16話:未来への足掛かりと、越えねばならぬ課題
イブリアス様が籍を置く魔塔の研究所は、王宮のすぐ隣に位置している。
ライオス様へ届けられた急報の主はアレン王太子殿下だったらしく、私たちを乗せた公爵家の馬車は、そのまま滑るように研究所の馬車止めへと滑り込んだ。
馬車を降りた私たちは、イブリアス様の案内で研究室へと向かう。
この魔塔においては、生まれた家の爵位ではなく、その身に纏うローブの色こそが身分となる。
すれ違う方々の装いは、見習いの黒いローブから、白、黄へと上がっていく。やがて、とうとうイブリアス様と同じく、最高峰の「紫」を纏う国家級の研究員ともすれ違うようになってきた頃、私たちは目的の研究室の前へと到着した。
イブリアス様が豪快に扉を開けると、中から穏やかな男性の声が響いた。
「おかえりなさい、イブリアス様。朝から慌てて飛び出して行かれましたが、一体どうされたのですか?」
「共同研究者を連れてきた。今朝がた依頼のあったプロジェクトは、彼女を筆頭共同研究者に指名する」
「あ、あの……!恐れ入りますが、イブリアス様、まだ参加を決定したわけでは……」
「そうですよ、兄上。まずは詳細を説明してください」
「詳細はそこのレナードが説明する」
(レナード……?レナードって、まさか……?)
私は、聞き覚えのある名前に一抹の期待を抱きながら、研究室の奥へと足を踏み入れる。すると、書類を抱えていた赤いローブの男性が私を認め、その目を見開いた。
「もしかして……クラリッサ?」
「レナード先輩。ご無沙汰しておりますわ」
彼は私の予想通り、かつて私が大学部に在籍していた頃の指導員であり、同じ研究室の先輩だった。
当時、大学院生だった彼は、同じ研究室に配属された私の面倒を本当によく見てくれた。大学部を首席で卒業した秀才でありながら、優しい垂れ目が印象的な美形である彼は、女子生徒からの人気も凄まじく、彼が私の指導員に決まった時は周囲から随分と羨ましがられたものだ。私も、的確で鮮やかな助言をくれる彼を深く尊敬していた。
そんな彼が今、身に纏っているのは「赤」のローブ。
下から黒、白、黄、赤、青、紫と位が分けられる研究員において、二十代後半で赤を許されているのは、天才の証だ。
(レナード先輩は魔塔への就職が決まっていたけれど、この若さで赤のローブに達しているなんて、やっぱり凄い方だわ……!)
純粋な尊敬の念を込めてレナード先輩を見つめる私と、驚きに固まる先輩。懐かしい視線が交わり、室内に数秒の沈黙が流れた。
その静寂を破るように、私のすぐ隣から声が響いた。
「クラリッサ、知り合いかい?」
「はい。以前、研究室で私をご指導いただいていた、尊敬する先輩にございます」
「ふぅん……?『尊敬する』、ね」
私とレナード先輩を見比べたライオス様は、不意に私の視線を遮るようにして、一歩、私の前に出た。
「初めまして。私はライオス・アンターナル。兄がいつも世話になっているね」
「私は、レナード・コグノーメンと申します。お会いできて光栄です、ライオス様」
笑顔を浮かべてはいるものの、ライオス様の纏う空気が、どこかピリピリと張り詰めている気がする。
「私の『婚約者』を兄が共同研究者に推薦していてね。参加を検討するにあたり、まずは詳細を説明してもらえるかい?」
「婚約者……?クラリッサは、確かクルメリオン侯爵家に嫁いでいたのでは……?」
「それがね、やっと私にも機会が巡ってきたんだ。この幸運を二度と逃すまいと、私から強く婚約を申し込んだんだよ。ねぇ?クラリッサ?」
そう言って、ライオス様は私のほうへ振り返ると、レナード先輩に見せつけるかのように私の手を取り、その薬指の先に、深く、甘やかな口付けを落とした。
「っ……!?ら、ライオス様……!?」
先輩の前で未だ慣れない甘いエスコートを披露され、私の顔は一気に沸騰する。レナード先輩は一瞬だけ表情を強張らせたものの、すぐに大人の余裕を取り戻して頭を下げた。
「それは……おめでとう御座います」
「ありがとう。では、クラリッサが携わるかもしれない研究の詳細を聞かせてくれるかい?私も、非常に興味があるんだ」
「ご兄弟揃って研究熱心でいらっしゃるのですね。それでは、あちらの応接スペースで詳細をご説明いたします」
レナード先輩が手で示したソファに向かおうとしたその時、背後からイブリアス様がライオス様の肩をがっしりと掴んだ。
「ライオス、ちょっとこっちに来い」
「兄上、今から詳細を聞くので、それが終わってからでもいいですか?」
「クラリッサ嬢が聞けば充分だ。それに、お前にとってもメリットのある話のはずだ」
ライオス様は僅かな逡巡の後、冷徹な、しかし鋭い眼光をレナード先輩へと向けた。
「失礼、席を外します。……私の婚約者を、よろしくお願いしますね」
「はい、もちろんです。不足なく説明させていただきます」
ライオス様は、後ろ髪を引かれるかのように何度もこちらを振り返りながら、渋々とイブリアス様の方に向かっていった。
(ライオス様も研究にそれほど興味がおありだったのね……!後できちんと共有ができるように、私がしっかり聞いてお伝えしなくては!)
ライオス様の役に立ちたいと一層意気込んだ私は、小さく拳を握り、気合を入れ直して先輩の解説に耳を傾けることとした。
*
「なんですか、急に呼び出して。俺もあのハンカチの所有者という点で、話を聞く権利があると思うのですが」
クラリッサと引き離されたことに不満を隠そうともせず、ライオスはぶっきらぼうにイブリアスに告げた。
イブリアスは、弟のあからさまな不機嫌など微塵も気に留めず、淡々と話を切り出す。
「聖女様と英雄卿は、魔王の討伐計画を進めている」
「魔王の……?先日封印されたばかりではないですか」
英雄卿が英雄卿と呼ばれるようになった所以、それは復活した魔王の封印における最大の功労者だったことだ。
伝説の破魔の聖剣を携え、聖女と共に魔王を封印し、災厄の被害を未然に防いだ。そんな魔王を、今度は封印ではなく「討伐」するという。
「魔王が定期的に復活するのは知っているな?その度に歴代の聖女が犠牲になってきたことも。彼らは、その悲劇の輪を今度こそ断ち切ろうとしている」
「そんなことが……可能なんですか?」
定期的に復活する魔王は、同時期に現れる聖女がその命を賭して封印してきた。
今回、魔王封印にあたった聖女ヴィリアリナは、五百年の歴史の中で、初代の聖女以来初めて生還を果たした規格外の聖女だが、彼女たちはその諸悪の根源を完全に滅ぼそうというのだ。
「分からない。ただ、この研究が進めば、可能性は飛躍的に高くなる」
クラリッサが編み上げたハンカチの魔法陣は、極小の魔力量でありながら、強固な防御壁を展開できる可能性を秘めているという。この研究が進めば、これまで聖女一人が背負っていた「魔王の動きを止める封印術」を魔道具が肩代わりでき、聖女が全力を討伐戦に注ぎ込めるようになるのだ。
(それで、英雄卿が興味を示していた訳か)
先日の大規模討伐の際、滅多に他人に興味を示さない英雄卿が、わざわざライオスのハンカチを見せてくれと頼んできた。あの時は奇妙なこともあるものだと思ったが、英雄卿はあの一瞬で、クラリッサの魔法陣の可能性を見抜いていたのだ。
「この研究は表向き、市民向けの汎用防御魔道具の開発とされている。しかし、真の目的は魔王討伐だ。出資者には英雄卿と聖女様はもちろん、国王陛下の御名も刻まれている。成果を上げれば、国から最高の勲章が授与されるだろう。だが、勲章の授与が可能なのは、本来なら子爵位以上の貴族だけだ。受賞者がそれに満たない場合、どうなる?」
「勲章の授与と共に、特例として、一代限りの『名誉子爵位』の授与が行われます」
「そうだ」
「それが、どうかしたのですか?」
「……ケイラスには、次期公爵たる資格はない」
唐突に投げかけられた告白に、ライオスは思わず身を硬くした。
イブリアスは本棚から一冊の帳簿を取り出し、ページを開いて見せた。
「これは、我が公爵家から魔塔への融資額の推移だ。ここ数年、この研究室への融資も、魔塔全体への出資も、不自然な減額をされている」
「確かに……この減り方は異常ですね。研究成果の分配協定に基づき、公爵家は一定額の融資を義務付けられているはずなのに」
「これを父上に問うたところ、融資額の減額など指示していないと、酷く驚かれてな。確かに公爵家の帳簿上は、従来通りの金額を出費していたのだ」
「では、一体なぜ……」
「調べていくうちに、ケイラスによる中抜きの可能性に辿り着いた。そして、奴に不穏な交友関係があることも。そしてその交友関係は、ライオス、お前が裏で取り締まろうと調査している『あの団体』に繋がった」
「……!」
「何度も忠告はしたが、あの馬鹿は聞く耳を持たなかった。それどころか、ケイラスの息のかかった連中から、私への圧力が始まりだしてな。さらに、ここ数年で優秀な研究員が何人か行方不明になっている。彼らがその組織に拉致され、違法な魔導具開発を強いられているという噂もある。優秀な研究者の損失は国家の損失だ。私は彼らを解放したい」
「……それを、なぜ俺に話したのですか?」
「告発するんだろう?お前が、ケイラスを」
イブリアスは、真っ直ぐにライオスを見つめて静かに言った。その翠色の瞳には、一切の動揺も迷いもない。
「そこまで知っていて、なぜ父上に報告しなかったのですか」
「私は家を継ぐなんて面倒なことは御免だ。研究に人生を注ぎたい。だから、お前が告発をして次期公爵になってくれ。それに、今の話を公に証明するだけの確固たる証拠を、私は持ち合わせていない」
「……イブリアス兄上は、ケイラス兄上の味方だと思っていました」
「私は誰の味方でもない。私の研究を邪魔する奴が敵、というだけだ」
ライオスがケイラスの違法薬物や闇組織への関与を掴むより前に、イブリアスは自力で真実に辿り着いていたのだ。彼なりのやり方で何度も踏みとどまらせようとしたが、ケイラスはそれを無視した。
「お前とクラリッサ嬢になら、公爵家を任せられる。特にクラリッサ嬢なら、将来、私の研究費を気前よく融資してくれそうだからな!」
「……!それで、子爵位……!」
公爵夫人となるには、最低でも子爵位以上の爵位が必要であり、今の彼女の男爵位では、どれほど愛していても側室にしか据えられない。だが、この魔王討伐に繋がる共同研究で成果を上げれば、クラリッサは自らの実力で「子爵」の地位を賜ることができる。
将来の研究費を思い浮かべてほくほくと顔を綻ばせるイブリアスとは対照的に、ライオスは表情を引き締めた。
「……イブリアス兄上。心から感謝します。必ずや、この期待に応えてみせます。……クラリッサの研究への協力を、よろしくお願いします」
「ああ、任せろ!この研究には、聖女様と英雄卿が自ら素材の採取にも協力してくれるというんだ!欲しい希少素材が山ほどあるから、楽しみで仕方がない!」
国内最高峰の武力を誇るあの二人に、持ち帰れない素材など存在しないだろう。
早くも素材のリストアップを始めたイブリアスを背に、ライオスはクラリッサの元へと歩みを進める。
だが、その胸中には、どうしても拭いきれない重い懸念事項が横たわっていた。
クラリッサを公爵夫人へ据えるための「身分」の問題は、解決の兆しが見えた。しかし、もう一つの問題が頭をよぎる。
(公爵家を継ぐとなれば、『後継ぎ』が必要になる……。だが、クラリッサを迎えながら側室を取るなど、万に一つもあり得ない。となれば、養子を取るか……。しかし、公爵家が納得するような血統の養子を出してくれそうな家はあったか……)
後継ぎを考える必要がなかった「三男」という気楽な立場だったからこそ、クラリッサの過去は何の障害にもならなかった。だが、自分が公爵になるとなれば、急に二人の未来に重くのしかかってくる。
これだけが、イブリアスの協力を手放しには喜べない、ライオスの唯一の苦悩だった。




