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1話:石女と蔑まれた才女

 五年。

 赤子が言葉を覚え、少年が青年へと成長を遂げるのに十分なその歳月は、この国において「子が成せぬ配偶者」に離縁を通達できる法的猶予でもある。

 

「今日で、結婚してからちょうど五年だ。意味は分かるな?」

「はい……」

 

 クラリッサは、冷ややかな大理石のテーブルに置かれた離縁状を、静かに見つめた。

 既に用意されていたであろうその紙面には、夫――イースター・クルメリオン侯爵の署名と、私の署名を待つだけの空白が、残酷なほど整然と並んでいる。

 

「お子が出来なくて離縁だなんて……。私だったら、恥ずかしくて生きていけませんわ。まぁ、クラリッサ様なら学園時代の『輝かしい成績』を頼りに、どこかで生きていけるかしら?」

 

 証人として立ち会う第三夫人のビオレッタが、腕の中の赤子を愛おしげに揺らしながら、クスクスと嗤う。

 血統が重視されるこの国で、不妊による離縁は社交界における「死」を意味した。

 

 二十七歳。文官への道は既に閉ざされ、再婚を望んでも、子を望めない私に待っているのは、身分の低い男の「愛玩用の愛妾」が関の山。

 

「全く、才女だというから期待したものを。石女(うまずめ)だったとは。これでは、ただの欠陥品だ。実務に口を挟むばかりで可愛げもない。マリア(第一夫人)のように、黙って座っていればいいものを」

 

 イースターは吐き捨てるように言い、心底煩わしそうに溜息をついた。

 五年前、彼が放蕩に明け暮れる間、私は必死だった。領地の帳簿を整え、傾きかけた財政を立て直そうと奔走した。しかし、夫はそれを「女のくせに生意気だ」と切り捨て、私を執務室から追い出した。

 仕事を奪われ、本邸から離れた離宮でひっそりと暮らす日々。彼にとって、私は自分の種を育てるための「無機質な苗床」にすらなれない、目障りな置物に過ぎなかったのだ。

 

 クラリッサは指先の震えを必死に抑え、唯一空いている欄に署名をした。

 インクが乾く間もなく、ビオレッタがひったくるようにそれを取り上げる。

 

「これで、お前とは赤の他人だ。今すぐ出ていけ。……ああ、その指輪も置いていけよ。この家の金で買ったものだ」

「……かしこまりました。今まで、お世話になりました」

 

 せめて、無様な姿は見せたくない。

 

 外した指輪を机に置き、涙を喉の奥で飲み込んで。

 指先の神経まで凍らせるような思いで、精一杯美しく、誇り高いカーテシーを捧げて退出する。

 

「ふふ、離縁なんて……惨めだわ」

 

 扉が閉まる間際、隙間から漏れ聞こえた嘲笑に、クラリッサの目から耐えきれぬ一筋の涙が溢れた。

 

 *

 

「本当に、これからどうしましょう……」

 

 実家へと向かう乗り合い馬車の、硬い座席に揺られながら、クラリッサは途方に暮れていた。

 持たされたのは、カバン一つ分の私物だけ。嫁入りの際に持参した愛用の家具も、「慰謝料の足し」として没収された。

 

(再婚なんて無理……。文官の受験資格も、期限が切れてしまったし……)


 かつての主席卒業という栄光は、今や埃を被った記憶でしかない。

 

 絶望に沈む意識の中で、ふと思い出したのは、この地獄のような結婚生活が始まる前の――人生で一番輝いていた頃の記憶だった。

 

(あの頃は、楽しかったわ……)

 

 アンターナル公爵家での住み込み家庭教師。

 そこで教えていた、天使のように愛らしく、けれどどこか寂しげな瞳をした少年――ライオス。

 私が新しい知識を教えるたびに、彼は翠の瞳を輝かせて「先生、すごいよ!」と笑ってくれた。

 

(……修道院で、あの子のように学びを必要としている子供たちと暮らすのも、悪くないかもしれないわね)

 

 今は「遊び人」として悪い噂ばかりが届く元教え子の、当時の無垢な笑顔を御守りのように抱きしめ、クラリッサは実家の男爵家へと辿り着いた。

 

 しかし、玄関で出迎えたメイドは、私の顔を見るなり、驚愕に目を見開いて屋敷の奥へと駆け込んだ。

 

「旦那様!奥様!お嬢様がお戻りになりました!」

 

 メイドの叫び声に応じるように、両親が血相を変えて飛んできた。

 

(離縁された面汚しだと、追い出されるのかしら……)

 

 叱責を覚悟し、身を縮めた私に投げかけられた言葉は、予想だにしないものだった。

 

「クラリッサ!どういうことだ!?アンターナル公爵家から、直々に縁談の申し込みが来ているぞ!」

「え……?」

 

 震える父の手に握られた封筒には、確かに公爵家の薔薇の紋章。

 

 そして送り主の欄には――かつての教え子、ライオス・アンターナルの署名が、力強く刻まれていた。

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