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6話:家庭教師としての決意

 食卓には、昨日に引き続き食欲をそそる出来立ての食事が並んでいた。

 

 大理石のテーブルの上には、湯気を立てる焼きたてのパンに、最高級のクロテッドクリーム、美しく盛り付けられた色鮮やかなサラダ。

 そして卓上の中央には、昨晩に引き続き、黄金色に輝く見事な完熟マンゴーが綺麗にカットされて山盛りにされていた。

 

(昨夜あんなに贅沢にいただいたのに、今朝も……。そういえばどうして私がマンゴーを好きなことを知ってくださったのかしら?)

 

 確か初めてマンゴーを口にしたのは、この公爵邸で家庭教師をしていた頃。

(あの時は……公爵夫人様(ライオス様のお母様)がおやつにと持ってきてくださったのだわ)

 

 本来はライオス様に用意されたものだったが、私にも分けてくださった。そのあまりの甘さに、私は一瞬で虜になってしまったのだった。一口食べたマンゴーに目を輝かせた私を見て、当時七歳だったライオス様は、自分の分まで薦めてくれたのだ。

 

(あの頃から、気遣いのできるお優しい方だったわ。まさかあの時のことを覚えて……?いや、変な期待をするのはよしましょう)

 

 家庭教師のお役目が終わったら、自分で就職先を見つけて出ていかなくてはならない。ライオス様との婚約は、小さい時から珍しい果物を分けてくれていたような優しい彼の、同情にすぎないのだから。

 

 朝食が終わろうとした時、ライオス様が少し名残惜しそうに口を開いた。

 

「クラリッサ。今日は朝食が終わったら、すぐに王宮へ行かなくてはならなくなってしまった。ドレスのデザインについては何個か用意してもらっているから、好きなものを選んで欲しい。一緒に選べないのが残念で仕方ないよ」

「王宮へ、ですか?お忙しいのですね。どうぞいってらっしゃいませ、ライオス様!私ならお気になさらず、ドレスは公爵家の評判を落とさないものを選びますし、リリスティア様の授業は責任持って務めさせていただきますわ!」

 

 私が家庭教師としてのやる気を見せるため、満面の笑みで拳を握ると、ライオス様はなぜか悲しみを堪えた表情でガタリと硬直してしまった。

 

「……そんなに僕に興味が……。……いや、いいんだ。待っていてくれ、クラリッサ。すぐに終わらせて戻るから」

 

 彼はそう悲痛に呟くと、どこか憂いを帯びた美貌に黒い笑みを浮かべ、馬車へと乗り込んでいったのだった。

 

 *

 

「――リリスティア様、ここの方程式は、このように数字を組み替えると、すっきりと解くことができますわ」

「わあ……!本当ね!ライオスお兄様の説明より、ずっと分かりやすいわ!」

 

 アンターナル公爵家の立派な勉強部屋で、リリスティア様は目を輝かせてペンを走らせていた。

 さすがは公爵家のお嬢様、飲み込みが非常に早い。ライオス様も優秀な生徒だったけれど、リリスティア様も負けず劣らず素晴らしい才能を持っている。

 

「先生に教えてもらうの、とっても楽しいわ!ライオスお兄様が、ずっと先生の話ばかりするから楽しみにしていたの!」

「ライオス様が……?」

「うん!先生、すごいのね!」

 

 無邪気に絶賛してくれる小さな天使の言葉に、私の胸の奥が、じんわりと温かいもので満たされていく。

 

 前夫からは「余計なことに口を挟むな」「うるさい女は可愛げがない」と、私の知識も努力も全てを否定され、罵られ続けてきた。

 けれど、ここでは、私の学んできたことが誰かの役に立ち、必要とされている。

 

「そう言っていただけて光栄ですわ。さあ、次は歴史の教科書を開きましょう」

 

 凍りついていた自信が少しずつ溶けていくのを感じていると、リリスティア様がふと手を止め、窓の外を眺めて寂しそうに呟いた。

 

「ライオスお兄様、次はいつ帰ってくるのかしら……。最近、お兄様はずっと忙しそうで、すぐにお家を空けちゃうの」

 

 その言葉に、私の胸が少しだけ、ちくりと痛んだ。

(そうよ……。彼には数多の恋人がいる。次はいつ帰ってくるか分からないんだわ。でも、帰ってくる可能性があるだけ以前の生活よりマシね……)

 

 誰も訪ねてくることのなかったクルメリオン侯爵家の、冷え切った離宮生活の孤独が脳裏をよぎる。

 けれど、目の前の小さな天使にそれを見せるまいと、すぐに気持ちを切り替えた。

 

「大丈夫ですわ、リリスティア様。ライオス様がお帰りになったときに、びっくりするくらい賢くなったお姿をお見せしましょう!さあ、次のページに進みますわよ!」

「うん!がんばるわ!」

 

 まずは、家庭教師としての義務をしっかり果たして、この居場所を守り抜く。次に、いつ婚約が破談になってもいいように、自分の力で生きる手段を探す。

(そして、いつでも出ていけるように、ライオス様を好きになってはいけないわ……でも……もしかしたらこれが一番、私にとって難しい難題かもしれないわね)

 

 私は改めて、あの優しい教え子――ではなく、あまりにも魅力的な大人の男性に成長してしまった元教え子への「心の防壁」を、一層強く張り直すのだった。

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