27話:連鎖する断罪。公爵家の膿
ライオスがクラリッサと共に、ベリリアスを引き連れて辿り着いた王宮の一室に入ると、そこにはアンターナル公爵夫妻と長男ケイラスがソファに腰掛けて寛いでいた。
「あら、ライオスにクラリッサ。それに……ベリリアス嬢?貴方たちも呼ばれていたの?」
ケイラスの母であるエレノア公爵夫人が優雅に微笑む。華やかな大広間から隔離されたこの部屋には、まだ建国祭の会場で起きたクルメリオン侯爵家の醜態は届いていないようだ。
これ幸いとばかりに、ベリリアスは部屋に入るなりケイラスの腕へと縋りついた。
「ケイラス様!聞いてくださいまし!ライオス様がそこの役立たずと結託して、お兄様を、我が侯爵家を理不尽に陥れようとしてますの!次期公爵様として、どうかこの無礼者たちを厳しく懲らしめてくださいませ!」
ベリリアスの金切り声を聞いたケイラスは、ふん、と鼻で笑って立ち上がると、ライオスを小馬鹿にした目で見下ろした。
「なんだライオス、見苦しいぞ。自分がクルメリオン侯爵家を追い出された『お下がりの石女』にしか相手にされなかったからって、俺の婚約者の実家に八つ当たりか?無駄な抵抗はやめろ。お前の相手をしてくれるのはその無価値な女くらいだろうが、俺は別に、クルメリオン家が潰れたところでいくらでも他の侯爵令嬢を選べるんだよ」
「け、ケイラス様……?今、なんと……?」
腕にしがみつくベリリアスは、自分をいつでも乗り換えられる道具のように扱うケイラスの発言を聞き、屈辱に顔を真っ赤にする。だが、ケイラスはそんな婚約者の様子など気にも留めず、ライオスへ挑発的な視線を向け続けた。
いつもなら兄の挑発には乗らず、適当に受け流すライオスだったが、今、彼の瞳には、かつてないほど昏く冷徹な怒りが宿っていた。
「ケイラス兄上。クラリッサが『石女』ではないことは、先ほど聖女ヴィリアリナの手によって完全に証明されました。……今すぐ、彼女を侮辱したその発言を撤回してください」
「はっ!何の権限があってお前が俺に指図するんだ?その中古女の前だからって、いい格好をしたいのか?」
「……大切な人を傷つけられたのです。抗議して当然でしょう」
事なかれ主義を貫いていた三男のライオスが、ここまで感情を露わにして反論してくるとは思わなかったのだろう。ケイラスは不愉快そうに顔を歪め、威圧するようにライオスの目の前まで距離を詰めた。
「だが、アイツの使い古しであるという点では間違いないだろう?そんなお下がりを大事そうに抱えて、滑稽極まりないな!」
なおもクラリッサを侮辱し、挑発を続けるケイラス。
その瞬間、ライオスの顔から表情が消えた。彼の怒りは、とうとう頂点に達し、目の前の男の断罪へとスイッチが完全に切り替わったのだ。
「……兄上がそうやってクラリッサを傷つけなければ、もっと穏便に処理する方法も考えてあげたんですけどね」
「あ?何をわけのわからないことを——」
眉を歪めるケイラスを無視し、ライオスは部屋の机の引き出しから、あらかじめ用意していた分厚い紙の束を取り出した。そして、それを父であるアンターナル公爵の前にバラリと広げる。
「父上。こちらは、現在我が国で問題となっている『違法賭博場』の出入り名簿、および掛け金の全記録です」
その言葉に、公爵の表情が引き締まる。国を騒がせる違法賭博と薬物の流通ルートについては、公爵家も王家から極秘に調査依頼を受けており、公爵は三男のライオスに捜査を任せていたのだ。
「おお、よくやったなライオス!これで他の公爵家に遅れを取ることなく、我が家の成果として陛下に提出できるぞ!」
「ありがとうございます、父上。……では、続いてこちらをご覧ください。その違法賭博場の中でも、特に巨額の公金をつぎ込んでいた『お得意様』の個人名簿です」
「ほう、そこまで掴んだか!どれどれ……。……っ!?」
上から順に名簿を目で追っていた公爵の視線が、ある一点で釘付けになり、ピタリと止まった。その顔からはみるみる血の気が引いていく。
そんな父の様子に構わず、ライオスは淡々と次の書類を卓上に並べた。
「続いてこちらが、我が公爵家の決裁書の中で、不適切に処理されていたものの一部です。……何か気づきませんか、父上?」
「な……まさか……。しかし、なぜこれが、ここにあるのだ……!?」
「理由は単純です。この違法賭博場のお得意様名簿を、最初に入手したのは、我が家ではなく『王家』だからです。俺たちは泳がされていたんですよ」
「そんな、ばかな……」
絶望的な事実に、公爵は言葉を失って椅子に崩れ落ちた。
ライオスは静かに、背後に立つケイラスへと振り返る。先ほどまでの傲慢な態度はどこへやら、ケイラスの顔は土気色に青ざめ、膝が小刻みに震えていた。
「聡明なる次期当主、ケイラス兄上なら……何かお気づきになりませんか?」
「……ら、ライオス。お前、何を企んで……!」
「企む?人聞きが悪いですね。俺はただ、公爵家の膿を洗い流したいだけですよ」
ケイラスの狼狽ぶりとは対照的な、爽やかな笑顔で微笑むと、ライオスは再び父である公爵に向き直った。
「父上。これが世間に公表される前に、王太子殿下の手によって、俺たちがこの部屋に集められた意味……お分かりですよね?公爵家を守るために、今ここで何をすべきかも」
「……ああ」
アンターナル公爵は、深く重いため息を吐くと、実の息子であるケイラスを真っ直ぐに見据えた。その瞳には、期待していた跡取り息子への激しい失望と、裏切られた悲しみが満ちている。
「ケイラス。……せめてお前の口から、事実を説明しなさい」
「い、いやいや、誤解です父上!安心してください!これは潜入調査ですよ!王国に巣食う闇を暴くため、この私が自ら危険な敵地に潜入していたのです。その出入り名簿は、その時の記録でして……!」
「では、この公爵家から不正に引き出された、使途不明金はどう説明する?」
「そ、それは……敵の懐に深く入り込むには、それ相応の資金が必要だったからで……!」
「兄上。つまり、この決裁書に書かれた大金が、賭博に消えたということは認めるのですね?」
「うるさいな!今は次期当主である俺が父上に説明しているんだ!お前は黙っていろ、ライオス!」
声を荒らげるケイラスは、自ら「公金を横領して賭博に使いました」と白状しているようなものだった。
息子の思わぬ裏側に息を呑んで震えるエレノア公爵夫人とアンターナル公爵の前に、ライオスは冷酷に最後のトドメを突きつけた。
「見ていただかなくてはいけないものは、まだあります。こちらの『記録の魔道具』をご覧ください」
ライオスが卓上に置いた水晶に魔力を流すと、空中に対象の映像が鮮明に投影された。
映し出されたのは、とある薄暗い部屋。
そこに、ローブのフードを深く被った男が、横柄な態度で入ってくるところから映像は始まる。
「なっ……!やめろ!!」
慌てて水晶を奪い取ろうとしたケイラスだったが、ライオスが放った拘束魔法に即座に捕えられ、無様に床へと転がった。
『——パンを銀貨30枚分。水分は多めで』
フードを被った男の、その聞き覚えのある声に、公爵夫妻は息を呑んだ。
『こんばんは、“ケラク”様。かしこまりました。ご一緒に上質な葡萄酒はいかがですか?』
『ああ、三本持ってこい。……そういえば、頼んでいたイブリアスへの妨害工作はどうなっている?』
『そちらでしたら、つつがなく。彼の研究発表の評価を不当に落とすよう、学会の審査員数名を買収済みにございます。また、精神的に追い詰めるための脅迫文も、手配通りに送りつけておきました』
『ふはは!上出来だ。あいつは研究が進まなくなるのを一番嫌がるからな。しばらくは資金集めと身の安全確保の奔走で、俺のやっていることに口を出して来られなくなるだろう。まったく、根暗で研究しか取り柄がないくせに、俺の息抜きにまでいちいち首を突っ込みやがって……』
映像の中のローブの男の独白に、小部屋の中の空気が凍りつく。
『ご身分の高い方の御家庭も、色々と大変なのですな。……そういえば、貴方の末の弟君が、この界隈を嗅ぎ回っていると噂を耳にしましたが、貴方もまさか潜入調査で……?』
『はっ!そんな訳あるか!裏でコソコソ這い回るドブネズミのような諜報活動など、俺の性に合わん。俺は次期当主として、もっとデカいことをする。……おい、俺が今後も安心してここで遊べるよう、あの目障りな出来損ないは、そっちで適当に始末しておけ。お前たちだって、最大のお得意様がいなくなったら困るだろう?』
『かしこまりました。しかしケラク様、これほどの公爵家の金を使い込んで、身元は本当に大丈夫なのですか?』
『問題ない。俺は次期当主として、公爵家の最終決裁権を握っているからな。ちょっと数字を書き換えれば、このくらいの横領など造作もないさ!』
愉悦を隠すことなく下劣に笑うローブの男。店員が「では、顔認証をお願いします」と促すと、男は自慢げにフードを外した。
現れたのは、燃えるような赤髪——紛れもない、ケイラスの姿だった。
「なんてこと……!ケイラス……!」
固唾を呑んで映像を見守っていたエレノア公爵夫人が絶句し、ベリリアスも顔を引き攣らせる。
ライオスは映像を止め、床に這いつくばる兄を冷たく見下ろした。
「さあ、兄上。……まだ潜入調査だとおっしゃりますか?」
「くそっ、くそがぁぁぁ!!」
床に叩きつけられたケイラスが、狂ったように咆哮する。
「デタラメだ!!こんな映像、俺を陥れるために作られた偽物だ!名簿だって嘘っぱちだ!そもそもお前が、公爵家の決裁書なんて手に入れられる訳がないだろうが!!」
見苦しく吠え散らかす兄に、ライオスは極上の笑みを向けた。
「ああ、それですか。それは、兄上の最愛の『婚約者殿』が、王都の屋敷までわざわざ届けてくださったんですよ」
「なっ……!?」
一斉に全員の冷たい視線が集まり、ベリリアスが息を詰まらせて飛び上がった。
「お前……ベリリアス!貴様、ライオスとグルになって俺をハメたのか!?」
「ち、違いますわ!!ライオス様、何を仰っていますの!?」
「では、ご説明しましょう」
ライオスはクラリッサの肩を優しく抱き寄せながら、二人を見下ろした。
「ケイラス兄上、貴方は自分の仕事であるはずの公爵家の財務管理を、面倒くさがってベリリアス嬢に丸投げしましたね。そしてベリリアス嬢、貴女はその仕事を放棄し、あろうことか俺の留守中に、クラリッサへ無理やり押し付けた。——違いますか?」
「それ、は……!」
「優秀なクラリッサは、処理の途中で公爵家の財政が異常な赤字に傾いていることに気づきました。そして不自然な決裁書を集めて精査した結果……そのすべての決裁書のサインが、ケイラス兄上、貴方のものでした。クラリッサは俺のために、その写しを残してくれていたんですよ」
事実を突きつけられたケイラスが、血走った目でベリリアスを睨みつける。
「貴様……!あれほど『いいように』処理しろと、伝えておいただろうが!!」
「……ですから!『いいように』使えるクラリッサにやらせたんですわ!道具をこき使うのも、高貴な者の仕事ですもの、何も間違っていませんわ!!」
ヒステリックに開き直ったベリリアスは、クラリッサに仕事を押し付けた事実を堂々と認め、フンと鼻を鳴らした。自分自身の怠慢のせいで、婚約者の犯罪の決定打が揃ったとも知らずに。
「我が公爵家の財政が……赤字だと……!?」
深く沈黙していたアンターナル公爵が、地響きのような声で立ち上がった。その体から放たれる怒気は、部屋の空気をピりつかせる。
「ただの賭博に、公爵家を傾かせるほどの巨額をつぎ込んだというのか、ケイラス!これのどこが潜入調査だ!その上、実の弟であるイブリアスの研究を妨害し、買収や脅迫まで行っていたとは……我が息子ながら、ここまで腐り果てていたとはな……!!」
「ち、父上!少し、ほんの少し使いすぎてしまっただけです!次期当主の私を罰すれば、公爵家の名に傷がつきます、どうか陛下に揉み消すよう掛け合って——」
「黙れ、この恥さらしが!!」
公爵の怒号が部屋に響き渡る。
「お前は、この名簿が王宮の小部屋に用意されていた意味、そして他でもない王太子殿下に、我らが呼び集められた意味が、まだ分からないのか!すでに王家はすべてを把握しているのだ!」
「そんな……、父上!助けてください、父上!!」
「……アンターナル公爵の名において宣言する。ケイラス、お前を即座に廃嫡、および公爵家から追放する。そして、公金を横領し違法賭博に耽った大罪人として、国法に則り陛下へ突き出す」
「そんな!あんまりですわ、あなた!!」
エレノア公爵夫人が悲鳴のような抗議の声を上げる。
「ケイラスを……私のかわいいケイラスを助ける方法はないのですか!?」
「断罪が公に下される前に、我が家に身内の処分を委ねてくださったことこそが、王太子殿下の最大限の配慮だ!ケイラスと共に公爵家ごと取り潰されるか、自らの手で裁くか、道は二つに一つしかないのだぞ!!」
「ああ、そんな……っ!」
エレノア夫人は絶望に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。
公爵は、拘束されて床に転がっているケイラスの襟元を掴み、強引に立ち上がらせた。
「さあ、ケイラス。陛下と王太子殿下の御前へ行き、すべての罪を自白しに行こう。……私も、お前をこのような化物に育ててしまった父として、最期まで付き添ってやる」
ライオスがそっと拘束魔法を解くと、ケイラスはがっくりと項垂れ、もはや抵抗する気力すら残っていない様子で、引きずられるようにして公爵と共に静かに部屋を出て行った。
泣き崩れるエレノア夫人もまた、顔を覆いながら侍女たちに連れ添われて部屋を後にする。
静まり返った部屋には、ライオス、クラリッサ、そして一人取り残されたベリリアスだけが残された。
ベリリアスは、すばやく頭を回転させると、引き攣った笑みをクラリッサに向けた。
「ふ、ふん!私は違法賭博のことなんて、なーんにも知りませんでしたもの。むしろ、ケイラス様の不祥事によって、婚約を破棄された可哀想な被害者ですわ!ええ、慰謝料を請求しなくては。この件に関しては、また後日、正式に書簡を送らせていただきます。では、ごきげんよう!」
ドレスの裾を翻し、足早に部屋から立ち去ろうとするベリリアス。
だが、その背中に、ライオスの氷のように冷たい声が突き刺さった。
「待て。誰が帰っていいと言った?」
「な、なんですの?私には何の罪も……」
「お前には、俺のもう一人の兄——イブリアス兄上が、どうしても話したいことがあるそうだ」
その言葉と同時に、バタン、と勢いよく部屋の扉が開け放たれた。
入ってきたのは、『魔塔』の正装である深紫のローブを纏った、次男のイブリアスと、数名の衛兵であった。
イブリアスは、冷徹極まる視線をベリリアスへと真っ直ぐに向ける。
「ベリリアス・クルメリオン。——お前を、『論文の盗作および剽窃』の容疑で連行する」




