第89話 姉さんのお相手
翌朝。朝食の席で——とんでもない爆弾が、投下された。
「そういえば、ルキ。——お姉ちゃん、ね。——結婚するかも、しれないの」
「……は?」
ワタシは、口に運びかけたパンを——危うく、落としかけた。
(——いや、いや、いや。待って。さらっと何を言い出すの、この人)
*
「け、結婚!? ——姉さんが!?」
「もう、ルキったら。——そんなに驚かなくても、いいじゃない」
セリア姉さんは、頬に手を当てて——うふふ、と笑った。
(——いやいや、驚くでしょ、普通。朝っぱらから、いきなり激辛のものを口に放り込まれたような、衝撃だよ)
「お、お相手は——どなた、なんですか」
「ふふ、聞いて驚かないでね。——海沿いの領地を治める、貴族のご子息なの。——とっても、素敵な方なのよ」
セリア姉さんの頬が——ぽっと、染まる。
うわあ。——本物だ。——本物の、恋する乙女の顔だ。
*
「社交界の催しで、お会いしたの。——最初はね、ただのご挨拶だったんだけど」
セリア姉さんは——うっとりと、語り始めた。
「お話をしてみたら、とってもお優しくて——誠実な方で。わたくしのつまらない話にも——熱心に、耳を傾けてくださって」
(——へえ)
ワタシは——内心、感心した。
この家族思いで、ちょっと押しの強い姉さんを——受け止められる人が、いたとは。——なかなか、できた御仁だ。
「何度かお会いするうちに、その……。——お互い、惹かれ合って」
「ほう……」
「い、いやだ、ルキ。——そんなに、ニヤニヤしないでよ!」
「いや、別に。——ニヤニヤ、なんて」
してた。——盛大に、してた。だって、あのセリア姉さんが、ねえ。——感慨深いもの、あるって。
*
「で、その、お相手ってのは。——信用できる奴なのか」
むすっとした声で口を挟んだのは——レオ兄さん、だった。
「うちの可愛いセリアを、たぶらかすような野郎じゃ——ねえだろうな」
(——うわ、出た。シスコン、その2)
ワタシは——危うく、噴き出しそうになった。
この兄弟。——揃いも揃って、姉さんに甘い。——いや、人のこと、言えないけど。
「もう、レオったら。——心配しすぎよ。あの方は——本当に、誠実な方なんだから」
「ふん。——どうだか。一度、俺が直接——会って、見定めて——」
「あなたは、黙ってなさい」
母エルマの一言で、レオ兄さんは——撃沈した。
*
「それでね、ルキ」
セリア姉さんが、急に——目を、輝かせた。
「あのね。——その方の領地、ね。——海に、面しているの」
「はあ。——海、ですか」
(——海かあ。この国、内陸が多いから——港のある領地は、貴重だよな)
なんて、のんきに考えていたら。
「だから、わたくし、考えたの。——あなたの、あの紙。今は陸の流通だけ、でしょう? でも——海を使えば、もっと遠くまで——広められるんじゃ、ないかって!」
「——え」
ワタシは——目を、見開いた。
「お嫁に行ったら、わたくし——そのお手伝いが、できるかもしれないわ。海の流通網を使って、ルキの紙を——もっとたくさんの人に、届けるの!」
セリア姉さんは、ぐっと——拳を、握った。
(——姉さん……)
*
ワタシは——胸が、熱くなった。
この人は、自分の結婚の話をしながら——その先で、弟の力になることまで——考えてくれている。
打算でも、なんでもない。——ただ純粋に、好きな人と結ばれて。そのうえで——弟の夢も、応援したいと。——そう、思ってくれている。
(——敵わないなあ、本当に)
昔から、そうだった。——この姉さんは、いつも——ワタシのことを、一番に考えてくれる。
「……ありがとうございます、姉さん。——でも、無理はしないでくださいね。まずは——姉さんが幸せになることが、一番ですから」
「ルキ……」
セリア姉さんの目が——うるっと、潤んだ。
「もう! ——本当に、優しい子に育って! ——お姉ちゃん、感激!」
そして——がばっと、抱きつかれた。
「ちょ、ね、姉さん! ——朝食! 朝食、こぼれます!」
*
「はっはっは! ——セリアも、ようやく嫁に行くか!」
父ガイウスが——豪快に、笑った。
「めでたい! ——よし、今夜は、祝いの宴だ!」
「あなた。——気が、早すぎますよ。——まだ正式に決まったわけでは、ないんですから」
母エルマが、苦笑する。けれど——その顔は、どこか嬉しそうだった。
兄ヴィルも、穏やかに——微笑んでいる。
「セリアが選んだ相手なら、きっと良い方なのだろう。——よかったな、セリア」
「ヴィル兄さん……。——ありがとう」
レオ兄さんだけは、まだ——むすっと、していたけれど。
その目が、少しだけ——寂しそうなのを。ワタシは——見逃さなかった。
(——レオ兄さんは、レオ兄さんで。——姉離れ、できてないんだなあ)
まあ。——気持ちは、わかるけど。
*
にぎやかな朝食。——笑い声の絶えない、食卓。
ワタシは、温かいお茶をすすりながら——この光景を、眺めていた。
姉さんの幸せ。——家族の笑顔。
王都で、大きな戦いを控えている身ではあるけれど——こういう何気ない幸せこそ、ワタシが——守りたいものなんだよなあ。
(——うん。——やっぱり、帰ってきてよかった)
そう思いながら、ワタシは——もう一口、お茶を含んだ。
故郷の朝は、どこまでも——穏やかで、温かかった。
……まあ、この後。——「で、ルキはどうなんだ」と。今度はワタシの恋愛事情に——火の粉が飛んでくるとは。——この時のワタシは、まだ——気づいていなかったわけ、だけど。




