第4話 本命勇者
訓練場は、石畳を敷き詰めた広い空間だった。奥の壁際に弓矢の的が並び、中央に人型の木製人形が、どん、と据えられている。
「こちらで佐藤様のお力を確認させていただきます」
ガレスの声に合わせて、一人の男が進み出た。
大柄な体躯に、銀色の鎧。腰の剣が、歩くたびに小さく揺れる。立ち姿に隙がなく、一目で歴戦の人間と分かった。ああいう気配は芝居で出せるもんじゃない。
「お初にお目にかかります」
男はカナタに向かって軽く頭を下げた。
「騎士団長を務めております、バルド・ヴォルテスと申します。佐藤様のお相手を務めさせていただきます」
「よ、よろしくお願いします」
カナタが少し声を上ずらせて頭を下げる。ガレスが脇から補足した。
「模擬戦でございますので、剣は刃を潰したものを使用いたします。まずは素振りから、感覚を確かめていただければ」
手渡された模擬剣を、カナタは両手で受け取った。見るからに慣れない手つきだ。持ち方もぎこちない。
——野球部の最初の日、みたいな握り方だな。
そう思った、次の瞬間だった。
構えを取って、一振り。
ブゥンッ——。
風切り音が、訓練場の石壁に跳ね返る。
騎士の一人が、小さく息を呑んだ。
「……今の素振り、練度相当のものでしたぞ」
バルドが感心したように眉を上げた。
「これは」
当のカナタは、自分の腕を見下ろして呆然としている。
「え、なんで……?」
体が勝手に動くやつだ、これ。適性Sは伊達じゃない。
バルドが合図をして、模擬戦が始まった。
最初は様子見のように踏み込んだバルドの一撃を、カナタは反射的に剣で受ける。鋭い金属音。続けて繰り出された二撃目、三撃目を、少年は後ろに下がりながら軽々と受け流していった。
そして四合目、バルドがわずかに踏み込みを深くした瞬間
——カナタの剣が、騎士団長の脇腹に、すっ、と触れた。
明らかに、一本。
バルドが剣を下ろし、深く頷いた。
「……S級適性、間違いございませんな」
訓練場にざわめきが広がる。ガレスが引き取った。
「続いて魔法の発動を。簡単な火の魔法をお試しいただけますか」
「や、やり方が分からないんですけど」
カナタが困った顔をする。ガレスは穏やかに答えた。
「心配はいりません。この世界では、勇者様のように高い適性をお持ちの方は、意識するだけで魔法が発動いたします。手のひらを前に向け、『燃えろ』と念じていただければ」
カナタが訓練用の人形に向かって、おずおずと手をかざした。
短い沈黙。
「……燃えろ」
独り言ほどの声量だった。
次の瞬間、轟音が訓練場を揺らした。
人型人形が、根元から炎の柱に包まれている。木材の弾ける音、見ている間に形を失い、黒い塊へと炭化していく影——炎は数秒で収束したが、焦げた匂いが鼻を突いた。
訓練場は、静まり返っていた。
……え?
「え、え、やりすぎた……!?」
カナタが青ざめて自分の手を見つめている。
バルドが呆然と呟いた。
「……詠唱なしで、この威力」
「素晴らしい」
イリアの口から感嘆の息が漏れる。エドモンは王女の背後で、何度も何度も頷いていた。
これは……本物も本物だ。
勇者適性Sどころじゃない、化け物一歩手前の出力である。まあ、これなら王国はカナタをちゃんと大事に扱うだろう。それだけは確信できた。
カナタが自分の両手を見つめたまま、固まっている。
「……僕、こんな力を使っていいんですか」
声が、少し震えていた。バルドが少年の肩に、そっと手を置く。
「この力は、魔王を討つためのもの。サトウ様、あなたこそが、我らが待ち望んだ勇者であらせられる」
カナタは一度唇を噛み、それから拳をぎゅっと握った。
「……はい。僕、頑張ります」
まっすぐな声だった。
いい子だな、ほんと。
同時に——そろそろ、俺の番である。
イリアがこちらに向き直った。
「タカセガワ様。では次に、あなた様のお力を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
「はい」
俺は軽く応じる。
「えっと……正直、自分でもこのスキルが何なのかよく分かってないので、ちょっと試行錯誤させていただければ」
「どうぞ、お好きなだけ」
王女の声は穏やかだった。
さて——本番だ。
何が出せて、何が出せないのか。ここで全部洗い出さないと、今後の生き方そのものが決まらない。
意識を、集中させる。
目の前の空間に、半透明の画面がふわりと浮かび上がった。
——おお。本当にネットスーパーの画面だ。
……って、近所のスーパーじゃんかよ!
見慣れたUIがそのまま展開されている。カテゴリ分け、検索窓、商品一覧——近所のスーパーのアプリと、一ミリも変わらない。むしろ安心感が怖い。
まあいい。とりあえず、腹が減ってるからおにぎりでも取るか。
「おにぎり(鮭)」を選んで決定。
画面に短いメッセージが浮かぶ。
『召喚できません』
……え?
別のおにぎりを試す。梅、昆布、ツナマヨ——。
『召喚できません』
『召喚できません』
『召喚できません』
全部ダメ? 在庫切れか?
少し考えて、調味料のカテゴリへ移る。じゃあ胡椒でも。
「胡椒(瓶入り)」を選択。
『召喚できません』
え、胡椒もダメなの?金儲け無双できないじゃん。
気を取り直して米のページを開き、五キロ、二キロ、真空パック、銘柄別、片っ端から試していく。
『召喚できません』
『召喚できません』
『召喚できません』
米、全滅。
カップ麺、ダメ。缶詰、ダメ。レトルトパウチ、ダメ。冷凍食品、ダメ。ペットボトルの飲料、ダメ。
額に汗が滲み始めた。
ちょっと待て、ほぼ全部ダメじゃないか、おい。
王国側の視線を、背中に感じる。イリアは静かに、ガレスは慎重に、エドモンは微かに眉を寄せて、こちらを見守っている。
やめてくれ、その見守る目。いちばん心臓に悪い目をしてる。
何が条件なんだ。さっぱり分からん。
何か、何か一個でも——。
半ば祈るような気持ちで野菜のカテゴリへ移り、白菜の画像を選ぶ。
画面のメッセージが、変わった。
『召喚可能』
——おっ。
白菜を決定。
俺の前の台に、白菜が一玉、ぽんと現れた。
出た。出たよ。
ほっと息を吐いたその瞬間——ふっ、と内ポケットが軽くなった気がした。
反射的にスーツの内ポケットに手を入れ、長財布を取り出す。開いた瞬間、息が止まった。
——空だ。
一万円札も、千円札も、硬貨も、何一つ残っていない。さっきまで二十万近く入っていたはずの財布が、きれいさっぱり、空っぽになっていた。
代わりに、目の前の半透明の画面の右上に、数字が浮かんでいる。
『残高: ¥199,800』
——あ、そういうことね。
財布の現金が、まるごとスキル内の残高に変換されたらしい。白菜一玉の代金、二百円分だけ、ちゃんと引かれている。見慣れたネットスーパーのUIに、自分の口座残高が乗っかってる感覚だ。
画面の隅に「入金」「出金」の表示があった。試しに「出金」を軽くタップしてみる。金額入力欄と、その下に、小さな注意書きのような文字が現れた。
「0.7倍の現地通貨で出金/端数切り捨て」
「銅貨1枚より出金可能」
——きっっっつ!
手数料3割!? しかも端数切り捨て!?
思わず、乾いた笑いが漏れた。スプレッド30%って、どこの悪徳両替所だよ。
商売の基本は「安く仕入れて高く売る」だが、このスキル自体が俺から3割ピンハネしに来るとは、想定外である。
ただ、逆を言えば「入金は等価(1.0倍)」だ。財布の現金が勝手にデジタル化されたのは痛いが、この「残高」は誰にも奪われない。重さもない。強盗に遭ってもびくともしない、「究極の隠し金庫」として見るなら、3割の保険料は……いや、やっぱり高いわ。
ともかく、仕組みを把握しておこう。
「銅貨1枚より出金可能」の「銅貨」が、この世界の現地通貨の最小単位、と読むのが自然だろう。画面のこの書き方からして、流通してる最小額の硬貨が銅貨と呼ばれているらしい。
試しに、¥1,000と入れて確定する。確認画面に「銅貨7枚を出金します」と表示された。承認する。
右のジャケットのポケットに、ずしりと感触が走った。手を入れて取り出してみる——見たことのない銅色の硬貨が、七枚。
形は円形。直径は五百円玉より少し大きい。表面に、見慣れない紋章が彫られていた。これが銅貨か。
画面の残高は、¥198,800に減っている。
¥1,000×0.7=¥700、それが銅貨七枚。——計算は合う。つまり銅貨一枚が¥100相当。
試しに、銅貨一枚を左の財布に入れてみる。
指先を離した瞬間、銅貨が消えた。画面の残高が¥198,900に戻っている。
なるほど、財布に入れると入金される仕様か。
残りの銅貨六枚は、財布ではない別のポケットに分けて入れておく。財布は分けないと、現地通貨を入れるたびに勝手に両替されてしまう——これは覚えておこう。
仕組み、見えた。
俺は画面に戻る。他の生鮮品がどこまで通るか、洗い出しておきたい。
大根、人参、キャベツ——裸売りの野菜を次々召喚。続けて果物コーナーへ。リンゴ、オレンジ、バナナ——全て召喚可能。
残高の数字が、少しずつ減っていった。
残高: ¥198,700
残高: ¥198,300
残高: ¥197,900
百円から数百円単位の引き落とし。ネットスーパーのレシートと、同じ感覚。
パック入りの肉、トレーの魚——こちらは変わらずNG。決済も発生しない。
台の上に、青々とした野菜と果物が並んでいく。
……。
これが、俺の手札か。
召喚できるのは、今のところ裸売りの青果物のみ。しかも有料。しかも現地にもありそうなやつ。
——うん、商売の目玉にはならん。控えめに言って、地味。
俺は手を止めた。画面を閉じ、台の上の野菜と果物を見下ろす。
なんとも言えない存在感で、それらは静かに並んでいた。
……八百屋か、俺は。
イリアが、言葉を選ぶように、慎重に口を開いた。
「……こちらが、タカセガワ様が召喚されたものでしょうか」
「ええ、野菜と果物です」
俺は正直に、軽く答えた。
「なぜか野菜や果物くらいしか出せないようで。条件もよく分からなくて」
微妙な沈黙が落ちた。
ガレスが慎重に口を開く。
「……なるほど。特殊なお力ではございますが、その……」
言葉が続かない。代わりに、エドモンが小声でガレスに何か囁いた。はっきりとは聞き取れなかったが、「魔王討伐の戦力」という単語だけが、妙にくっきり拾えた。
はっきり言っていいぞ、使えないって。
俺は内心でツッコみ、穏やかに頷いた。
「分かってます。自分でも、これで魔王と戦うのは無理だと思いますし」
イリアとエドモンが、視線を交わす。困った表情だった。
「……タカセガワ様、その、貴方様の今後の処遇について、我々も少々……」
王女の声が、少しだけ遠慮がちになる。
ああ、出た。処遇。便利な言葉だよな、処遇って。
隣でカナタが、困惑した顔でこちらを見ていた。
「ショウマさん……」
声が細い。俺は軽く笑ってみせる。
「大丈夫、大丈夫。俺はこれで十分やっていけるから」
厄介者だな、俺は。
でも、それは相手の都合だ。こっちはこっちで考えよう。
——どうせここには、居場所がない。
それなら、自分の足で立つ方がいい。
スキルは大変微妙だが、デバフスキルじゃない。そもそもこの世界の物価を知れば、値付けの工夫で粗利は作れる。そもそも俺は、商売屋だ。
それに、異世界も見てみたい。城の階段を磨いて勇者様の凱旋を待つより、異世界を一人で回る商人稼業の方が、どう考えても性に合っている。
俺は明るく、王女に向き直った。
「あの、ちょっと提案があるんですけど、聞いてもらえますか?」




