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19/29

19話:初デート(と思っているのはライオスだけの模様)

 約束の日。公爵邸の私の部屋では、朝からささやかな攻防が繰り広げられていた。

 

「ねえ、マリー。今日は街へ視察に行くのだから、もっと動きやすくて、最悪汚れても構わないような、地味な普段着のほうがよいと思うのだけれど……」

 

 私は、鏡に映る自身の姿を見つめながら、背後に立つ侍女のマリーに苦笑いを向けた。

 街の視察に行くはずの私に着せられたのは、つい先日仕立てられたばかりの外出用ドレス。

 上質な若草色の生地に、控えめながらも美しいレースがあしらわれた一着は、どう考えても街歩きには向かない。

 

 しかし、マリーは手にしたブラシで髪を結いながら、やんわりと、しかし断固とした口調で告げた。

 

「いいえ、クラリッサ様。こちらのお召し物がよろしいですわ」

「そうかしら……?もっと歩きやすい靴を合わせられる服装が良いのだけれども……」

「移動は馬車ですから、心配ありませんわ。それに、せっかくドレスの仕立てが間に合ったんですもの。贈り主のライオス様にお見せするのも御礼の一つですわ」

 

(マリーがそういうなら、いいのかしら……)

 

 今日の視察先について、ライオス様は私に詳しく教えてくれなかったけれど、マリーには事前に伝えられているはずだ。それをもとに服を選んでくれているマリーがこれがいいというのであれば、大人しく従うのが正解なのだろう。

 いつもより少し華やかに、かつ上品に着飾らされた私は、どこか落ち着かない気持ちのまま公爵邸の玄関へと向かった。

 

 エントランスの階段下で待っていたライオス様は、降りて来た私を一目見た瞬間、大きく目を見張った。

 

「……クラリッサ、今日の君は、言葉にできないほど素敵だよ。そのドレスも、君の瞳の色によく似合っている」

 

 ライオス様はうっとりとした声を漏らすと、流れるような手つきで私の手を取って、その指先にそっと唇を寄せた。

 その完璧すぎる『社交界の貴公子』としての美しいエスコートと、わずかに熱を帯びた視線に、私の頬はカッと熱を帯びた。

 

「あ、ありがとうございます、ライオス様……。マリーがどうしてもと勧めるものですから、少し大袈裟になってしまいましたわ」

「僕が贈ったドレスをこんなに美しく着こなしてくれて嬉しいよ。さあ、行こうか」

 

 少年のように嬉しそうに微笑むライオス様に導かれ、私は緊張で胸を鳴らしながら、馬車に乗り込んだ。

 

 *

 

「――さあ、着いたよ。まずは腹ごしらえをしようか」

 

 馬車が止まり、ライオス様に手を引かれて降りた私は、目の前の建物を見上げてパチパチと目を丸くした。

 てっきり、下町の住宅街や活気のある商業大通りをそぞろ歩くものとばかり思っていたのだ。だが、案内されたのは王都でも三本の指に入る、格式高い高級老舗レストランだった。

 入店には厳格なドレスコードがあり、気軽に立ち入れるような場所ではない。マリーが頑なにドレスを勧めた理由が、ようやく理解できた。

 

「あの、ライオス様?ここは……?」

「うん?お昼ご飯はまだだよね?まずは一緒にお昼をと思ったんだけど……もしかしてあまりお腹は空いていないかな……?」

「い、いえ!ご一緒させていただきます……!」

 

 気遣うように覗き込まれれば、お断りする理由などなかった。

(まだ研究は始めて間も無く、お給金はいただいていないわ。こういうところのお食事には、いくらくらいかかるのかしら……)

 私は心の中で自分の薄いお財布と会計の恐怖に震えながらも、促されるまま格調高い内装の個室へと、恐る恐る足を踏み入れた。

 

 テーブルに運ばれてくるのは、贅を尽くした最高級のランチコースだ。見たこともないほど繊細で美しい料理の数々はどれも絶品で、一口運ぶごとに、その素晴らしい味わいに心の中で何度も舌鼓を打ってしまった。

 ライオス様は甲斐甲斐しく料理を私の皿に取り分け、終始、蕩けるような甘い視線を投げかけてくる。

 

「この白身魚のソース、君が好きそうだね。口に合うかい?」

「……!はい、とても美味しいですわ。あ、ライオス様、取り分けは私がいたしますので……」

「いいんだ。僕にやらせて欲しい。君がそうやって美味しそうに食べている姿を見れて幸せなんだ」

「あ、あまり見られますと緊張しますわ……」


 ニコニコと微笑むライオス様に見つめられ、緊張のまましかし絶品の食事を終え、馬車に戻る。

 私の分の支払いを、と切り出したものの、ライオス様には「このくらいは心配に及ばないよ」とやんわりと断られてしまった。私にとっては雲の上の高級店だったけれど、公爵令息たる彼にとってはこれが通常の昼食なのだろうか。

 あまりしつこく食い下がるのも、彼のお財布事情を疑うようで失礼になってしまう。私はお言葉に甘えて、素直にご厚意を受け取ることにした。

 

 それにしても、食事中の至れり尽くせりな特別扱いに、最終的にご馳走になってしまったお食事。「なぜ?」という疑問が、私の脳内を駆け巡る。そして私は、一つの現実的な答えを導き出した。

 

(……きっとこれは、送別会、あるいは門出の祝いね!)

 

 そう思えば、すとんと納得がいった。

 これはきっと、家庭教師の役目を終えた私への、ライオス様からの『送別会』、または、やっと自立の方法を見つけた私への『門出の祝い』なのだ。

 

(なんてお優しい方かしら。いただいた家庭教師のお役目を途中で終了することになってしまった私に、こんな素敵なお店を予約してくださったなんて……。この御恩は、イブリアス様との共同研究を絶対に成功させて、素晴らしい成果でお返ししなくては!)

 

 すっかり納得した私は、感謝と決意に満ちた熱い瞳をライオス様に向けるのだった。

 

 *

 

 私たちを乗せた馬車が次に停まったのは、王都でも有名な宝飾店の前だった。

 大理石の床に水晶のショーケースが並ぶ店内は、眩いばかりの輝きに満ちている。

 

「クラリッサ、このブローチなんてどうかな。君の美しい髪に、この深い赤の宝石がよく映えると思うんだ」

 

 ライオス様は店員に出させた最高級のブローチを、私の前に広げて見せた。

 完璧な微笑みと、贅沢な贈り物。世の女性なら、うっとりと頬を染めて彼に寄り添うようなシチュエーションだろう。

 けれど、いくら義理深いライオス様の門出の祝い、あるいは送別の記念品だとしても、これをもらうわけにはいかない。私は、仮の婚約期間中にいただいたものはすべてお返しする予定なのだ。サッと顔を青ざめさせて一歩飛び退いた。

 

「め、滅相もございません!こんな高価なものを私にご準備いただく必要はございませんわ!」

「え?いや、僕からの日頃の感謝を込めた贈り物なんだから、遠慮せずに受け取ってほしいな。君にこそ似合うと思って選んだんだ」

「いいえ!お別れの記念品にしては、流石に度が過ぎています!それに、婚約期間中にいただいたものはすべてお返しいたしますので、これ以上私に体裁のために公爵家の財産を使っていただく必要はありませんわ……!」

「……お別れの、記念品?」

 

 ライオス様はブローチを掲げた姿勢のまま、ピシリと固まってしまった。顔には笑をたたえているが、その口端は引き攣ったように見えた。

 何かおかしなことでも言ったかしら、と首を傾げる私を余所に、ライオス様はなぜか酷く焦ったように何か言いたげに口を開いて、しかし何か言葉を発することはなくその口を閉じてしまった。

 

 その後も、ライオス様が何を勧めようと、私は「いただくわけにはまいりません」「私のような者が身につけては分不相応です」と頑なに拒否し続け、公爵家の財産を無駄に使うことを防いだのだった。


 *ライオス視点

 

 重苦しい敗北感を抱えたまま、俺はクラリッサと共に、次の目的地である劇場に向かうべく馬車に乗り込んだ。

 

(全然ダメだ……。これではクラリッサは、俺の気持ちに一ミリも気づかないまま家を出て行ってしまう……!)

 

 焦燥感に駆られながら、所在なげに窓の外を眺めていたクラリッサを盗み見ていると、ある場所を通り過ぎた瞬間、彼女の美しい琥珀色の瞳がパッと引き寄せられるように大きく見開かれた。

 

 視線の先には、大通りの片隅にひっそりと佇む、古めかしくて小さな本屋。

 店頭には学術書や、魔導に関する古書が雑多に積み上げられている。クラリッサは無意識に、窓ガラスに触れそうなほど身を乗り出し、その本屋を興味深そうに見つめていた。

 

 その様子を見た瞬間、俺ははっと息を呑んだ。

 今まで、高級レストランでも、きらびやかな宝飾店でも決して見せなかった、心からの輝きが彼女の瞳に宿っていたからだ。

 

「クラリッサ、あの本屋に寄っていこうか?」

 

 俺の提案に、クラリッサはハッと我に返り、自身の服装を見下ろして、申し訳なさそうに首を振った。

 

「あ、いえ……!結構ですわ。ライオス様のお時間をいただくような用事でもございませんし、ドレスが汚れてしまうかもしれません。次の休日にでも参りますわ」

「っ……!」

 

 その言葉は、俺の胸を鋭く突き刺した。

 頭を痛烈に殴られたような衝撃が、身体を駆け抜ける。

 

(……俺は、なんて馬鹿なんだ)

 

 自分が今日してきたことは、何だったか。女性が喜ぶ『高級品』や『宝石』という世間のテンプレートを、自分勝手にクラリッサに押し付けていただけではないか。それで彼女のことをよく知っているなどと、よくも自惚れたものだ。

 十数年も前からずっと彼女を見てきて、彼女の好きなものや、何に一番心を躍らせるのかは、分かっていたはずなのに。

 彼女が求めているのは、諜報活動の時に使うような、小手先の手練手管ではない。俺は、クラリッサに合わせた彼女のためだけの時間を考えるべきだったんだ。

 激しい後悔の念が押し寄せ、己の身勝手さを呪った。

 

「……ごめん、クラリッサ。僕が浅はかだった」

「え?ライオス様、なぜ謝られるのですか?」

「いや、なんでもないよ。……次の休日、もし時間をもらえたら、僕と一緒に本屋巡りなんてどうかな?君の研究についてもっと知りたくてね。僕の理解の助けになるような、おすすめの書物を君に選んでほしいんだ」

「まあ……!はい、喜んで!」

 

 ようやく咲いた彼女の心からの笑顔に、俺は救われる思いがした。

 次に向かう劇場は、彼女が俺の家庭教師をしてくれていた時代に、「いつか行ってみたい」と言っていた場所であり、見たいと焦がれていた演目だ。

 今度こそは心の底から喜んでくれることを願って。そして、彼女の心の中にある『元教え子』という印象を塗り替え、一人の『男』として意識してもらえることを期待して。

 俺は次なるアプローチに向けて、必死に思考を巡らすのだった。

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