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25話:トラウマとの再会とライオスの逆鱗

 建国祭には他国からの国賓もお招きしている。その方達への挨拶や晩餐会などで、王太子夫妻を始めとする皆様は、席を外されては戻られたりを繰り返していた。

 

 その中で、戻られたアレン王太子殿下が、申し訳なさそうにライオス様に告げた。

 

「ライオス、ユルラン王国の第一王女が君と話したいと言っていて……すまないが、少しだけ対応をしてくれないか?」

 

 躊躇ったように私を見たライオス様に、私はすぐに笑みを返した。

 

「いってらっしゃいませ、ライオス様。私のことはどうかお気になさらず」

「……すぐに戻ってくるよ」

 

 何度かこちらを振り返りながらサロンを出て行ったライオス様の背中を、私は少しの寂しさを覚えながら見送った。

 ライオス様がいない状況で、この眩いサロンに一人でいるのは肩身が狭い。私はしばしの間サロンを離れ、女性用の休憩室へ向かうこととした。

 しかし、そんな私と同じタイミングで聖女様も席を立たれることとなり、私たちは休憩室へと続く回廊を一緒に歩くこととなった。

 

「クラリッサさんは、ライオス様の家庭教師だったんですよね?」

「はい。僭越ながら、ライオス様が十三歳までの七年間、家庭教師を務めさせていただいておりました」

「そうなんですね!ライオス様はその時からクラリッサさんのことが好きだったのかしら……!?よければ、お二人の出会いとか、聞かせてもらえませんか……!?」

 

 キラキラと少女のように目を輝かせる聖女様に、私は胸がチクリと痛み、居堪れなくなって真実を話してしまった。

 

「聖女様……。申し訳ありません。私は仮初の婚約者であり、結婚する予定はないのです。お祝いいただいたのに、騙すようなことをしてしまい申し訳ございません……」

「……え?どういうことですか?」

「その……私は先日、元夫に離縁されまして……。行く宛のない私を、ライオス様が保護してくださったのです。私の研究が軌道に乗り自立できるまで、住居を提供いただく代わりに、ライオス様のお見合いを断りやすくするために婚約者という体裁をとっているだけでして……」

「そうだったんですか……?でも、ライオス様からはそんな雰囲気は一切感じませんでしたけど……」

「ライオス様は社交界の達人ですから。お上手に繕ってくださっているのですわ」

 

 首を傾げる聖女様に、私は自嘲気味に微笑む。

 

「クラリッサさんは……」

 

 何かを言いかけた聖女様に、タイミング悪く王宮の侍女から声がかかった。

 

「ご歓談中失礼いたします、聖女様。国王陛下が晩餐会でお待ちです」

「……あっ、そういえば呼ばれてたんだっけ。すみませんクラリッサさん、また後でお話しましょう……!」

「はい、いってらっしゃいませ」

 

 早足で駆けて行った聖女様の背中を見送った私が、再び休憩室に向かって歩き出そうとすると、どこからか現れた華やかなドレス姿の女性達にわっと囲まれてしまった。

 

「貴方、ライオス様のパートナーでしたよね!?その薔薇のネックレス……ライオス様とはどういった関係で!?」

「今、聖女様とも親しげにお話されていませんでしたこと!?一体どういう関係ですの!?」

「そのドレスとても素敵ね!どこのサロンのものかしら?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、回答が追いつかない。

 舞踏会や晩餐会の会場が近づき、気づけば周囲にはどんどん人が増えていた。

 

「ライオス様のパートナーの方よ!」「どこのお家の方かしら……?」と次々と野次馬が集まり、あっという間に厚い人だかりに囲まれてしまう。

 

(どうしましょう……!なんとお答えすれば……?)

 

 できれば私が「離縁された石女」であることは、ライオス様のためにもここでバラしたくはない。どうにかこの場を切り抜けられないか、必死に思考を巡らせていた時

 ——ねっとりと蛇のように絡みつく不快な声が、背後から響いた。

 

「あらぁ、誰かと思えば、役立たずのクラリッサじゃない」

「!?」

 

 聞き覚えのある呪いのようなその声に、反射的に身体が恐怖で硬直する。拒絶する体に鞭打って振り返れば、そこにいたのはベリリアス様。そして、前夫イースターと第二夫人となったビオレッタだった。

 

 ベリリアス様は意地悪な笑みを浮かべて、周囲に聞こえよがしに言葉を続ける。

 

「家庭教師風情が、まだ図々しくライオス様の婚約者の座に居座ってるみたいじゃない。いつになったら自分の立場を弁えられるのかしら?」

「まぁ……!やっと我が家から穀潰しが出ていったと思ったら、そんなところに潜り込んでいらしたのね。身分不相応な夢を見るのはよした方がいいんじゃないかしら? 『石女』には地方貴族の愛妾くらいが関の山よ」

 

 ビオレッタ第二夫人も、ここぞとばかりに『石女』という言葉を強調して嘲笑う。

 突然明かされた私の衝撃的な正体に、周囲の貴族たちの間にざわめきの輪が広まっていく。そこに畳み掛けるかのように、ベリリアス様は声を張り上げて続けた。

 

「皆さん、ここにいるクラリッサは、クルメリオン侯爵家で子ができず離縁された役立たずの石女ですわ!幼い頃にライオス様の家庭教師をしていたことを盾に、厚かましくも婚約者のように振る舞う図々しい寄生虫です。ですが、この私、アンターナル公爵家が長男・ケイラス様との婚約が決まっておりますの。私が次期公爵夫人となった暁には、この女を即座に追い出し、ライオス様を解放いたしますわ!」

 

 ライオス様の婚約という社交界のビッグニュースが覆る予感に、周囲の令嬢たちが色めき立つ。

 

 しかし、私の名前を聞いて、何人かの貴族たちが別の心当たりに反応した。

 

「クラリッサ……?まさか、あのイブリアス様が共同研究者として指名した、謎の女性じゃないか……?」

「魔塔の職員でもなく、過去に論文の発表もないからどこから現れたのかと思ったら、ライオス様の元家庭教師だったのか」

 

 方々で様々なざわめきが広がる中、研究について噂した貴族に向かって、ビオレッタ夫人がヒステリックに言葉を重ねた。

 

「あら、この女はクルメリオン家にいた時も、一日中働きもしないで部屋に閉じこもっていた役立たずの穀潰しよ!研究なんてできるはずがないわ!どうせでっちあげた不正な仕事を貰っているに決まっていますわ!ベリリアス様、この女を今すぐ捕まえて、罪人との婚約なんてすぐに破棄させた方がよいのではなくって?」

 

 イブリアス様はそんな不正な仕事の斡旋などされない、真摯に研究に向き合う方だ。そして、クルメリオン家で何もすることを許さず、私を暗い離宮に閉じ込めていたのは貴方達ではないか。

 そう反論したかった。けれど、あの五年間で「抵抗しても無駄だ」と徹底的に調教され、心を折られた身体は、恐怖のあまり凍りついたように動かない。頭だけがぼうっと熱く、手足は冷水に浸けたように急激に冷たくなっていく。

 

 どうにかこの嵐が過ぎ去るのを耐えようと、私は俯いたまま、ドレスの裾を握りしめて立ち尽くした。

 そんな私を勝ち誇ったように見下ろしていたベリリアス様だったが、ふと私の胸元に視線を止め、その表情を曇らせた。

 

「そのネックレス……薔薇の意匠……?なんであなたが私より先に、赤薔薇を纏っているのよ。そのネックレスが相応しいのはこの私よ。さあ、それを渡しなさい」

 

 ベリリアス様が私の前に傲慢に手を差し出す。その表情は、拒否の可能性など微塵も考えていない。

 

 私がライオス様の婚約者に相応しくないことは、自分が一番よく理解している。いつもの私だったら、これ以上の争いを避けるために大人しく渡していただろう。

 しかし、このネックレスをかけてくれた時のライオス様のあの温かい表情や、「よく似合ってる」と言ってくれたあの言葉が、私の心に小さな、けれど確かな抵抗の炎を灯した。これだけは、絶対に渡したくない。

 

「こ、こちらはライオス様からいただいたものです……!お渡しできません……!」

 

 声が震える自分を奮い立たせるように、胸元のネックレスを両手で強く握りしめる。

 

 それを聞いた周囲の観衆から、ポツリと疑問の呟きが漏れた。

 

「あら……?ベリリアス様には薔薇の意匠の装飾品はないのかしら……?ケイラス様とご婚約されたのであれば、真っ先に贈られるはずですのに……」

 

 その囁きを聞いたベリリアス様がカッと顔を真っ赤にして逆上し、私の胸元に向かって鬼の形相で手を伸ばした。

 

「黙りなさい!それは私のものよ!大人しく渡しなさい!」

「できません……!」

 

 ネックレスを握りしめて、守るように身を縮めた私に、しかしベリリアス様の手が届くことはなかった。

 

 ——バチチチッ!!!

 

「いたっ!?何よこれ!?」

 

 ネックレスが私の「守りたい」という強い意思に反応するかのように、目の前に鮮やかな魔導陣を展開し、ベリリアス様の手を容赦なく弾き返したのだ。

 

 所有者登録を施された魔導具は、所有者の許可なく他者が奪おうとすると、強力な拒絶の魔力を放つ。非常に稀少な技術で滅多にお目にかかれない。

 

 手を弾かれ、激痛に顔を歪めたベリリアス様は、憎々しげに私を睨みつけ、金切り声をあげた。

 

「ちょっと!この卑しい女に攻撃されたわ!そこの衛兵!今すぐこの大罪人を捕らえなさい!」

 

 いきなり指をさされた衛兵たちは、困惑したように隣の兵と顔を見合わせた。魔法を発動したのはあくまでネックレス。私が攻撃したというには少々無理がある。

 

 その態度が気に入らなかったベリリアス様は、さらに声を荒らげる。

 

「私の言うことが聞けないと言うの!?私は次期公爵夫人となる身なのよ!?」

「いや……しかし……」

 

 憤慨するベリリアス様を、ここで一歩前に出た前夫イースターが、にやにやといやらしい笑みを浮かべて宥めた。

 

「ベリリアス、この女は我が家で再教育することにしよう。元妻の管理不行届は、夫であった私の責任だ。私の教育が少し不十分だったんだろう」

「ええ?まぁ、お兄様がそう言うならそれでもいいわ。早くその薄汚い女を視界から消して頂戴」

 

 イースターは私の腕を強引に掴むと、骨が軋むほどの力ずくで引き寄せ、耳元でねっとりと耳障りな声を囁いた。

 

「家にいる時からそのくらい女らしくしていれば、石女でも妾として少しは可愛がってやったものを……。まあいい、公爵家から惨めに追い出されるお前を、特別な慈悲で、妾として我がクルメリオン家に戻してやってもいいぞ」

「……っ!い、いやっ……!離してください……!」

 

 黄ばんだ歯を見せてニタニタと笑うイースターへの、反吐が出るほどの嫌悪感と恐怖に背筋が粟立つ。

 しかし、男の力には到底敵わず、二歩、三歩と引きずられてしまう。

 

 また、あの暗い部屋に閉じ込められる。そして、今度はどんな酷い罰を受けることになるのか。

 過去のトラウマがフラッシュバックし、強烈な眩暈と過呼吸で視界が激しく歪み、今にも倒れそうになったその時。

 

「——誰の許可を得て、私の婚約者に触れている」

 

 地を這うような、周囲の空気を一瞬で凍りつかせるほどの冷酷な殺気を孕んだ声が響いた。

 

 直後、ゴキ、と生々しい音がして、イースターの腕が強引に捩じ上げられた。

 

「ぎゃあぁぁぁっっ!?なっ……!?ら、ライオス様……っ!?」

 

 イースターが悲鳴を上げ、痛みに顔を歪めて崩れ落ちる。

 

 イースターの呪縛から解放された私の身体を、温かい手がそっと抱きすくめた。腕を押さえて床に這いつくばるイースターを見下ろすライオス様が視界に映る。その瞳は、これまで見たこともないほど冷たく、昏い怒りに燃え上がっていた。

 

 ライオス様が、来てくれた。守ってくれた。

 その安心感に包まれた瞬間、恐怖に張り詰めていた私の身体から、ふっと力が抜けた。

 

「クラリッサ……?クラリッサ!!」

 

 私の名前を必死に叫ぶ、ライオス様の焦燥に満ちた声を最後に、私の意識は深い闇の底へとプツンと途切れた。

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