番外編2:マリア夫人の追憶(後編)〜断罪の舞台裏〜
数年後、侯爵家がいよいよ傾き始めた頃、どういう伝手かアンターナル公爵家の紹介で、クラリッサという女性がイースターの第二夫人として嫁いできた。
彼女は恐ろしく優秀だった。碌な引き継ぎもないまま、一瞬で侯爵家の異常な金の流れを見抜き、侯爵家を復興させるための事業計画まで提示してきたのだ。
(このままでは、この家が、あの男が復興してしまう……!)
焦ったマリアはすぐさま行動を起こした。碌に帳簿も読めないイースターに「クラリッサの仕事に致命的なミスがあった」と吹き込み、彼女の権限を奪って仕事から引き離したのだ。
さらに、イースターがクラリッサに興味を持たぬよう彼女を離宮へ隔離し、接触をそれとなく妨害した。着飾らせることも控え、地味な装いを侍女に指示し、勘違いしたイースターが彼女を無能だと罵り始めたのも黙認した。
クラリッサが数年経っても子を成さないことで、マリアの中で「イースターは不妊症である」という疑いはほぼ確信へと変わっていた。
だが、事態は急転する。
「イースター様の子を身籠ったの!」
ベリリアスという女が侯爵家に転がり込んできたのだ。しかも、産まれたのは男の子。マリアが産んだ子は女の子だった。いくら男女どちらも家督を継げるとはいえ、男児が優先されるのが貴族の常識だ。愛する我が子の居場所が奪われてしまう。
焦燥に駆られたマリアは、これまで集めたイースターの違法取引の証拠を、より直接的な形で世に流し始めた。これで、いつ監査の手が入ってもおかしくない状態となった。
——だが、一向にバレない。何故か、流したはずの証拠が途中で綺麗に消え去ってしまうのだ。
痺れを切らしたマリアが執念で調査の網を広げると、ある一人の青年の存在に行き着いた。
公爵家令息であり、裏では諜報員として暗躍する男——ライオス・アンターナル。
彼は違法賭博や薬物の調査をしており、当然侯爵家の裏取引にも気づいていた。しかし、数年前にクルメリオン侯爵家に嫁いできたクラリッサこそが、彼の元家庭教師であった。彼女に被害が及ぶことを恐れた彼は、証拠を秘密裏に全て回収し、公開されないよう握り潰していたのだ。
マリアは直ちにライオスとの接触を図った。
「私は、クルメリオン侯爵家を、イースターを破滅させたいのです」
夜の密会。自らの復讐心を全て打ち明けたマリアに、ライオスは一つの取引を持ちかけた。
「クラリッサ先生を侯爵家から解放してください。そうすれば、俺は貴女に全面協力します」
愛する女性を救い出したい青年と、憎き夫を地獄へ送りたい妻。二人の利害は完全に一致した。
*
ライオスとの同盟は、マリアに最強の手札と救いをもたらした。
この国の王族だけが持つ特殊スキルに、親子関係を証明できるものがある。王族の力を使ってもらうことなど、普段なら考えも及ばないが、その秘術を、ライオスの伝手で特別に受けることができたのだ。
「……間違いありません。貴女の子は、亡きアルコイ殿との子です」
王太子殿下から検査の結果を聞いた瞬間、マリアはその場に崩れ落ち、何年ぶりか分からない歓喜の涙を流した。
彼女の娘は、やはり愛するアルコイの忘れ形見だったのだ。
さらに、検査に立ち会った王太子殿下が「ついでだから」と、第三夫人であるベリリアスの子の洗礼記録を提示してくれた。
「水色の髪……?子供の髪の色は深緑だったはずですが……」
「記録に立ち会った司祭も何度も確認したんだがね。洗礼を施した聖女ヴィリアリナは水色の髪だと譲らなかった。どういう訳か、彼女には偽装魔法が効かないんだ。ちょうどクルメリオン侯爵家に血縁調査の提案を送ろうと思ってたから、君に渡しておくよ」
深緑色に偽装された髪色。その事実が、マリアに最後のピースを与えた。
イースターの不妊と、ベリリアスの托卵。すべてが完全に証明された瞬間だった。
「……ふふっ。王太子殿下。この通達、クルメリオン侯爵家として謹んでお預かりいたします。本日は殿下の貴重なお力を賜り、恐悦至極に存じます」
マリアはこれ以上ない収穫に、深く、優雅に頭を下げた。
これで何も思い残すことはない。クラリッサの離縁も無事に成立させた。あとは、あの愚かな男を最も高い場所から地獄の底へと突き落とすだけだ。
(待っていてね、アル。あなたを殺した男に、極上の絶望を味わわせてあげるから)
かくして、役者は揃った。
こうして、建国祭の夜、完璧に仕組まれた断罪の舞台の幕が、静かに上げられたのだった。
*
「そ……そんなことがあったなんて……」
クラリッサは、公爵邸の応接室で、一連の話を聞き終えた。建国祭の日から数日後、マリア第一夫人……改め、クルメリオン侯爵代理が、公爵邸を訪ねてきていたのだ。
あの日、彼女がイースターの断罪を進めた理由が詳らかになり、クラリッサは次々と明かされる過去に驚くばかりだった。
「五年間もの間、貴女を離宮に押し込めて……辛い思いをさせてしまって申し訳なかったわ……。許されることではないと思うけれど、せめて謝罪をさせてちょうだい……」
「い、いえ……!そんな、マリア様、頭を上げてください……!私は、貴女に感謝こそすれど、恨みなどございません!」
マリアは、クラリッサを罵倒したことは一度もなかった。それに、ずっと引っかかっていた帳簿のミスも、自分の不手際ではなかったことが分かり、クラリッサは安堵のため息をついた。
(……もう、クルメリオン侯爵家でのことは終わったことだからあまり傷つくこともないわ。それより……ライオス様はずっと私を守ってくれていたのね……)
離縁されたその日に迎えに来てくれたのも、全て知っていたからだったのだ。
「ライオス様、マリア様、私を助けてくださり、ありがとうございます」
クラリッサは、隣に座るライオスと、正面で頭を下げるマリアに込み上げた思いを伝えた。
「僕がずっとクラリッサを想っていたこと、少しは伝わった?」
ライオスは、クラリッサに甘く微笑んだ。その瞳からは彼女への愛おしさが溢れている。ライオスは、無事にクラリッサに想いを伝えてから、その気持ちを一層表現するようになっていた。
「え、ええ……。もう十分に伝わっています……」
そして元々ライオスに刺激の強さを感じていたクラリッサは、日に日に火力を増す彼の甘さに慣れず、翻弄されていた。
そんな二人に過去のアルコイと自分を重ねたマリアは、懐かしむように微笑んで席を立った。
「では、お二人のお時間を邪魔してしまいますし、失礼いたしますわ。クラリッサさんの卒業論文を元にした権利の使用料は、全てお返ししますので、計算が終わるまで少々お待ちくださいませ」
「マリア殿。貴女の協力がなければ、こうしてクラリッサを抱きしめることも叶わなかった。本当にありがとう。貴女とご令嬢のために力になれることがあれば、なんでも相談してくれ」
「はい、お心遣いありがとうございます、ライオス様。しかし私たちは、私たちの手で、汚れた侯爵家の清算と復興を進めてまいりますわ」
「頼もしいな。期待しているよ」
「ありがたきお言葉です。では、失礼いたします」
そうして毅然と帰りの馬車に乗り込んだマリアの顔には、すでに侯爵家を預かる家長の覚悟があった。彼女であれば、これからの侯爵家は大丈夫だろう。そう思えるだけの説得力を感じる横顔を、二人は見送った。
部屋に戻ったライオスとクラリッサだったが、クラリッサの胸中にふと一つの疑問が頭をもたげ、彼女はそれを口にしてしまった。
「そういえばライオス様は、いつから私を……その、好き……だったんですか?」
「ん?聞きたい??あれは九歳の時……いや、八歳の時から……。……思えば出会った時からかな……?」
「あ……わ、分かりました。ありがとうございます」
照れくさくなって話を切り上げようとしたクラリッサだったが、ライオスは逃さない。
「いや!まだ話し始めてもないよ!出会った時のクラリッサの可憐さや、聡明さ。他にも語りきれないほど魅力があるんだ!僕に話させてくれ!」
「あの……お気持ちはありがたいのですが……聞いているのが恥ずかしくて……」
熱の籠った目で説得するライオスにクラリッサは顔を赤らめる。
ライオスはそんなクラリッサを抱き寄せて、額に唇を落とした。
「こうやって、照れ屋ですぐ真っ赤になるところも、可愛くて大好きだよ」
「——っ!!」
(またライオス様は、こういうことをサラッと……!)
額を抑えてさらに赤くなったクラリッサへの溢れ出る愛おしさをなんとか押し込め、ライオスはクラリッサとの思い出を語りだすのだった。




