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22話:華やかな戦場に向けて

 クラリッサとライオスが初めて二人で出かけたあの日から、ライオスは毎週のクラリッサの休みに、何かと理由をつけては彼女を連れ出すようになっていた。

 

 だんだんと休みの日に出かけるのは習慣となり、今では「次はどこへ行こうか」と仕事の日の夕食時に相談するほどだ。休日にある二人の時間は当たり前のものとなって、数ヶ月が過ぎた。

 

 しかし、万が一にもフラれて、クラリッサを失ってしまったら……という恐怖から、一向にライオスは直接想いを伝えられておらず、あの婚姻届は今もまだ、彼の自室の引き出しの奥深くに大切にしまわれたままである。

 

 *

 

「もう!クラリッサ様は頑張り過ぎです!こんな時間までお仕事をしていたら、お肌に悪いですよ!」

「あら、マリー。もう休んでていいのよ。私は最後にここだけまとめてから寝るわ」

「いいえ!昨日もそうやって遅くまでお仕事なさってたことを、私はちゃんと知ってるんですからね!」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませるマリーには申し訳ないが、どうしてももう少し進めてから休みたい。

 

 私が少しでも粘りたいのには理由がある。イブリアス様との共同研究が思いの外順調で、実用化に向けて規模を拡げた検証を行うことになった。それに伴い、追加融資の打診のために、中間報告を前倒しすることになったのだ。

 クルメリオン家の離宮に閉じ込められていた五年間のうちに、構想だけはずっと練っていたことと、何より聖女様と英雄卿が、討伐困難な魔物からしか採取できない貴重な素材を自ら採取して来てくださるのが研究の進捗に非常に大きく貢献した。

 

 研究室に寝泊まりしているイブリアス様に比べて、私は使える時間がずっと少ない。以前、遅くまで研究に没頭していたら、ライオス様が直々に研究室まで迎えにいらして、「心配した」と酷く怒られてしまった。あまり遅くならずに帰るのが、ライオス様との約束なのだ。

 

「クラリッサ様がお仕事熱心なのは素晴らしいことですが、建国祭に向けてクラリッサ様のコンディションを万全に整えるのも私の仕事です!今日はクラリッサ様がお休みになられるまで、私も絶対に休みません!」

 

 マリーは腰に手を当てて私の隣に仁王立ちした。

 こうなってしまっては、私が頑張るほどマリーが休めなくなってしまう。私は渋々ペンを置いた。

 

 マリーが言っていた建国祭とは、この国で毎年行われる最も盛大なお祭りのことだ。

 初代聖女が魔王を封印し、この国を建国したとされる日を中心に行われるお祭りで、期間中の三日間にわたって、大規模な舞踏会と晩餐会が開催される。

 

 そしてこの舞踏会は、結婚適齢期の未婚の男女に招待状が配られる。

 もちろん、ライオス様の元にも招待状が届いており、私はパートナーとして参加することになっていた。

 マリーは張り切っているけれど、ライオス様と並ぶことで浴びせられるであろう周囲の冷ややかな目線を思うと、私は今から憂鬱で仕方がなかった。

 

 しかも、これほど大規模な舞踏会や晩餐会となれば、クルメリオン家の者たちと鉢合わせる可能性が極めて高い。

 私を虐げた前夫のイースター・クルメリオン、領地帳簿を押し付けたベリリアス様、そして私の不妊の決定的証拠となり、徹底的に私を見下したビオレッタ第三夫人……。

 その名前を頭に浮かべただけで、まるであの頃の暗い離宮に逆戻りしてしまったかのような恐怖に、身体の震えが止まらなくなるのだった。

 

 頭に浮かぶ暗い考えを振り払うように布団に入り目を瞑ると、マリーが優しくホットタオルを目元にかけてくれた。そのじんわりとした心地よい温かさに誘われ、私はゆっくりと眠りについた。

 

 *

 

 あっという間に舞踏会当日がやって来た。あまり気乗りしない私の気持ちを置き去りにするように、朝からみるみると身支度が進められていく。

 

「クラリッサ様、もう目を開けていいですよ」

 

 お化粧の最後の仕上げが終わったようだ。マリーの声に従ってそっと目を開けると、鏡の中に佇んでいたのは、見違えるほどに磨き上げられた、見知らぬ一人の女性だった。

 

(これが……私……?公爵家に仕える皆の技術というのは、これほど凄まじいものなのね……)

 生まれ変わったかのような自分の姿を、私は信じられない思いで見つめる。

 

 身に纏うのは、この日のためにライオス様から贈られた、翡翠色の生地に繊細な銀の刺繍が入ったドレス。上質な生地が描くシルエットはどこまでも美しく、耳元で揺れるのは大粒の翡翠のイヤリングだ。

 そして胸元には、こちらもライオス様から事前にいただいた上品なネックレス。舞踏会のパートナーを申し込む際、男性からは装飾品を、女性からはハンカチを贈るのがこの国の古い習慣だ。私はこのネックレスをいただき、手縫いのハンカチをお返ししていた。

 

「クラリッサ様、ものすごくお綺麗です……!」

 

 マリーを筆頭に、周囲の侍女達から称賛のため息が上がる。

 公爵邸に来てからというもの、バランスの良い食事とストレスのない生活。最近は少し睡眠不足気味だったけれど、規則正しい生活と侍女達の手厚い美容サポートにより、青白くくすんでいた私の肌は、まるで数年若返ったかのような内側からのツヤを放つようになっていた。

 公爵家の総合的なサポートと技術力によって磨き上げられた今の姿は、自分でも一瞬誰かわからないほどだ。

 

「みんな、本当にありがとう……」

「本当にお綺麗です……!ライオス様と並んでも一歩も遜色ありませんわ!ぜひ自信を持っていってらっしゃいませ!」

「ふふ、それはいくらなんでも言いすぎよ……」

 

 出発のためにライオス様の元へ向かおうとしたその時、控えめな扉のノック音が響いた。返事を返すと、入って来たのは正装に身を包んだライオス様だった。

 

「クラリッサ、準備はどう……」

「あ、ライオス様。お待たせいたしました。ちょうど今終わりましたので、そちらに伺おうと……ライオス様?」

 

 私の姿を見た瞬間、石のように固まってしまったライオス様を不思議に思い、首を傾げる。彼はしばらく呆然とした後、吸い込まれるように目を輝かせた。

 

「すごく……すごく綺麗だ。ドレスも、君によく似合っているよ」

「あ、ありがとうございます。こんなに素敵なドレスを選んでいただいて、本当に嬉しいですわ」

 

 まるで見惚れているかのようにぽつりと呟くライオス様の、熱を帯びた翡翠の瞳。心の底からそう思ってくれているかのようなその真っ直ぐな言葉に、「そんなはずはない」と頭では分かっていても、耳がカッと熱くなったのを感じた。

 

「今のままでも当然美しいけれど……僕に、最後の仕上げをさせてもらってもいいかい?」

「……?はい、お願いします」

 

(なにかしら?)

 ゆっくりと歩み寄ったライオス様は、手に持っていた小箱を開けると、中から一本のネックレスを取り出した。そして、私が元々つけていたネックレスの上から重ねるように、彼自身の手で私の首元へと飾った。

 

 私の胸元を新しく彩ったのは、大粒の真っ赤なルビーで形どられた、一輪の美しい薔薇のネックレスだった。ルビーの大きさといい、細部までこだわり抜かれた意匠といい、とんでもない逸品だということが容易に想像がつく。


「ライオス様、こちらは……」

「うん、やっぱりよく似合ってる。この前のものはパートナーの『予約用』で、いわば普段使い用だからね。これが舞踏会で、君が僕のパートナーだという正式な『証』だよ。受け取ってほしい」

「あ……ありがとうございます、大切にいたしますわ」

 

 そう言われてしまえば、辞退するわけにもいかない。しかし、もしこのネックレスを仮に傷つけてしまったらと思うと、払いきれない弁償の予感に身を固くした。

 

「申し訳ありません、私からのお返しは、事前のハンカチ一枚きりしか用意できておらず……」

「僕が贈ったものを君が身につけてくれること、それ自体が僕にとって最高のお返しだよ。さぁ、行こうか。――君の手を取る栄誉を、僕に」

「――よろこんで。本日は、よろしくお願いいたしますわ」

 

 左手を胸に当て、美しく右手を差し出したライオス様の手の上に、そっと自分の手を重ねる。

 

 私は心の中で覚悟を決め、トラウマの主たちが待つ、華やかな戦場へと向かうべく、静かに馬車へと乗り込んだ。

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