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17話:婚約契約の終了(?)

「――というのが、依頼のあった研究の詳細と、待遇の見込みだよ。どうかな、前向きに検討してくれそうかな?」

「本当に、私にはもったいないほどの条件ですわ……」

 

 説明された研究内容は、ハンカチに組み込んだ魔法陣の応用による、汎用防御魔道具の開発だった。

 現在の魔道具は、一回きりの使い捨てか、出力される防御壁の強さが使用者の魔力量に依存するものが主流だ。だが、私が編んだ魔法陣には、魔力量の少ない私でも魔物の攻撃に耐えられるよう、周囲の魔力を効率よく増幅する特殊な回路を組み込んだ。

 クルメリオンの離宮に閉じ込められていた頃、あまりに退屈で、理論上は実現可能であるはずの術式をいくつか考案していたのだ。そのうちの一つを試験的に刺繍してみたのだが、どうやら目覚ましい効果を発揮してくれたらしい。

 

 待遇に関しても申し分なく、成果の有無にかかわらず提示された固定報酬は、一般的な公務員の年収の二倍ほど。

 さらに実用化に至った場合は、技術使用料を受け取る権利までいただけるという。

 

 しかし、一点だけ、どうしても私の胸に引っかかる部分があった。

 

(期待された成果のためには、リリスティア様の家庭教師との兼任は難しいわ……)

 

 聖女様、英雄卿、さらには国王陛下までが出資者に名を連ねるプロジェクトだ。名だたる顔ぶれが、この研究への期待値と緊急性の高さを物語っている。事実、継続の可否を判断する中間報告は「半年後」に設定されていた。

 半年以内にめぼしい成果を上げられなければ打ち切りの可能性があり、研究を任されたイブリアス様の研究室に泥を塗ることになってしまう。

 

 リリスティア様の家庭教師は、行き場のない私を保護してくれたライオス様からいただいた、大切な役割だ。お役目を終えた後の身の振りを考えれば、研究に参加すべきだと頭では分かっている。けれど私には、ライオス様がくれた大切な居場所から、離れる決心がつかなかったのだ。

 

 これ以上ない好条件を前に、すぐには頷けない私を、レナード先輩が心配そうに覗き込んできた。

 

「懸念点は、やはりあの婚約者様かい?」

「……ええ。お屋敷で任されている大切なお仕事がありますので、そちらとの兼ね合いが……」

「実はね、俺は君と研究所で働けることを、楽しみにしていたんだよ」

「えっ?」

「てっきり君は、卒業したら当然のように大学院へ進学するものだと思っていた。そしてそのまま魔塔へ就職するのだと……。大学院への推薦状だって、書いていたんだ」

 

 大学院への進学には、通常の試験のほかに、三名以上の推薦と学園長の許可があれば無試験での入学が許される制度がある。当時、推薦者の名前は伏せられていたが、私が推薦枠をいただけていたのは、レナード先輩の力添えもあったからのようだ。

 

「それが、卒業してすぐに結婚してしまうなんて……。あの時は本当に驚いたし、ショックだった」

「申し訳ありません……。先輩の温かいお気持ちを無駄にしてしまうような真似を……」

「いいや、君が謝ることじゃないさ。……妻に学問の選択すら許さないような、そんな矮小な男が悪いんだ」

 

 もしあのまま大学院に進学していれば、先に魔塔に就職したレナード先輩の助手として共に研究に没頭していたかもしれない。手塩にかけて育てた、自分の研究分野を誰より理解している後輩を理不尽に奪われたためか、温厚なレナード先輩の語気には、珍しく怒りが混ざっていた。

 

「今の婚約者もそうなのかい?君の選択肢を奪い、また縛り付けようとする男なら、俺は――」

「ライオス様は、そんなことはなさいませんわ!」

 

 思わず声を荒らげてしまい、はっと己の口元を押さえる。

 ライオス様が、あのクルメリオンの前夫と同じなど、絶対にあり得ない。彼は役立たずの私をどこまでも優しく保護し、役割をくれた恩人なのだ。

 

「も、申し訳ありません、はしたない真似を……。ですが、ライオス様は決してそのようなお方ではありませんわ。行く当てのない私に居場所をくださった、私の恩人ですの」

「いや……俺の方こそ、勝手な決めつけをして申し訳なかった。ただ、滅多にない好条件の国家案件だし、何より君がこの研究の『(かなめ)』なんだ。是非、前向きに考えてほしい」

「はい。一度資料を持ち帰り、ライオス様にご相談させていただきます」


 資料をまとめ、席を立とうとした私を引き留めるように、背後から低く甘やかな声が響いた。

 

「その必要はないよ、クラリッサ。君がどうしたいかで決めていいんだ」

 

 振り返れば、いつの間にか話を終えたライオス様がそこに佇んでいた。

 

「内容は兄上から聞いた。クラリッサ、君自身は、この研究に参加したいかい?」

 

 まるで迷子に語りかけるような、優しく、包み込むような声音。

 

「私には、リリスティア様の家庭教師のお仕事が……」

「それは気にしなくていいんだよ。リリスは寂しがるだろうけれど、それが君の可能性を制限する理由にはならない。クラリッサ、君の本当の気持ちを聞かせてほしい」

「わ、私は……」

 

(一度は諦めた、憧れの研究職。……正式な研究員になれる時期は過ぎてしまったけれど、補佐としてでも、もう一度挑戦してみたい。それに、家庭教師のお役目がなくなれば、ライオス様に『婚約者』という仮初めの地位を用意していただく必要もなくなるわ。将来あるライオス様を不妊の私から解放できて、私自身も自立できるだけのお給金をいただける。……誰にとっても、これが最善の選択のはずだわ)

 

「……共同研究者として、参加させていただきたいです」

「うん。それがいい。……君のやりたいことを伝えてくれて、ありがとう」

 

 ライオス様はどこか寂しそうに細められた瞳で微笑むと、レナード先輩に正式な書類の用意を促した。

 

 レナード先輩が書類を取りに応接スペースを後にし、二人きりの空間が訪れる。

 

「ライオス様。本当に、申し訳ございません。せっかくリリスティア様の家庭教師という、素晴らしいお仕事を用意していただきましたのに……」

「リリスのことは本当に気にしなくていいんだよ。元々片手間に、という口実だったしね。……それよりも僕は、君と過ごせる時間が少なくなってしまうことの方が、よっぽど寂しいよ」

「そうですわね……。引っ越し先については今から選定することになりますので、お世話になりっぱなしで心苦しいのですが、新しい家が決まるまでの二週間ほど、お部屋を借り続けてもよろしいでしょうか?」

「引っ越し……?なぜ、君が引っ越すんだい……?」

「え……?家庭教師のお役目が終了した私が、これ以上、公爵邸に居座るわけにはまいりませんわ」

 

 私の当然の言葉に、ライオス様はピタリと硬直した。

 数秒の沈黙の後、彼は絞り出すように重々しく口を開いた。

 

「もしかして、クラリッサ……君は、リリスの家庭教師をさせるために、僕が君と婚約したと思っているのかい……?」

「……?はい。それ以外に、私のような者を婚約者に据える理由など、ございましょうか……?」

「クラリッサ……っ!僕は、君が――!」

 

 ライオス様が私の両手を強く握りしめ、ぐっと至近距離まで顔を近づける。その切実な表情に心臓が跳ね上がった瞬間――事務的な声が二人の世界を切り裂いた。


「お待たせしました。こちらが共同研究の申請書と、待遇確認書です。署名の前に確認をお願いしますね。質問なら何でも受け付けますよ?」

 

 どさりと、これ見よがしに机に置かれる書類の束。

 私は慌てて、吐息が触れ合いそうなほど近くにいたライオス様から、飛び下がるようにして距離を取った。

 

「……わざとだろう、お前」

「何のことですか?たまたま書類の準備が今終わっただけですよ」

 

 睨みつけるライオス様と、素知らぬ顔で受け流すレナード先輩。静かに火花を散らす二人の視線をよそに、私は激しく脈打つ心臓を誤魔化すように、大慌てで書類へと目を落としていた。

 

(び、びっくりしたわ……!あんなに近くで見つめられるなんて……。それにしても、ライオス様は一体、何を言いかけていらっしゃったのかしら……)

 

 聞き返せる雰囲気でもなくなってしまった今、クラリッサがその言葉の先を知るのは、もう少し後になるのだった。

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