すくめた。
「俺は、ああいうのは性に合わねえ。——だから、体を張る方を引き受けてる。魔物が出れば、剣を持って駆けつける。——それが、俺の役目だ」
(——へえ……)
ワタシは——内心、感心した。
ぶっきらぼうで、口の悪いレオ兄さん。でも、この人は——こうして体を張って、領地と民を守っているんだ。
兄ヴィルが、頭で領地を支えるなら——レオ兄さんは、その腕で支えている。
*
「お——出たな」
ふいに、レオ兄さんが——馬を、止めた。
森の際。茂みががさがさと揺れて——一匹の魔物が、姿を現した。
牙を剥いた、大きな猪のような魔物。——フォレストボア、だ。
「下がってろ、ルキ。——こいつは、俺がやる」
レオ兄さんは、ひらりと——馬から、降りる。そして——剣を、抜いた。
(——お)
その構えを見て、ワタシは——少し、驚いた。
隙が、ない。——洗練された、見事な構え。
魔物が突進してくる。レオ兄さんは、一歩も引かず——むしろ、前に踏み込んだ。
——ザシュッ!
一閃。
魔物は、一刀のもとに——斬り伏せられていた。
*
「……すごい」
ワタシは、思わず——呟いた。
「ふん。——この程度、朝飯前だ」
レオ兄さんは、剣を振って——血を、払う。そっけない、けれど——その腕は、本物だった。
(——強い)
ワタシは、素直に——感心した。
ワタシが、こつこつと——魔法の腕を、磨いてきた間。レオ兄さんも、この辺境で——剣を、振り続けていたんだ。
弟が王都で戦っていた間。兄もまた、故郷で——別の戦いを、続けていた。
「レオ兄さんは、強いんですね」
「当たり前だ。——お前と違って、俺には——これしか、ねえからな」
そう言って、レオ兄さんは——ふっと、遠くを見た。
*
「なあ、ルキ」
ふいに、レオ兄さんが——口を、開いた。
「お前、王都で——危ないことも、してるんじゃ、ねえのか」
「……え」
どきり、とした。
「べ、別に。——そんなことは」
「嘘つけ」
レオ兄さんは、ワタシを——じろり、と見た。
「お前は昔から、そうだ。——困ってる奴を見ると、後先考えずに首を突っ込む。——その性分は、変わってねえはずだ」
(——っ)
図星、だった。
「俺は、お前みたいに頭は良くねえ。——お前が王都で何と戦ってるのかも、よくはわからん。だが」
レオ兄さんは、ぶっきらぼうに——でも、どこか心配そうに、言った。
「無茶だけは、するなよ。——お前に何かあったら、姉貴が——泣くからな」
*
(——姉貴が泣く、か)
ワタシは、内心——苦笑した。
それ、自分が泣くの、間違いじゃないですか、レオ兄さん。
……なんて、言ったら——きっと、怒るんだろうな。だから、言わないでおく。
「……はい。——気を、つけます」
「ふん」
レオ兄さんは、そっぽを向いた。けれど、その耳が——少しだけ、赤かった。
「……あのな、ルキ」
「はい?」
「お前が、どんな道を選ぼうと——俺は、兄貴だ。お前の兄貴でいることは——変わらねえ。困ったら、遠慮なく頼れ。——いいな」
(——レオ兄さん)
そのぶっきらぼうな言葉の奥に、どれだけの優しさが——詰まっているか。
ワタシは——よく、知っている。
「……はい。——ありがとうございます。兄さん」
ワタシがそう言うと、レオ兄さんは——照れ隠しのように、ワタシの頭を——わしわしと、乱暴に撫でた。
「いてて! ——ちょ、髪が!」
「がはは! ——少しはたくましくなったかと思えば。——まだまだ、ガキだな、お前は」
*
帰り道。馬を並べて、二人でゆく。
朝日が、辺境の山々を——金色に、染めていた。
ワタシは、隣をゆく——レオ兄さんの背中を、見ていた。
広くて、頼もしい——兄の、背中。
この背中が、この辺境を守っている。ワタシが安心して王都で戦えるのは——こうして故郷を守ってくれる家族が、いるからなんだ。
(——ワタシは、一人で戦ってるつもりで。本当は——たくさんの人に、支えられてるんだな)
胸の奥が、温かくなった。
レオ兄さん。——口は悪いけど、本当は——誰よりも、優しい人。
ワタシは、そんな兄を——心から、誇りに思った。
「……何、にやにやしてんだ。——気味が、悪いな」
「いえ。——別に。いい兄さんだなって——思っただけです」
「——っ! ば、ばか! ——朝っぱらから、何言ってやがる!」
真っ赤になるレオ兄さんに、ワタシは——声を上げて、笑った。
故郷の朝が、どこまでも——清々しく、晴れ渡っていた。




