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29話:貴女さえいれば

「お前の……お前のせいで、私のケイラスが――っ!!」

 

 絶叫と共に振り下ろされる鈍色(にびいろ)の短刀が、真っ直ぐにライオスの心臓へと迫る。

 

「きゃあああっ!」


 部屋に侍女とクラリッサの悲鳴が響き渡る。

 凶刃がライオスの胸を貫くと思われた、その瞬間——。

 

 ——バチンッ!!!

 

 目も眩むような青白い閃光が弾け飛び、ライオスの胸の前に防御魔法陣が展開された。

 

「っ!?」

 

 カランッ、と硬質な音を立てて、弾き飛ばされた短刀は、床を滑りソファの下へと消えた。魔法陣の圧倒的な反発力をもろに受けた襲撃者は無様によろけ、そのまま床へと崩れ落ちた。

 

「ら……ライオス様っ!?ライオス様!!」

 

 一瞬の出来事に何が起きたか分からず、ライオスの背に庇われていたクラリッサは、慌てて彼の無事を確かめようと身を乗り出す。

 

 振り返ったライオスは、愛する人を守れたこと、そして想定通りの結果になったことへの安堵から、ふっと柔らかい微笑みを浮かべた。

 

「僕は大丈夫。クラリッサが守ってくれたからね」

「わ、私が……?」

 

 困惑する彼女に対し、ライオスは自身の胸ポケットを指差した。

 心臓の真上にあたるその場所には、クラリッサが彼に贈った、刺繍入りハンカチが大切に忍ばせてあった。

 

「君を信じてたよ」

「そんな……これはまだ試作品で……!もし発動しなかったらどうなっていたことか……!……ライオス様が無事で、本当に良かった……」

 

 安堵に瞳を潤ませるクラリッサの目尻を、ライオスは愛おしそうに優しく拭うと、ゆっくりと、床で魂が抜けたように座り込む襲撃者へと視線を移した。その眼差しは、先ほどまでの温かさから一転して、ひどく冷ややかなものだった。

 

「……どういうつもりですか、エレノア夫人。私を殺したところで、ケイラス兄上の罪は消えませんよ。あなたがここまで愚かだとは思っていませんでした」


 へたり込んだ襲撃者——エレノア夫人は、血走った目に復讐の炎を燃やし、狂ったように食ってかかる。

 

「お前が……!お前さえいなければ、ケイラスの輝かしい未来は約束されていたのよ!!お前のせいでケイラスは……!」


 そう喚き散らす義母を見下ろすライオスの瞳に浮かんでいたのは、怒りすら通り越した、果てしなく冷たい憐憫だった。

 

「いいえ、エレノア夫人。ケイラス兄上が破滅したのは、他でもない、あなたのせいでもあるのですよ」

「……何を、言っているの……」

 

 事の真意を理解できず呆然とする彼女へ、ライオスは絶対零度の声で続ける。

 

「あなたが、俺からクラリッサを引き離しさえしなければ……」

「え……?」

「俺が諜報員に身を投じることも、そこで兄上の裏の顔を暴く機会もなかったでしょう。ケイラス兄上が継ぐ公爵家を支える生き方で構わなかったんです。……全てはあなたが、クラリッサを奪ったあの日から始まった」

「な……そんな……。嘘よ……だって、お前は公爵の地位を……ケイラスの立場をずっと羨んでたんじゃ……!」

 

 信じられないと言った様子で呟くエレノア夫人に、ライオスが一歩踏み出す。その足音が、静まり返った部屋に重く響く。


「あなたはずっと、後継者争いにおいて俺を脅威に思ってくれていたみたいですが……俺が一度だって、その立場を欲したことがありましたか?」

「そ、れは……」

「あなたにとってクラリッサは『優秀さ故に目障りな家庭教師』だったのでしょう。俺の成長を促す邪魔な駒だと。だから、俺が易々と手出しできない侯爵家へ、側室として差し出した」

「……っ」

「地位も、名誉も、権力も、俺にはどうでもよかった」


 冷徹な声の奥に、血の滲むような切実さが混じる。

 ライオスは心の底からのただ一つの本音を紡ぎ出した。


「——俺は、クラリッサさえ傍にいてくれれば、それで良かったんです」

「な……んですって……」


 顔面を蒼白に染め上げたエレノア夫人の脳内で、パズルのピースが組み合わさるように、今までの出来事が並べられていく。

 

 我が子を次期当主にしたい一心だった。

 

 頭角を(あらわ)したライオスの勢いを削ぐため、その原動力である家庭教師を遠ざけた。事実、彼女を失ったライオスはみるみるうちに輝きを失った。さらには夫である公爵を(そそのか)し、数ある公爵家の役割の中でも、あえて貴族社会での評判を落とす『女性相手の諜報任務』をライオスに押し付けた。望み通り、彼は『遊び人』と揶揄されるようになった。

 

 これで全て上手く行ったのだと、今日この日まで信じ切っていたというのに。

 

(私がケイラスを想ってとった行動こそが、ケイラスの首を絞めたというの……?)

 

 突きつけられた最悪の答え合わせに、エレノア夫人の心は完全にへし折られた。

 

 信じられない、とでも言うように首を振りながら、呆然と「そんな……ケイラス……私のケイラス……」と繰り返すエレノア夫人。

 

 もう彼女に、立ち上がる気力はない。

 

 そう判断したライオスは、惨めな姿を晒すかつての公爵夫人から完全に興味を失うと、愛するクラリッサの手を優しく引いて部屋を後にした。


 *


「ここなら誰も来ない。……少し、この部屋で休もうか」

 

 ライオスがクラリッサを連れて入ったのは、テラスの付いた小部屋だった。二階ではあるが、外から見えないよう部屋の明かりはランプの淡い光のみに留められている。

 

 捕らえられた大罪人たちはすでに会場から引きずり出された後だが、前代未聞のスキャンダルに、建国祭の会場は未だ蜂の巣をつついたような騒ぎになっているはずだ。話題の中心たる自分たちが見つかれば、囲まれて身動きが取れなくなる。喧騒が収まるまで身を隠そうという配慮と、早くクラリッサと二人きりになりたいという彼のささやかな独占欲が招いた判断だった。

 

「これでクラリッサを傷つける奴らは、もう誰もいなくなったよ」

「え、ええ……。色々ありすぎて、何が何だか……」

 

 ランプの灯りの中、誇らしげに微笑んだライオスに、クラリッサは戸惑いながら頷いた。

 

 元夫の断罪と種無しの発覚、自分が石女でなかった喜び、ビオレッタの托卵、公爵家の不正、更には奪われていた卒業の証と再び手にした夢への切符まで。

 あまりにも急激な運命の逆転劇に、クラリッサはまだ夢の中で舞台を見ているかのような、地に足つかない感覚に包まれていた。


(それに……私とイースターの縁談が急に纏まったのが、エレノア公爵夫人の仲介だったなんて……)

 

 生家のラグドール男爵家でも、弱小男爵家と格上の侯爵家の縁談の不自然さに首を傾げてはいた。碌に顔を合わせる機会もなく、急き立てられるような結婚。もちろん、我が家に断れる力などなく、濁流のような運命にただ飲み込まれるしかなかった。しかしそんな自分を、少年から青年になった彼はずっと、どんな思いで見ていたのだろうか。


(もしかしてライオス様は……ずっと私のことを……?)


 今まで何度も頭に浮かべては「ありえない」と必死に打ち消してきた考えが、彼女の中でもう誤魔化せないほどに膨れ上がっていく。

 不意に気恥ずかしくなり、自分を熱の篭った瞳で見つめてくるライオスからフイと視線を逸らした、その時だった。


「クラリッサ」

 

 切実な声と共に、彼がクラリッサの目の前に跪き、見上げた。


「今まで言えなくてごめん。ずっと、伝えたかったことがあるんだ」

「ライオス様……?」


 この先を聞いてしまったら、もう後戻りはできない。そんな予感がクラリッサの鼓動を乱れさせる。

 しかし、男爵家に迎えに来てくれた日のような、洗練された貴公子の余裕は今の彼にはどこにもない。すがるようで祈るような、熱を帯びた瞳で見上げられ、クラリッサは吸い寄せられたように動けなくなった。


「君を迎えに行った時、僕は『守る権利をくれ』なんて、格好つけた言葉で誤魔化した。……違うんだ。本当に言いたかった言葉は、ずっと前から一つだけなんだ」


 ライオスの右手に、鮮やかな青白い魔力が収束していく。

 やがてそれは形を成し——今まで彼が贈ってくれたどの薔薇よりも繊細で、本物の生花と見紛うほどに美しい、燃えるような『一輪の赤薔薇』となって咲き誇った。

 

「ずっと……ずっと好きだった。これから先も、僕の生涯のすべてを賭けて君を愛し抜く。だから……」


 ランプの灯りに照らされた彼の手が、そして赤薔薇を持つ指先が、緊張で微かに震えているのが分かった。

 

「——僕と、結婚してくれませんか?」


 それは、社交界の貴公子(遊び人)と謳われた彼とは思えない程不器用で、どうしようもないほど愛に溢れた、彼の人生で初めての『本気の告白』だった。


「ほ、本当に私でよろしいのですか……?」

 

 逃げ出してしまいそうな心を必死に繋ぎ止め、震える声で最後の確認を口にするクラリッサ。そんな彼女をライオスは真っ直ぐに見つめた。


「君がいい。君じゃないとダメなんだ」


 彼がどれほどの覚悟を背負って、自分を助け出してくれたのか。その重みと痛いほどの愛おしさに、クラリッサの目からポロリと涙が零れ落ちる。

 

 もう、この気持ちから逃げる理由は、どこにもなかった。

 

 クラリッサはゆっくりと、ライオスが差し出す赤薔薇へと手を伸ばす。

 緊張に固まる彼の手から、そっとその花を受け取った。


「ありがとうございます。……不束者ですが、よろしくお願いしますわ」

「——っ!」


 次の瞬間、弾かれたように立ち上がったライオスが、クラリッサの身体をきつく抱きしめた。

 

「ありがとう……っ!もう絶対に離さない。一生、大切にする……!」

 

 耳元で聞こえる彼の声は、わずかに震えていた。

 密着した身体からは、彼の激しい鼓動が伝わってくる。クラリッサは愛おしさに目を細め、そっと彼の背中に腕を回し、抱きしめ返した。


 ひゅるるるるる——。

 

 不意に、雪のちらつくテラスの外で、甲高い音が鳴った。

 二人がそちらへ顔を向けた瞬間。


 ——ドンッ!!!

 

 建国祭のフィナーレを飾る大輪の花火が、夜空いっぱいに打ち上がった。

 色鮮やかな光が、暗いテラスと、抱き合う二人の横顔を明るく照らし出す。

 

 夜空のまばゆい光に驚き、顔を見合わせた二人は、ふっと照れくさそうに微笑み合った。

 そして、落ちる火の粉の煌めきに吸い込まれるように、ゆっくりと唇を重ね合わせた。

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