14話:証明
ベリリアス様の襲来から三日間、私は一時的にリリスティア様の家庭教師をお休みさせていただき、文字通り寝る間も惜しんでデスクに向かい続けた。
部屋に籠もり、山積みの帳簿と格闘する。数年ぶりの仕事を覚えているのか、最初は不安もあった。
けれど、いざ計算を始めてみると、私の頭は驚くほど冴え渡っていった。
(楽しいわ……!数字が、パズルのように綺麗にはまっていく……!)
かつて元夫の家では、どれほど完璧に仕上げたと思っても、翌朝には「ミスがあった」と怒鳴られ、書類の束を投げつけられた。だんだんと自信がなくなっていき、朝が来るのが怖くなっていった。
けれど、思い返せば、私はこの仕事が好きだった。収支の流れを帳簿に綺麗に整えれば、経済の流れすらも見える。今、何が不足していて、何がどこで滞っているのか、過剰なのか。それを考えていくのが好きだった。
今、静かな部屋で、誰の手も加わっていない未処理の書類を整えていくと、公爵領のお金の流れが見えてくる。
――そして、それが明らかになっていくにつれて、私はこの「奇妙な違和感」に突き当たった。
(おかしい……。公爵家の財政が、こんなに逼迫している訳がないわ)
どうしても収支が合わないのだ。
アンターナル公爵領は肥沃な土地に恵まれ、この国の食を支える大黒柱である。領地からの税収はさすがの一言で、ここにある一部の資料だけでも、国家予算にも匹敵するような莫大な金額が動いているのが分かる。
問題は、支出の方だった。
一つ一つの項目を単体で見れば、怪しい点はない。治水の決裁書、水害の修復、農地の開拓、輸入品の買付……どれも領地経営に必要なものであり、適切な金額が割り当てられているように見える。
しかし、全体を俯瞰して見ると、あまりにも不自然な支出が多かった。
(ここの治水工事は、前後の決裁書と期間が完全に被っているし、こちらは開拓した直後の場所に、なぜか植林の予算が出ている……。公爵家がこんな意味のない出費をするかしら……?)
全体を通してみると、どうにも不要な、それも巨額の出費が多い気がしてならない。これらの不自然な支出が何重にも積み重なり、公爵家の収支を赤字へと追いやっているのだ。
そしてもう一つ、私の胸をざわつかせたのは、その不自然な決裁書の承認者は、どれもケイラス様であることだった。
「執事長、少し聞いてもいいかしら?」
差し入れのハーブティーを持って来てくれた、執事長のキネスに声をかける。彼は、付きっきりで書類整理を手伝ってくれていた。
「アンターナル領では、最近、大規模な水害はあったかしら?」
「いいえ?ここ五年は天候にも恵まれ、非常に安定しておりますよ。大きな水害も不作も一切聞いておりませんな。……クラリッサ様、何か気になることでも?」
「そうなのね……。それなら、ちょっとこれを見て欲しいのだけれど」
私は抜き出した数枚の決裁書を彼に差し出す。キネスは眼鏡の位置を直しながら書類を覗き込むと、一瞬でその顔を強張らせた。
「オンガ地域の治水工事に、こちらはゴカセ川の氾濫の復旧……?私の記憶にはございませんね……」
その二つは、数ある不自然な決裁の中でも特に金額が跳ね上がっているものだった。どちらも領地の中央を流れる主流な川だ。もし本当に氾濫が起きていたのなら、キネスが知らないはずがない。
(これは……。大変なことかもしれないわ。ライオス様が戻られたら、ご報告しましょう)
その不自然な支出明細も表向きは帳簿へと正確につけつつ、自分の手元にしっかりと残すため、すべて写しを取って別にファイリングしていった。
*
「な、なんとか終わったわ……!」
ペンを置き、凝り固まった身体を伸ばした瞬間、窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえてきた。約束の、三日目の朝だった。
「本当にこの量をたった三日で……!クラリッサ様……、お疲れ様でございました……!」
「キネス、貴方も夜通し付き合ってくれて本当にありがとう。ゆっくり休んで頂戴」
「滅相もない! 私はただ、クラリッサ様が仕分けた書類を整理していただけですから……」
三日三晩、ほとんど不眠不休で終わらせた会計処理。私は完成したばかりの美しい帳簿を、書類が入っていたトランクへと丁寧に詰め直していく。
(本当はもっと細部まで確認したかったけれども……ひとまず、大きなミスはないはずだわ)
一通りのダブルチェックまで終わらせたつもりだが、中には領主の印が不鮮明なものや、仕入れ先の商会名が不透明なものなど、確認が必要な書類もいくつかあった。それらの「要注意書類」は、分かりやすいようにトランクの特定のエリアに分けて収納しておく。
私は、夜通し手伝ってくれたキネスや侍女たちを一度下がらせて休ませ、静かにベリリアス様の再来を待った。
*
「出ていく準備は済んだかしら!」
昼前。静かな屋敷の玄関が勢いよく開かれた。リリスティア様を怯えさせまいと、私は一人でエントランスへと向かう。訪問者は、予想通り仁王立ちしたベリリアス様だった。
「ベリリアス様、お待ちしておりました。こちらをご確認ください」
「あら、荷物はトランク2つ分?ライオス様からいただいたものは置いていくのよ?それは公爵家の財産なのだから!」
「いいえ、ベリリアス様。こちらのトランクは、私の荷物ではございません。ベリリアス様がお持ちになった領地の帳簿と会計書類です。すべての処理が完了いたしましたので、ご確認ください」
「……は?な、何言ってるの……?あの量を、あなた一人で……!?嘘をおっしゃい!」
「いいえ。私一人の成果ではございません。皆様にお力添えいただきました」
「そ、そう……。そうよね!公爵家には優秀な使用人がいるようね!!」
ベリリアス様は一瞬ギョッとした表情を浮かべたが、すぐに扇子で口元を隠して高笑いを始めた。
「ま、まあ!肝心なのは間違いのないことよ!少しでもミスがあったら役立たずとしてすぐに追い出してやるんだから!」
「あの、実は帳簿のことでいくつか質問が……」
「何よ!今更ミスに気付いたって遅いんですからね!」
会計処理をしていく中で気づいた、不自然な決裁書。そのことについて実物を見せながら質問しようとした私の手からひったくるようにしてトランクは回収されてしまった。
「ふん! 今回は使用人の優秀さに免じて、大目に見てあげるわ。この帳簿の出来で、私の補佐として相応しいか審査してあげる。万が一間違いでもあったら、すぐに出ていけるように荷物整理でもして待ってなさい!」
ベリリアス様は捨て台詞を吐き散らすと、逃げるように去っていった。
*
翌週。予定より1日早く大規模討伐隊の任務を終えたライオス様が、無事に戻って来られた。
「クラリッサ……!!」
屋敷の前に馬車が停まるなり、ライオス様は御者がドアを開けるのももどかしそうに自ら飛び出してきた。そして、玄関前で待っていた私の元まで駆け寄ると、息を荒くしたまま、私の両手を包み込むように強く握りしめた。
「ベリリアス嬢が、僕のいない隙を狙ってここへ押しかけて来たって……っ!どこか怪我はないか!?酷いことをされてはいないかい……!?」
「ライオス様、おかえりなさいませ!無事にお戻りになられて何よりです。私はこの通り、なんともありませんわ」
私の姿を頭の先からつま先まで、心配そうに見つめるライオス様に微笑む。
「本当に……?嫌な言葉をぶつけられたり、脅されたりはしなかった?僕が留守にしていたせいで、君にまた怖い思いを……」
「本当に大丈夫です。……ただ、その、もしかしたら、近い将来私はここから追い出されてしまうかもしれません……」
「そんなこと、僕が絶対にさせない!」
「ありがとうございます。ただ、帳簿の出来次第ですの……。あ、あの……お疲れのところ、非常に申し訳ないのですが、ライオス様にどうしてもご確認いただきたいものがあるのです」
「帳簿……?なぜクラリッサが……?」
私は、首を傾げるライオス様を応接室へと促し、念のため写しを取っておいた「ケイラス様が決裁承認者となっている不自然な証書」をテーブルに広げた。
「これは……。オンガ地域では、十年前の大規模な治水工事を最後に、最近は工事を行っていない。それに、この時期にゴカセ川が氾濫したという記憶もないな。……それにしても、なぜこれを君が?」
「ベリリアス様が婚約者の務めとしてお持ちになられました。この処理が誤っていたら、私をまた役立たずとして追い出すと……」
今度こそ失敗の無いように仕上げた帳簿だったが、また気付かぬところでミスを犯しているかもしれない。なんとかライオス様の帰りをお迎えするまではここにいられたものの、この先は実力次第だと思うと、不安になって来た。
しかし、そんな私の底深い不安とは対照的に、証書から顔を上げたライオス様は、ふっと満足気に、満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、クラリッサ。君が追い出されることは万に一つもなくなった。むしろ追い出されるのは……あちらの方だよ」
「……え?それはどういう……?」
「ふふ、もう少しで分かるよ。楽しみにしててね」
そう言って優しく私の頬を撫で、酷く妖艶に微笑んだ彼の瞳の奥に、どす黒い何かが渦巻いていた気がして――私はそれ以上、深く問い詰めることはできなかった。




