28話:連鎖する断罪2。暴かれる過去の不正と取り戻す夢への切符
「ベリリアス・クルメリオン。——お前を、『論文の盗作および剽窃』の容疑で連行する」
部屋に入るなりそう言い放ったイブリアスの命令に従い、衛兵がベリリアスの両手を後ろ手に捕える。
「なっ……!なによ!触らないで!!」
突然の事態に、ベリリアスはヒステリックに叫びながら身をよじった。
「離しなさい!私はクルメリオン侯爵家の令嬢よ!論文の盗作なんて、何の話よ!」
「研究にかけた時間が短すぎて、覚えてすらいないか」
イブリアスは冷徹な眼差しでベリリアスを見下ろすと、低く、威圧感のある声で告げた。
「お前は三年前、大学部の卒業論文にて、クラリッサ嬢が執筆したものを少しだけ書き換えて提出した容疑がかけられている」
「なっ……!」
「……えっ?」
表情を硬直させたベリリアスと、思わぬところで自分の名が出てきたことに驚くクラリッサ。そんな二人を交互に見据えながら、イブリアスはクラリッサの方へとゆっくり歩み寄った。
「私はここ十年の自分の研究分野の論文には全て目を通している。しかし私の脳内に君の名は無かった。おかしいと思ったんだ。あんなに鋭い視点と十分な知識を持つ君の論文を、この私が見落としていたなんて。代わりに、君の披露してくれた知見と恐ろしいほど酷似した論文がヒットした。それが、ベリリアス嬢の卒業論文だ」
「まさか……そんな……」
クラリッサは信じられないといった様子で、小さく息を呑む。
イブリアスはそんな彼女に同情するような、だが同時に、真実を隠蔽されていたことへの静かな怒りを瞳に宿して言葉を続けた。
「最初は、君が当時の義妹の卒業論文の執筆を手伝ったのかと思った。しかし、大学に記録されているはずの君の卒業論文を改めて探したが……いくら探しても見つからなかったんだ」
「えっ……?」
「大学の書庫には、クラリッサの名で執筆されていた論文は存在しなかった」
思わぬところで明らかになった衝撃の事実に、クラリッサのみならず、隣にいたライオスまでもが息を呑んだ。
ライオスはイブリアスから「ベリリアスをここに連れてこい」とだけ指示されており、その要件までは聞かされていなかったのだ。
「兄上……それは本当なのですか?当時クラリッサは確かに、寝る間も惜しんで研究を進め、論文を書き上げたと言っていました。それが、無いなんて……!」
「そ、そんな……。私は確かに卒業論文を提出して……大学部を卒業しましたわ……」
震える声で問いかけるクラリッサに、イブリアスは深く頷く。
「ああ。君の知識は本物だ。君との対話で確信したよ。そこに疑いはなかった。だからこそ私は、不可解に消えた論文の行方を徹底的に調べた。……その結果は、信じられないものだった」
イブリアスは一歩、ベリリアスへと歩みを進める。その体から放たれる威圧感は小部屋の空気をチリチリと震わせた。
「君の論文は確かに一度提出され……そして、クルメリオン侯爵によって、強制的に取り下げられていた」
「——っ!」
元夫であり、ベリリアスの兄でもある男が犯した職権乱用。その事実を知らされたクラリッサは、あまりのショックに目の前が暗くなるのを感じてよろめいた。すかさずライオスがその細い肩を抱き寄せ、ベリリアスに向けて燃えるような怒りの視線を突き刺す。
イブリアスは、どんどん青ざめていくベリリアスへの告発の手を緩めない。
「そしてその論文は……二年後、ベリリアス嬢の卒業時に、内容の一部と執筆者を書き換えて、ベリリアス嬢のものとして世に発表された」
「……っ!」
「違うか?ベリリアス嬢」
「な、何のことですの……!言いがかりはやめて頂戴!あれは私が書き上げたものですわ……!」
「そうか。では、論文発表会を始め、多くの研究機関から寄せられた質問に対し、すべて『体調不良』を理由に一度も対応しなかったのはなぜだ?」
「そ、それは……令嬢の体調はデリケートなんですの!」
「それに、以前我が公爵家に挨拶に来た際、私が投げかけたいくつかの初歩的な質問に、一問も答えられなかったな?あれはどう説明するんだ?」
イブリアスの冷徹な追及に、ベリリアスは取り乱し、言葉を荒らげた。
「あ、あの時は緊張していて、急な質問に驚いてしまいましたのよ!それに、私の論文は、研究室の教授の多大なご協力があってこそですわ!むしろ、ほとんど教授が用意してくださいましたのよ!だから私は知りませんわ!」
「……他人の努力の結晶を盗んでおいて、今度はゴーストライターの存在を堂々と主張するか。それはそれで大きな問題だが……今更か」
研究者としてのプライドの欠片もなく、恥知らずな言い訳を重ねるベリリアスに、イブリアスは心底呆れ果てたように吐き捨てた。そして、懐から紙の束を取り出す。
「通常、本人以外からの論文の取り下げなど、たとえ夫からの要請であっても認められない。しかし、この不正がまかり通ってしまったのには、タイミング悪くこれを許してしまう最悪の環境があった」
イブリアスは一度書類から目を離し、クラリッサを見た。
「クラリッサが大学部を卒業するそのタイミングで、その研究室の教授も勇退された。そしてこの研究室の教授の座を、二人の助教授が争うことになった。クラリッサ、心当たりはあるな?」
「え、ええ……確かに私の卒業の年が、恩師であるアリストン教授の最後の年でしたわ。その後、次の教授を誰にするかで、研究室がひどく揉めていた記憶があります」
「その教授の座を巡る争いにつけ込んだのが、クルメリオン侯爵だ」
イブリアスの声に、これまでにない激しい怒りと嫌悪が混じり始める。
「クルメリオン侯爵は、当時助教授だったギルバートに、教授になる手助けをする代わりに、クラリッサの論文を取り下げろと取引を持ちかけた。……指導者たる立場、学問の深淵に挑む者の地位は、それまでの功績と本人のたゆまぬ成果によってのみ決定されるべきだ。それを、金と権力に汚れた手で勝ち取ろうなど、学問に対する最大級の冒涜であり、激しい怒りを禁じ得ない。……しかし、ギルバートはその悪魔の誘いに応じてしまった」
「そんな……そんなことが、裏で行われていたなんて……」
クラリッサが唇を噛み締める。イブリアスは書類をベリリアスに突きつけた。
「これにより、ギルバートはクルメリオン侯爵の資金援助を得て、賄賂により教授職を勝ち取った。そして、その研究室にコネで配属されたベリリアス嬢は、取り下げられたクラリッサの卒業論文を、自分のものとして平然と発表したんだ」
「わ、私は知らないわ!!お兄様よ!お兄様が勝手にやったことですわ!私はただ、与えられた論文を提出しただけで、何も悪くありませんもの!私は被害者ですわ!」
「黙れ。誰が主犯であろうと、お前の名前でクラリッサの論文が発表され、その偽りの名誉を享受したことは事実だ。論文がクラリッサのものであることは、彼女の先輩であるレナードや、海外で隠居している当時のアリストン教授からも、すでに詳細な証言を取っている」
「そんなの……!あなたが公爵家の権力を使って買収したら、何だって偽れるわ!証拠にならないわよ!」
なおも往生際悪く喚き散らし、罪から逃れようと自分を正当化するベリリアスに、イブリアスの表情は冷たい怒りに満たされていく。
「私は研究者の買収などという、学問を汚す卑劣な手段は使わない。利権に目を眩ませたお前たちと違ってな。それに、証拠なら今からお前自身の口から吐き出してもらう。論文に書かれていた内容について、いくつか質問を用意している。全て答えられるか、魔塔の地下尋問室にてたっぷりと聞かせてもらおう」
「なっ……!だからそれはギルバート教授が……」
「安心しろ。ギルバートも捕えられている。尋問室では、仲良く隣の席を用意してあるから、相談して答えてもらって構わないぞ。……ただ、ギルバートの専門は、お前が発表した論文の分野とは少し異なるようだがね。はたして、あの男にお前を助けるだけの知識があるかな?」
「な、何ですって……」
完全に逃げ道を塞がれ、顔面を土気色に変えるベリリアスに、イブリアスはトドメの一言を放った。
「ちなみに、今から予定している質問の全てに対して、クラリッサは、すでに完璧な模範解答を出している。……お前が本当の執筆者だと言うなら、まさか、答えられないはずは無いだろうな?」
ベリリアスは絶望にガタガタと顎を鳴らし、もはや声にもならない悲鳴を上げた。
イブリアスは愚か者から視線を外すと、衛兵に短く命じた。
「連れて行け。二度と学問の聖域を汚させないよう、徹底的な更生が必要だ」
「嫌よ!離しなさい!私は公爵夫人に、高貴な身分になるはずだったのよーーーっ!!」
見苦しい悲鳴を上げながら、ベリリアスは衛兵たちによって引きずられるように部屋から連行されていった。バタン、と重々しい扉が閉まり、王宮の小部屋には、ようやく静寂が訪れる。
「ま、まさか……論文が取り下げられていたなんて……」
なおも信じられない様子で呆然と呟いたクラリッサに、イブリアスは淡々と告げた。
「君の論文で提唱された技術は、実用化され製品に使用されている。今までクルメリオン侯爵に払われていた使用料を請求することが可能だ。また、君は論文の取り下げによって、大学の卒業も取り下げられている。ベリリアスに奪われた論文を正式な執筆者の名で発表することで、改めて学位を授与されるだろう。是非取り組んでほしい」
「わ、分かりましたわ」
「大学部の卒業年は、卒業論文が受理された年になる。よって君は、国家公務員への受験資格も得ることになる」
「……っ!そ、それは……!」
「ああ。受験資格は、卒業から五年だろう?その際には、是非研究員への道を志してくれ。共同研究者のみならず、魔塔職員として共に働けることを期待している」
「……!!ありがとう……ございます……!本当に……なんとお礼をしたらいいか……!」
「私は研究者として不正が許せなかっただけだ。才と努力の結晶を何の研鑽もしていない人間が横取りするなど、あってはならない」
断たれたと思っていた研究職への道が、思わぬ所で繋がった。その道を拓いてくれた恩人に、クラリッサは深々と頭を下げる。
「では、私はまだ仕事があるから失礼する。ライオス、家のことも含め、後は頼んだぞ。私の望みは集中できる環境だ」
「ええ、イブリアス兄上。任せてください。兄上の研究の邪魔は、何人たりともさせません。……本当に、ありがとうございます」
そのライオスの言葉を聞いたイブリアスは、満足気に濃紫のローブを翻して部屋を出ていった。
ようやく収まった一連の嵐のような展開に、クラリッサはまだ魂が抜けたように呆然としていた。張り詰めていた緊張が解け、視界がじんわりと涙で滲む。
そんなクラリッサを気にかけ、ライオスがそっと彼女を覗き込むようにして声をかけた。
「クラリッサ、体調は——」
しかし、やっと訪れたはずの二人きりの穏やかな時間は、最悪の不協和音によって切り裂かれた。
バンッ!!!と、先ほど閉まったばかりの扉が、音を立てて跳ね上がる。
「奥様!なりません、お待ちください――!」
「お前の……お前のせいで、私のケイラスが――っ!!」
制止する侍女の手を振り切り、小部屋へ乱入してきた人物は、その顔を般若のように歪めて二人に襲いかかった。
叫び声と同時に、振り翳された鈍色の短刀は、クラリッサを背に庇うように前に出たライオスの心臓めがけて一直線に振り下ろされた——。




