30話:逃がさないための誓い、甘い策略の夜
ケイラス様が廃嫡されたアンターナル公爵家は、跡取り問題に直面した。
順当にいけば次男のイブリアス様が次の後継者となるが、アンターナル公爵様はライオス様への後継も検討した。
しかし、エレノア夫人がこれに猛反対。最後の望みをかけて熱心に我が子であるイブリアス様を次期公爵に推していらっしゃった。けれど、当のイブリアス様は「研究に使える時間が減る」という理由でこれを断固拒否。「当主に指名されるなら家を出る」と駄々を捏ね、挙句の果てには、私の生家であるラグドール男爵家に養子縁組の提案まで始めるという大暴れっぷりだった。
この事態にエレノア夫人もイブリアス様の推薦を諦め、次期公爵にはライオス様が指名された。
アンターナル公爵様は、一連の騒動の責任を負って隠居を決めており、失意のエレノア夫人もそれに付き従うように本邸を去り、領地の別荘へと移り住んでいった。
引き継ぎが完了し次第、当主となることが確定したライオス様は、領地での仕事が激増し、領地の本邸に泊まり込むことが多くなった。
一方の私は、魔塔での研究を進めるために王都の屋敷に住まう日々。
そんな多忙を極める中でも、ライオス様は週末だけは必ず時間を作って、王都の屋敷へと帰ってきてくれていた。
*
そんな私たちにとって貴重な週末も、進めるべき手続きや相談は山積みだった。その夜も、寝る準備を終えた後にも、ライオス様の部屋で結婚式の段取りの相談をしていたのだけれど……彼が作成してくれた結婚式の式次の中に、私は、どうしても見逃せない一行を見つけてしまった。
「せ、聖女様の『祝福』……!?ライオス様……これは考え直した方がよろしいですわ!」
「どうして?クラリッサは、一生僕だけじゃ嫌?」
「私は構いませんが、ライオス様がいけません!これでは、万が一にも他の方を娶ることができなくなってしまうのですよ!?」
聖女による『祝福』——それは、その術を受けた二人が、生涯お互い以外と関係を持つことを禁じる秘術。もし不貞を働けば恐ろしい天罰が下るとされる、聖女にしか扱えない神聖な縛りだ。
血筋を重視するこの国において、貴族が優秀な子を残すために複数の配偶者を迎えるのは至極一般的なこと。その可能性を最初から一切排除してしまう祝福を、まだ跡継ぎのいないライオス様が受けるなどリスクが高すぎる。私は必死になって、彼に思いとどまるよう説得を試みていた。
加えて、彼が別の方を迎えられなくなることには、もう一つ大きな問題があった。
「それに……男爵家生まれの私では、そもそも正妻にはなれませんわ……」
公爵夫人となる正妻の座には、最低でも子爵位が求められる。私の生まれでは身分が足りない。
ライオス様が私を一途に想ってくれているのは痛いほど伝わっているし、本当に嬉しい。けれど、越えられない規則の壁はどうしようもなかった。
彼の望みを阻んでしまう申し訳なさと、この先彼が誰かと結婚することを見届けなくてはならない苦しさに、胸が痛んで俯く私に、ライオス様は静かだが芯のある声で告げた。
「僕の妻は生涯クラリッサだけ。これは譲れないよ。周りが何と言おうと、公爵夫人の権限はすべて君に渡す。だから、身分を気にする必要はないんだ」
「でも……万が一、私に子ができなかったらと思うと……」
聖女様によって石女ではないと証明されたものの、子供は授かりもの。タイミングよく授かれるかは分からない。それに、若いライオス様に比べ、一度結婚に失敗している私には、出産を考えた時の「残り時間」の焦りもあった。
前の結婚での傷も頭をよぎり、心配が尽きない私。すると、ライオス様は不意に立ち上がり、私を背後からそっと優しく抱きしめた。
「……じゃあ、子供ができてからなら、『祝福』も受け入れてくれる?」
「ライオス様、それって……っ!」
耳元で囁かれる甘く、どこか飢えたような響き。
彼の言葉に驚いて振り返ろうとした瞬間、私の唇はライオス様によって優しく塞がれた。
しばらく、愛おしむように何度も角度を変えて唇を重ねていたライオス様だったが、やがて名残惜しそうに吐息が触れるほどの距離まで少しだけ口元を離した。
「……ねぇ、クラリッサ。だめ……?」
捨てられた子犬のように瞳を潤ませて、至近距離でじっと覗き込んでくる。その瞬間、きゅっと胸の奥が激しく締め付けられた。
(……な、なんて破壊力……!ライオス様、ご自分の魅力を分かってやっていらっしゃるわ……!)
私は、彼のこの庇護欲をそそる表情に滅法弱かった。そして恐ろしいことに、ライオス様もそれに気づき始めている。
想いが通じ合ったあの建国祭の夜から数ヶ月。私たちの寝室はまだ別々のままであった。打ち合わせやおしゃべりで夜更かしをすることはあっても、頃合いを見てはそれぞれの部屋に戻るという、清い生活を続けていた。
しかし、もう「心の準備が……」なんて初心なことを言える歳でもないことも分かっている。それに、子ができてからの結婚であれば、後継ぎ問題の重責が無くなる。それは私にとっても非常にメリットのある提案だった。
うるうるとした翡翠の瞳に見つめられ、私は激しい逡巡の末、とうとう白旗を上げた。
「ずるいです……そんなお顔……」
彼の上手な誘導に対する気恥ずかしい敗北感と、彼への愛しさが綯い交ぜになる。私は了承の意味も込めて、ライオス様の唇にせめてもの小さな反撃のキスを仕掛けた。
触れるだけの、ほんの一瞬。けれど、私からの初めての不意打ちは想像以上の威力を発揮したようで、ライオス様は完全に硬直してしまった。
「……えっ?」
一拍遅れて自身の身に起きたことを理解したのか、ライオス様は確かめるように指先で自らの唇に触れ——その頬をみるみると赤く染めた。
普段は完璧な彼に振り回されてばかりだったけれど、この意外な初心で可愛らしい反応に、私は思わず目を丸くした。
(あら……?ライオス様が……かわいいわ……!)
思わぬギャップにこちらが少し心の余裕を取り戻したのも束の間、ライオス様の巻き返しは一瞬だった。
彼は瞬時に我に返ると、私を椅子から軽々と抱き上げ、そのまま柔らかなベッドへと優しく下ろした。
「ら、ライオスさ……んっ……」
そのまま私の唇を再び深く奪うと、私の頭をそっと手で支え、のしかかるようにしてゆっくりと私をベッドに縫い付けた。
まるでこの光景のすべてを目に焼き付けるかのように、熱の籠った視線が、組み伏せられた私を真っ直ぐに見下ろしている。
「さっきのキスは、了承の意味と捉えていいよね?」
見上げる先には、先ほどの初心な可愛らしさは消え、仄昏い熱を孕んで獰猛に輝くライオス様の瞳があった。その翡翠の双眸は、明かりを落とした部屋の中でも妖しく惹きつけられ、どうしても目が離せない。彼が放つ妖艶な色香と、内に秘められた苦しげな猛々しさに、肌が粟立つような甘い眩暈を覚える。
その甘い戦慄の望むまま、彼の最後の確認に、私は小さく頷くことしかできなかった。
ライオス様の大きくて温かい手が、シーツに散った私の髪を愛おしげにすくい上げた。その指先が優しく耳朶を掠めたかと思うと、そのまま顔を寄せられ、低く掠れた声が鼓膜を直接震わせる。
「僕の愛を、全部受け入れて……」
——その後は、年上の余裕を保つことなんてできなかった。
ただひたすらに伝えられる熱い想いと、初めて知る未知の快楽に、心も身体も深く満たされていく。ただただ、目の前のライオス様が愛おしくてたまらなかったことだけが、何も考えられないほどに蕩け切った頭で鮮明に覚えている唯一のことである。




