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13話:ベリリアス襲来と、譲れない居場所

 澄み渡る青空とは裏腹に、私の胸には朝から薄暗い寂しさが居座っていた。

 今日は、ライオス様が魔物討伐隊へと出発される日だ。

 王都の別邸の正面玄関にて、私はリリスティア様と共に、旅装に身を包んだライオス様を見送っていた。


「……あの、ライオス様。これを持って行ってくださいませ」


 私は胸の鼓動を抑えながら、丁寧に折りたたんだ白い布地を差し出した。

 

「これは……刺繍入りのハンカチ?いつの間に……。それに……防御魔法が組み込まれてる?」

「はい……。刺繍糸に少しずつ魔力を編み込んで、簡易的な防御の魔法陣を織り込みました。私の少ない魔力では気休め程度にしかなりませんが、ライオス様の身に万が一のことがないよう、お守り代わりに……」


 出陣する大切な人へ、無事を願って刺繍入りのハンカチを贈る。この国の古い慣例を思い出し、心を込めて縫ったものだ。

 すると、ライオス様はふっと蜂蜜のように甘く蕩けるような笑みを浮かべ、ハンカチを丁寧に胸ポケットへ、心臓の真上の位置へと大切にしまい込んだ。


「気休めなんてとんでもない。君が僕を想って縫ってくれたんだ、どんな高級な魔道具よりも強力な結界だよ、ありがとう。君の元へ必ず帰るよ」

「大丈夫よ、クラリッサ先生!討伐隊には銀の聖女様がついてるんですもの!」

「そうだな、リリスの言う通りだ。終わったらすぐに帰ってくるからね」


 そう言ってライオス様は私の手を取ると、その指先へと唇を落とした。熱い体温が、触れられた場所からじわりと広がっていく。

 

「はい……。どうかお気をつけて……」


 銀の聖女様やライオス様の実力を疑っているわけではない。それなのに、遠ざかっていく馬車の車輪の音を聞いていると、どうしてこんなに胸が締め付けられるのか。今の私にはまだその理由が分からなかった。


 *

 

 ライオス様を見送ったあとは、リリスティア様の寂しさを紛らわせるように、いつも以上に熱を込めて歴史の授業を行った。

 二人で賑やかに夕食を済ませ、それぞれのベッドに入る。けれど――その夜は、どうしても寝付けなかった。

 

(ライオス様、今頃どうされているのかしら。夜営は寒くないかしら……)

 

 目を閉じれば、浮かんでくるのはライオス様のことばかり。

 

(そういえば、私がこの別邸にきてから、ライオス様がいらっしゃらない夜は初めてだわ……)


 初めは「社交界の遊び人」と噂されていた彼だから、帰らない日などいくらでもあると覚悟していた。しかし振り返れば、彼は私がここに来てから、ただの一度も外泊をしたことがなかったのだ。どんなに忙しくても、毎日必ず夕食の時間には帰って来て、共に食卓を囲んでくれていた。

 

(……もしかして、私……。ライオス様がいなくて寂しいの……?)


 かつてクルメリオン侯爵家で閉じ込められていた、誰も訪れない、あの凍てついた離宮。あの頃の孤独に比べれば、今はこんなに温かい部屋があり、愛らしいリリスティア様もいる。それなのに、たった一週間彼に会えないだけで、どうしてこんなにも胸にぽっかりと穴が空いたような気がするのだろう。

 

(ダメね、私。ライオス様に甘やかされて、すっかり弱くなってしまったみたいだわ……)


 適温に保たれているはずの屋敷は、ライオス様がいないだけでどこか温度が下がったように感じた。私はその肌寒さを打ち消すために布団を被り直し、眠るためにそっと目を閉じた。


 *


 翌日、その事件は起こった。

 リリスティア様に歴史の講義を行っている最中、突如として、階下から騒がしい怒鳴り声と使用人たちのざわめきが響いてきた。

 何事かと確認するために私が席を立とうとした瞬間、部屋の扉が慌ただしく開かれた。


「お、お勉強中失礼いたします!リリスティア様、クラリッサ様……。その、突然、お客様が強引に押し入ってこられまして……!」

「お客様?今日は訪問予定にはなかったはずだけれども……」

「それが……」


 青ざめた侍女が言い切るよりも早く、きつい香水の香りと共に、華美なドレスをまとった人物がずかずかと踏み込んできた。


「不躾な使用人たちね!ケイラス様と結婚したら、ここは私の家にもなるのよ?将来の主人が自分の家に帰るのに、どうして事前の連絡が必要なのかしら? それに、まだ婚約者の分際ですでに居座っている女もいるじゃないの。ねぇ、クラリッサさん?」

「……ベリリアス様……」


 扇子をパタパタと仰ぎながら、勝ち誇ったような歪んだ笑みを浮かべる女性。

 元夫の実の妹であり、アンターナル公爵家の長男・ケイラス様の婚約者である、ベリリアス・クルメリオン様だった。かつて私を「能無しの石女」と呼び、陰湿に虐げていた張本人の登場に、私の身体が条件反射でカチリと強張る。


「どちらさまですか?お兄様なら今はおりません」


 不審者を警戒するように、リリスティア様が私の前に一歩出て毅然と言い放った。

 

「あら、あなたがリリスティア様?初めまして、ベリリアス・クルメリオンですわ。あなたの大切なお兄様であるケイラス様の、最愛の婚約者ですの。以後お見知り置きを」

「……」

「お義姉様となる私から、可愛いリリスティアちゃんに早速お願いがあるのだけど。私、結婚したらこの王都の別邸に住まおうと思っているの。だから、そこの三男の婚約者を、今すぐここから追い出してくださらない?」

「クラリッサ先生のこと……?いやよ!先生は私の大切な先生だもの!」

「……先生?ああ、そう!そういうことだったのね!」


 リリスティア様の拒絶を聞いたベリリアス様は、合点がいった様子で甲高い高笑いを部屋中に響かせた。


「どうしてこの欠陥品の石女が、あの『社交界の貴公子』と名高いライオス様の婚約者になれたのか不思議で仕方がなかったけれど……!ただの家庭教師枠だったのね!どうりで納得がいったわ。あのお美しいライオス様が、こんな傷物の年増女を本気で愛するわけがないもの!」

「……っ」


 ベリリアス様の鋭い言葉の刃が、私の胸に深く突き刺さる。

 その通り過ぎて何も言い返すことができない私は、ただ唇を噛んで押し黙るしかなかった。


「ちょうどいいわ!『先生』だというなら、これくらいの計算は造作もないわよね?」


 ベリリアス様がパチンと指を鳴らすと、後ろに控えていた彼女の従者が、重々しいトランクを開いてデスクの上に叩きつけた。中には、溢れんばかりの膨大な帳簿と、乱雑に丸められた書類の山が詰まっている。

 

「ケイラス様ったら、まだ婚約者だというのに、領地の未処理の財務帳簿を押し付けて来たのよ。ただ、次期公爵夫人として、人を使ってあげるのも仕事の一つよね。これから役立たずのあなたが私の役に立てるチャンスをあげるわ!この帳簿をつけておいて頂戴。期限は三日後。三日後に私がまた来るから、それまでに完璧に完成させておくことね。もしできていなかったら、あなたの存在価値はない。即刻この屋敷から叩き出してあげるわ!」


 デスクに積まれた書類を見て、息が詰まる。

 それは、かつてクルメリオン侯爵家で、私が「何度もミスをした」として奪われた仕事の一つだった。

 何度夜通し確認しても、翌朝には必ず「ミスがあった」と言い放たれる不条理な結果。間違えている場所を教えてほしいとどれだけ乞うても、彼らは嘲笑うだけで教えてくれず、最終的に私は「無能」の烙印を押されて離宮へ追いやられてしまった。

 ベリリアス様は私が帳簿計算の仕事から外されていたことを知っていて、私を追い出しにきたのだ。


「じゃあ、三日後を楽しみにしているわ!精々、不備のないようにね?」


 ベリリアス様はフンと鼻で笑うと、上機嫌のまま去っていった。


「こ、この量を、たった三日で……!?無茶苦茶です、専門の文官が数人がかりでなんとかといった量ですよ……!」


 一部始終を見ていた執事長が、デスクの上の書類の山を見て、真っ青になりながら愕然と呟いた。


「……いえ、やるしかないわ。私はこの家でライオス様の帰りをお迎えしたいの」


 ベリリアス様の言葉に傷つき、指先は恐怖で小刻みに震えている。けれど、私の瞳には、クルメリオン家にいた頃のような絶望の光はなかった。


(ここで私が逃げ出したら、家庭教師として評価してくださったライオス様への非礼になる。……それに、やっと見つけた私の大切な居場所を、まだ諦めたくはないの)


「書類を運ぶのを手伝っていただけませんか?三日で、すべて終わらせます」

 

 私はライオス様の帰る場所を守るため、静かに、けれど強く奥歯を噛み締め、膨大な書類の山へと手を伸ばした。

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