26話:元夫に突きつけられた種無しの真実と、暴かれた托卵
「何の騒ぎですか……って、ライオス様!?」
騒ぎを聞きつけた聖女ヴィリアリナと英雄卿が到着したのは、クラリッサが倒れた、まさにその瞬間だった。
ライオスがその腕にクラリッサを抱きかかえ、必死に回復魔法をかけるのを見たヴィリアリナは、すぐに彼の肩を叩いた。
「変わります。安心してください、ライオス様。私が必ず目覚めさせますから」
「……頼む、ヴィリちゃん。何にも変え難い、本当に大切な人なんだ……!」
「任せてください!」
力強く頷いてクラリッサを引き取った聖女が、純白の聖魔法で彼女の身体を包み込む。
その神聖な光景に水を差すように、腕を押さえたクルメリオン侯爵——イースターが、顔を歪めて声を荒らげた。
「聖女様!私は今、この男に不当に腕を折られました!私の方がその女より重症です!どうか私に施しを……!」
しかし、聖女ヴィリアリナはイースターをゴミを見るかのような冷たい一瞥で切り捨てると、クラリッサへの治療を黙々と続けた。
完全に無視されたことで、イースターはさらにプライドを傷つけられたのか、逆上して怒鳴り散らす。
「聖女様!私は教会への多額の献金も欠かしておらぬ侯爵ですぞ!そんな子供一人産めない石女なんかよりも、私の方が価値がある!優先されるべきだ!」
あまりの醜悪さに、聖女ヴィリアリナは深い不快感を隠そうともせず、冷ややかに言い放った。
「治療はいつも、命の危機がある重症な順に行っています。身分によって優先順位が変わることはありません。それに、それだけ元気にはっきりと大声を出せる貴方は、命に別条はありません。ご自身で治療されたらいかがですか?」
「わ、私とその家族に治癒魔法を使える者などおりません!何故、そのようなことを仰るのですか……!」
これみよがしに折れた腕を押さえ、尚も引き下がらないイースター。その傲慢な態度を見かねて、聖女の前に大柄な影が割り込んだ。彼女の護衛であり、婚約者でもある、英雄卿である。
「治療の優先順位は戦場と同じだ。……何か文句があるなら、この私が聞こう、クルメリオン侯爵?」
英雄卿の放つ圧倒的な威圧感と、射殺さんばかりの冷たい視線に射抜かれ、イースターはようやく怯えたように口をつぐんだ。
聖女の腕の中で、クラリッサの青白かった顔色がみるみるうちに健康的な赤みを取り戻していく。それらを確認したライオスは、静かに、ゆらりと立ち上がった。
その全身から立ち上るオーラは、周囲の貴族たちが思わず後ずさるほどに昏く、冷徹な殺気に満ちている。
「クルメリオン侯爵。私の大切な人を傷つけた罪は重いぞ。その代償、今ここで払ってもらう」
「……はっ!公爵令息と言えども、当主の座も継げない三男風情が私に何ができる!しかもお前は今、この私を一方的に傷つけた罪人だぞ!お前の方こそ罪人だ!」
唾を飛ばして虚勢を張るイースターを完全に無視し、ライオスは英雄卿へと振り返った。
「英雄卿。——始めてもよろしいですか?」
「ああ、いつでもいいぞ」
許可の言葉を受け、ライオスは冷酷な笑みを浮かべ、イースターに向かって宣告した。
「イースター・クルメリオン。お前を、禁止薬物の違法取引、および国家反逆の罪で逮捕する!」
ライオスの言葉が響き渡ると同時に、会場の各地で高度な拘束魔法が発動した。バチバチと魔力の縄が走り、目の前のイースターはその場に激しく膝をつかされる。
「な、何だこれは……!離せ、無礼者め!」
「きゃあっ!?お兄様が何をしたと言いますの!?」
床に這いつくばりながら憎々しげにライオスを見上げるイースターと、その傍らに駆け寄った妹のベリリアス。騒然とする会場の中で、ライオスは事実を突きつけた。
「イースター・クルメリオン。お前は違法な地下賭博に手を染めて負け続け、侯爵家の資金を融通できなくなった。そして、あろうことか国で厳しく禁止されている『違法薬物』の密売に手を染めたな。国を支えるべき侯爵家として、あまりにも嘆かわしい」
「は、な、何を根も葉もないことを!証拠はあるのか、証拠は!これが無実の罪なら、名誉毀損でお前を訴えてやる!」
「そうですわ!ライオス様と言えど、国の繁栄を願う建国祭でのこんな横暴、陛下が許すはずありませんわ!すぐにケイラス様に言いつけて、罰を与えていただきますからね!」
ギャーギャーと騒ぐクズ兄妹を見下ろし、ライオスは昏い愉悦を瞳に宿した。
「もちろん、言い逃れのできない証拠ならあるとも」
ライオスが懐から取り出したのは、記録の魔道具だった。彼が魔力を流すと、空中に対象の映像と音声が鮮明に投影される。そこに映っていたのは、自宅の執務室で怪しげな商人相手に薬物の仕入れルートを指示する、イースター自身の姿だった。
『クソ、国内での取締りが強化されて、取引相手が減ってしまった……。そうだ、これらは全て海外へ流そう。お前、すぐに準備をしろ』
『しかし閣下……輸出は正規の許可証が必要ですし、国境の検査もあるので厳しいのでは……』
『なあに、そんなもの教会や役人に賄賂を積めば容易いさ。いいから進めろ!断るならお前の家族がどうなっても知らんぞ』
あまりにも生々しい密談の暴露に、周囲の貴族たちから「まさか、本当に薬物を……」「教会への賄賂だと!?」と激しいどよめきが沸き起こる。
「なっ……これは、何故こんなものが……」
顔面を蒼白にするイースターに、ライオスはさらに追い打ちをかける。
「これを見てもまだ言い逃れをするかい?もちろん他にも、お前が自筆で書いた取引の手紙や、顧客一覧の原本、いつどこでいくら裏金を動かしたかの裏帳簿も、全てこちらで押さえているよ」
「クソっ……いや、待て!この記録はいつの間に撮られた!?不法侵入ではないのか!?……まさか、あの石女か!あの女が最初からお前とグルで、私の目を盗んで寝室や執務室を探っては逢瀬を重ねていたのだな!?これは立派な不貞行為だ!公爵家がその女を私に押し付けた時から、我が家をハメるために仕組んでいたんだ!!」
往生際悪く自らの妄想でクラリッサを叩こうとするイースター。だが、その狂言を遮るように、凛とした女性の声が響いた。
「いいえ。その魔道具をライオス様へ提出したのは、この私です」
「なっ……マ、マリア……!?」
人混みを割って現れたのは、クルメリオン侯爵家の第一夫人——マリア夫人だった。
夫の犯罪を冷然たる目で見下ろす第一夫人の登場に、会場はさらに騒然となる。
「な、なぜお前がここに……?夫を裏切るというのか!?」
「裏切る?おかしなことを言わないで、イースター。私はただ、泥に塗れたクルメリオン侯爵家を、正統な跡継ぎの手に取り戻すだけです。——前当主の血を引く、私の子にね」
「なっ……!?」
「ちょっと!何を言っているのよ!」
ここで、一番強く反応して叫んだのは、クラリッサが去ったことで第二夫人に繰り上がっていた第三夫人、ビオレッタである。
「前当主の子って……どういうことよ!?それに、あなたの子は女の子じゃない!我が家の次の当主は、男の子である私の子よ!」
「ええ、一般的にはそうね、ビオレッタ。……もしその子が、本当にクルメリオン侯爵家の血を引いた子供であれば、の話だけれど?」
「な……何が言いたいのよ……!」
マリア夫人の冷たい微笑みに、本能的な恐怖を感じたのか、ビオレッタは思わず数歩後ずさった。マリア夫人はそんな彼女の手元へ、容赦なく一枚の羊皮紙を突きつける。
それは、大教会の洗礼記録証の写しだった。
『リュケイオン・クルメリオン
父:イースター・クルメリオン
母:ビオレッタ・クルメリオン
特徴:水色の髪に、茶色の瞳――』
「あなたの愛しい息子のリュケイオン、洗礼の記録では『水色の髪』になっているようね。クルメリオンの血筋には水属性はいない。貴女も、水属性の魔力なんて微塵も持っていないはずだわ。……本当は、誰の子かしらね?」
「なっ……!なんで……」
「ビ、ビオレッタ、お前……!?」
イースターが絶望に満ちた目をビオレッタに向ける。ビオレッタは顔を真っ青に引き攣らせ、激しく首を横に振った。
「う、嘘よ!リュケイオンは深緑の髪をしているわ!その教会の記録が……何かの間違いよ!そうに違いないわ!」
「必死ね。貴女は息子に箔をつけるために、侯爵家の権力を振りかざして洗礼式にわざわざ聖女様を指名して呼び出したでしょう?田舎貴族上がりの貴女は知らなかったかもしれないけれど、聖女様には、いかなる偽装魔法も通用しないのよ」
「な……そんな……」
「後ろめたいことがないなら、そもそも子供の髪色を魔法で隠す必要なんて無いわよね?偽装魔法をかけて、水色の髪を深緑色に欺いていた事実こそが、不貞の何よりの証拠じゃないかしら?」
「それは……!それは、クルメリオン侯爵の子ではないと、周囲から要らぬ噂を立てられるのが怖かっただけで……!リュケイオンはイースター様の子です!信じてください、あなた!」
泣き叫びながらイースターに縋り付くビオレッタ。だが、マリア夫人はそれを冷たく一瞥すると、クラリッサを抱える聖女ヴィリアリナの方へと向き直った。
「聖女様、クラリッサさんの容体は……大事ないかしら?」
「ええ、マリア侯爵夫人。急激な精神的ストレスによるパニック発作での失神です。命に別状はありませんし、もうじき目を覚ましますよ。……それともう一つ、素敵なお知らせです。クラリッサさんは、『石女』などではありませんよ」
それを聞いたマリア夫人は「やっぱりね」と当然のように頷き、そして——誰よりもライオスが、驚愕と、言葉にできないほどの歓喜にその瞳を見開いた。我が耳を疑う朗報に、彼の胸が激しく高鳴る。そんなライオスに、聖女はクラリッサをそっと引き渡した。
「そう……。これですべて繋がったわね、イースター。貴方は、家を継ぐ可能性のある男児に義務付けられている、『能力検査』を、一度も受けていないわね?今まで散々クラリッサさんを役立たずと蔑んで日陰に閉じ込めてきたけれど……本当の原因は、貴方にあるんじゃないかしら?」
「な……んだと……っ!?」
その時、ライオスの腕の中で、クラリッサが「ん……」と小さく声を漏らし、長い睫毛を震わせて目を覚ました。
「ライオス……様……?私、は……」
「クラリッサ!よかった……!もう大丈夫、もう何も怖がる必要はないよ」
混乱するクラリッサを愛おしそうに強く抱きしめるライオス。その姿を見届けた聖女ヴィリアリナは、すっと立ち上がり、床に這いつくばるイースターを見下ろして、妖しく微笑んだ。
「さあ、クラリッサさんも無事に目を覚ましましたし、今度こそ貴方の折れた腕を治療して差し上げますよ、イースター様?……ついでに、そのお身体が本当に『種無し』かどうかも、私の聖魔法で確認して差し上げましょうか?」
「な……っ!や、やめろ!来るな!」
「あら。さっきまで自分を最優先で治療しろとあれほど騒いでいたのに。そこまで頑なに検査を嫌がるだなんて……やはり、ご自身でも心当たりがあるのですか?」
じりじりと詰め寄る聖女ヴィリアリナ。そこへ、マリア夫人が冷徹な声をかけた。
「聖女様、そんな男のためにわざわざ高貴な御力を使っていただく必要はございませんわ。我が家に伝わる『鑑定の魔道具』を持ってきておりますので、これで充分です」
そう言うと、マリア夫人はイースターの顔面に、容赦なく一枚の魔導鑑定証を叩きつけた。
通常、能力に問題がなければ鑑定証は無色透明のままだ。しかし、能力が無ければないほど、その紙面は黒く染まっていく——。
イースターの顔面に張り付いた紙は、一瞬にして禍々しいほどの漆黒へと染まり上がった。
「真っ黒……。ふふ、塵ほどの可能性も残っていないようね」
「う、嘘だ……!俺が……俺が原因……!?じゃあ、ビオレッタ、お前が俺の子を宿したと言って結婚を迫ってきたのは、何だったんだ……っ!?」
突きつけられた残酷な現実に、イースターが血の涙を流さんばかりに絶叫する。マリア夫人は、くすくすと上品に、けれど心底楽しそうに笑った。
「さあ?少なくとも、貴方の子ではないことは証明されたわね。そう言えばビオレッタさん?貴女が実家から連れてきた護衛騎士に、腕は立つわけでもないのに、顔だけはやけに整った男がいたわね。彼は確か……水属性の使い手だったかしら?」
その指摘に、ビオレッタはガタガタと歯を鳴らし、完全に蛇に睨まれた蛙のように青ざめた。
「ひっ……!ち、違うわ……!あの人は関係ないわ!イースター様、リュケイオンは貴方の子よ!」
「まあ、どうでもいいわ。どちらにせよ、この後は王太子殿下に立ち会っていただき、血縁鑑定を執り行いますから。イースターの子で間違いないと言うなら、もちろん受けていただけますよね?」
マリア夫人は、完全に魂が抜けたように呆然としている元夫を見下ろし、冷酷極まる笑みを浮かべた。
「ふふふっ、本当に馬鹿な男。クラリッサさんという、家を立て直す唯一の希望を、自分の無能さを隠すために追いやって。今まで散々、彼女を罵り、傷つけていた言葉のすべてが、今こうして自分に返ってきた気分はどうかしら?——この、役立たずの種無し男」
「マ、マリア……なぜだ……なぜ私にこんな仕打ちを……。私は夫だぞ……!」
「まだ分からないのですか?私は、貴方が私の愛する前当主を殺してその座を奪ったその日からずっと——貴方を殺したいほど、憎んでいました」
マリア夫人から告げられた、あまりにも重い真実。
がっくりと絶望に項垂れるイースターに、ライオスが容赦のないトドメの一言を冷たく吐き捨てた。
「イースター。お前の身柄は、違法薬物の主な輸出先であった『ユルラン国』の捜査機関からも身柄の引き渡し要求が出ている。あちらの国における薬物犯罪の刑罰は、我が国よりも遥かに重く、残虐だという。せいぜい、楽しみにしておくといい」
「ひっ……、あ、ああああ……っ!」
「さあ、もういい。その罪人どもを連れて行け」
「衛兵さん、そこのビオレッタも厳重に牢へ繋いでおいていただけます?虚偽の申告で不当に侯爵家に入り込み、血統を汚そうとした大罪人ですわ」
「いやあああ!離しなさい!私は侯爵夫人よ!触るなァ!」
ライオスとマリア夫人の合図により、控えていた複数の衛兵がイースターの両腕を強引に掴んで立ち上がらせる。ビオレッタもまた、みっともなく暴れながら床を引きずられていく。
絶望に声を失ったイースターと、金切り声をあげて抵抗するビオレッタは、集まった大勢の貴族たちの蔑みの視線を浴びながら、無惨に連行されていった。
その哀れな後ろ姿を見送ったライオスは、腕の中のクラリッサを愛おしそうに抱き直すと、マリア夫人へと視線を向けた。
「見事な立ち回りでした、マリア夫人。証拠の提供、およびご協力に感謝します。しかし、これで終わりではありません。今後もクルメリオン侯爵家には、薬物ルート解明のための立ち入り調査が予定されています。何卒、ご協力を」
「もちろんですわ、ライオス様。公爵家からの要請には、すべて誠実にお答えいたします。……ねえ?ベリリアスさん?私たちは彼らと違って、賭博にも薬物にも、何一つ手を染めておりませんものね?」
マリア夫人の鋭い視線の先——周囲の騒ぎに紛れて、そろりと会場から抜け出そうとしていたベリリアスが、びくりと大袈裟に肩を震わせて振り返った。その顔は恐怖で引き攣っている。
「わ、私はアンターナル公爵家に、ケイラス様に嫁ぐ身ですもの!実家の不祥事など、私には一切関係ありませんわ……!あとの処理は、マリア夫人にお任せします!」
実家をトカゲの尻尾のように切り捨て、己の保身に走るベリリアス。そんな彼女の前に、ライオスが静かに立ち塞がった。その瞳には、未だ獰猛な光が宿っている。
「では、アンターナル公爵家として、ベリリアス嬢——貴女に『大切なお話』があります。……こちらへ来ていただけますか?」
「え……?あ、ライオス様……?」
逃げ道を完全に塞がれ、顔をこわばらせるベリリアスを引き連れ、ライオスはクラリッサをその腕に抱いたまま、大広間の奥にある静かな小部屋へと歩を進めた。




