10話:値踏みの晩餐 蘇る因縁
公爵様達との食事会へ招待され、案内されたダイニングルームは、目が眩むほど豪華な空間だった。
中央に鎮座する長い黒曜石のテーブルの上には、息を呑むほど精緻な銀食器と、美しく盛られた宮廷料理が並んでいる。
上座に座るのは、この公爵家の絶対的な主――アンターナル公爵閣下。
厳格を絵に描いたような赤髪の初老の男性で、その隣には正妻であるエレノア夫人が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて座っている。
そして、エレノア夫人の対面に座るのが、
「――お待たせいたしました、父上、母上」
遅れて入って来た長男、ケイラス様。
エレノア夫人の自慢の息子であり、次期公爵の最有力候補。燃えるような赤髪を完璧に整え、隙のない夜会服に身を包んだ彼は、冷徹な紫の瞳で一瞬だけこちらを値踏みするように見下すと、フッと鼻で笑って席に着いた。
これで、食事会の席が揃う。
公爵夫妻、長男ケイラス様、次男イブリアス様、三男ライオス様、長女リリスティア様。その隣には、小さくなって座る一人の女性の姿があった。
(あの方が、ライオス様のお母様……)
男爵家出身の側室、シェリア様。
ライオス様とリリスティア様によく似た儚げな美貌を持つ彼女は、普段からこうなのか、一言も発さずにただ嫋やかな微笑みを浮かべている。
「それにしてもケイラス、先日の討伐隊でワイバーンを単騎討伐したそうね。国王陛下からも、直々にお褒めの言葉をいただいたのでしょう?」
「はは、母上。大したことではありませんよ。アンターナル家の長男として、当然の義務を果たしたまでです」
上品なナイフとフォークの音が響く中、エレノア夫人の独壇場が始まった。
「いいえ、大したことですよ。我が家に貴方という優秀な長男がいてくれて、お母様は本当に誇らしいわ。それに、イブリアスも。魔導院から特別表彰されるなんて、アンターナル家の頭脳としてこれ以上ない誉れですわ。ねぇ、貴方?」
夫人が公爵閣下に同意を求めると、閣下も満足げに深く頷いた。
「うむ。二人とも、我が家の誇りだ」
これみよがしな、エレノア夫人のアピールは続く。
それは暗に、側室の子であるライオス様、そしてその母シェリア様への当てつけだった。
シェリア様の細い肩は、エレノア夫人の放つ威圧感に怯えるように微かに震えている。
リリスティア様も、そんなお母様を見て、不安気にドレスの裾をぎゅっと握りしめていた。
胸が、痛いほど締め付けられる。
けれど、当のライオス様は、そんな地獄のような空気などどこ吹く風といった様子で、優雅にワイングラスを傾けていた。完璧な微笑みを崩さず、むしろその場を楽しんでいるかのようにすら見える。
(ライオス様……。いつもこうして、向けられる悪意を笑って受け流してきたのね……)
彼の底知れない強さと、その強さを手に入れるまでの環境に胸を痛めていると、エレノア夫人がこれ以上ないほど愉悦に満ちた視線を、私とライオス様に向けた。
「優秀な兄たちを持って、良かったわね、ライオス。男爵令嬢だって正妻に選べるんですもの。いつ出て行っても構わないのよ」
それは、「お前はもう後継者争いから脱落した」という、決定的な宣告。
食事会の空気が一瞬で凍りつく。シェリア様が顔を青ざめさせた、その時――。
「ええ、本当に。兄上たちの優秀さには、俺など足元にも及びません」
ライオス様は、さらりと微笑んだ。
「俺はただ、愛するクラリッサと静かに、平穏に暮らせればそれで満足なのです。ねえ、クラリッサ?」
「え、あ……は、はい……!」
隣から向けられた極上の笑顔に、私は何とか生返事を返す。
夫人はそれを見て、「本当に女に狂って自爆した愚か者」と確信したのだろう。声を立てて上品に笑った。
「うふふ、結構なことだわ。分を弁えた素晴らしい選択ですこと。……ああ、そうだわ。おめでたいお話といえば、貴方。そろそろ『例の件』を公式に発表してもよろしいのではなくて?」
夫人の言葉に、公爵閣下が厳かに口を開いた。
「うむ。ケイラスの婚約が内定した。相手は――クルメリオン侯爵家の令嬢、ベリリアス嬢だ」
「――ッ!?」
その瞬間、私の頭の中が真っ白になった。
クルメリオン。
(嘘、でしょう……?)
脳裏に、あの冷酷な元夫の蔑むような笑顔と、「欠陥品の石女め」と言い放たれた激痛がフラッシュバックする。
ベリリアス。それは、私を貶し、生家へと追い返した、あの元夫の――実の妹の名前だ。
「クラリッサ……?」
ガタガタと、自らの意志とは関係なく、全身が恐怖で震え始める。
ナイフを持った指先がわななき、銀食器が鋭い音を立てて皿を鳴らした。
(どうして……)
せっかく、リリスティア様の家庭教師という役割を手に入れ、「私」を取り戻し始めていたのに。
(これから私が仕える公爵家の、次の主の妻として――あのクルメリオン家の人間が、私の前に再び君臨するというの……!?)
そしたら私は、リリスティア様の家庭教師として相応しくないと、即座に解雇されてしまうだろう。
「ライオスの婚約者殿はクルメリオン侯爵家に詳しいだろう?私もベリリアスから貴女の話は聞いている。なんでも、領地経営のサポートもできない役立たずだとか……。まあ、そこのどうしようもない遊び人にはお似合いだな」
ケイラス様が、勝ち誇ったような嘲笑を浮かべて私を見ている。
恐怖と絶望で息が詰まる。完全にパニックに陥りかけた私の手を、暖かく大きな手が包んだ。
「…………っ!」
ハッとして隣を見る。
ライオス様は、まだ微笑んでいた。
唇の両端を綺麗に釣り上げ、完璧な貴公子の仮面を被ったまま――。
けれど、その切れ長の翠の瞳の奥には、先ほど夫人へと向けた怒りを遥かに凌駕する、底なしの、『殺意』が宿っていた。
「――クルメリオン侯爵家、ですか。それは……本当に、素晴らしいお相手ですね、兄上」
低く、甘く、けれど室内の温度を完全に奪い去るような声が、食堂に響いた。
当時の私はまだ、この瞬間にクルメリオン侯爵家とケイラス様の「破滅」が始まっていていたのだと知る由もなかった。




