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2話:公爵家からの迎え

 アンターナル公爵家からの縁談。

 あまりに現実味のないその手紙を前に、男爵家である我が家は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 

「クラリッサ、本当に心当たりはないのか?公爵家といえば、我が家のようなしがない男爵家など、一瞥をくれる価値もない大貴族だぞ。しかもお前は……その、離縁されたばかりだというのに」


 おろおろと狼狽える両親と兄。

 確かに、彼らの疑問はもっともだった。不妊を理由にクルメリオン侯爵家から追い出されたバツイチの二十七歳。そんな私に、雲の上の存在である公爵家から直々に縁談が舞い込むなど、怪奇現象以外の何物でもない。


「……分かりません。ただ、送り主の欄にあるライオス様は、私がかつて十三歳まで家庭教師を務めていた教え子です」


 その時だった。

 にわかに外が騒がしくなり、実家の古びた玄関の扉が、遠慮のない音を立てて開け放たれた。

 

「失礼するよ。大切な人を迎えに来たんだ」

 

 低く、心地よく鼓膜を揺らす、魅力的な男性の声。

 居間に滑り込んできたのは、部屋の煤けた空気を一瞬で塗り替えるほどの、圧倒的な光を纏った美青年だった。

 さらりと流れる上質な赤髪に、獲物を狙う獣のように深く、同時に蕩けるような色気を湛えた翠色の瞳。仕立ての良い外套を羽織り、非の打ち所のない完璧な笑みを浮かべている。

 

(……え? うそ……)

 

 私は息を呑んだ。

 私の記憶の中にあるライオス様は、いつも私の後ろを「先生、先生!」と健気に追いかけてくる、線の細い、ひよこのような男の子だった。

 けれど、やってきたのは、見上げるほどに背が高く、厚い胸板をした、完成された青年だ。

 

 社交界の噂が、頭の中でリフレインする。

 ――公爵家の三男、ライオス・アンターナル。甘いマスクと洗練された話術で、数多の令嬢や未亡人を虜にする、当代きっての遊び人。

 

「お初にお目にかかります、男爵閣下。突然の訪問をお許しください。ライオス・アンターナルです」

 

 ライオス様が完璧な貴族の礼を執ると、両親と兄は完全に気圧され、声を失って震えていた。

 ライオス様はそんな三人には目もくれず、真っ直ぐに私へと歩み寄ってくる。一歩、近づくたびに、洗練された高級な香水の匂いが私を包み込む。


「……お久しぶりです、クラリス先生。お変わりないですね」

「ライオス様は……随分とご立派に成長されて……」

「もう十八になりました。立派な成人ですよ」


 彼は流れるような優雅な動作で、私の前に片膝を突き、私の右手をそっと取った。

 差し出された彼の掌は、驚くほど大きく、熱い。かつて、私が握りしめて文字を教えてあげた、あの小さくて柔らかかった手の面影はどこにもなかった。

 

「私に、貴女を守る権利をいただけませんか?」

 

 それは、この国における一般的なプロポーズの言葉を、少し変えたものだった。通常なら「守る権利」の部分には「人生」や「生涯」という言葉が入る。

 彼は、掌の上にある私の指先に熱い唇を落とした。その所作の一つ一つが、あまりにも自然で手慣れている。


(私を「守る」……。そうだわ!きっとこの結婚は、元家庭教師の私を憐れんで、保護のために申し込んでくれたんだわ……!)


 彼はまだ十八歳。婚約者もおらず、選べる若き令嬢などいくらでもいるはずだ。同情でなければ、行き場のない年増の石女(うまずめ)に結婚を申し込む理由がない。


「クラリッサ先生……?」


 彼に見惚れて、返事を忘れていた。ライオス様が顔を上げてこちらを見つめてくる。はからずも上目遣いになったその眼差しに、天使だった頃の彼が重なった。


(行く当てもない私にとっては、これ以上ない救いの申し出だわ。ただ、私は……)


「……ライオス様。私のような傷物が、公爵家に嫁げば、あなたの輝かしい名誉に泥を塗ることになります。それに、私は……」

「子が成せないこと?」


 ライオス様は、私の言葉を遮るようにフッと艶っぽく笑った。


「僕は家を継がない三男ですから、後継者はいらないんです。……それとも、やはり当主の夫人でないと不満ですか?」


 悲しげに眉を寄せる彼に、私は慌てて首を振った。


「そんな……!滅相もありません!」

「でしたら……この手を取っていただけますか?」


 もとより私にはでき過ぎた話だ。これ以上、実家に迷惑をかけるわけにもいかない。断る理由など、一つも無かった。


「……不束者ですが、よろしくお願いいたします」


 私の言葉にライオス様は満足そうに微笑むと、私を優しく促し、外へと連れ出した。


 男爵家の前に停まっていたのは、目が眩むほど豪華な、アンターナル公爵家の馬車だった。

 

 ライオス様にエスコートされて馬車に乗り込む。重ねた手が熱い。

 

「さあ、行きましょう。僕たちの愛の巣へ」

 

 馬車が動き出す。

 女慣れした彼の甘い誘惑に、私のちっぽけな心臓が耐えられるだろうか。

(勘違いしてはダメよ、これは同情の結婚。彼に相応しい本命のご令嬢が現れたら、すぐに身を引かないといけないのだから……)

 

 彼の優しさにこれ以上甘えるわけにはいかない。遠ざかっていく実家を眺めながら、私は気を引き締めた。


 *


 その隣で、ライオスは、クラリッサに見えないよう窓の外を向きながら、はやる鼓動を必死に抑えていた。

 

(危なかった……!先生があの頃のまま綺麗すぎて、あんなに考えたプロポーズの言葉が出てこなかった……!)

 

 なんとか婚約を承諾してもらえた喜びと、己の不甲斐なさへの後悔が交互に押し寄せる。本当は「ずっと好きだった。これからも生涯かけて愛する」と言いたかったのに、緊張のあまり言葉が脱落してしまった。


(くそ、なんで『好き』の一言も言えないんだ……!でも……やっと……!やっと手に入れたんだ。絶対に離さない)

 

 完璧な遊び人の仮面の下で、年下の教え子は、狂わんばかりの純情と執着の炎をメラメラと燃え上がらせていたのだった。

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