第5話 異世界人の仲間入り
机の上には、俺が召喚した野菜と果物がそのまま残っていた。白菜、大根、人参、キャベツ、リンゴ、オレンジ、バナナ——青々とした山が、磨かれた長卓の中央に、ちょっと処置に困る存在感で並んでいる。
王族と文官と魔術師長が顔を揃えたテーブルに、八百屋の朝市。シュールだ。
給仕が新しい茶を運んできた。白い湯気が、沈黙の真ん中でひっそりと立ち昇る。
俺は茶に口をつけず、軽く姿勢を整えた。
——さて。
「あの、ちょっとご提案があるんですが、聞いていただけますか」
「はい、何なりと」
イリアが穏やかに応じる。
「私、この世界で商人として暮らしていきたいと思っております」
三人の視線が、ほんの一瞬だけ交わされた。
「お城に残っても、私のスキルでは魔王討伐の戦力にはなれません。皆さんとしても、扱いに困られるかと」
エドモンが遠慮がちに首を横に振る。
「いえ、その、決して困るなどとは……」
「正直にいきましょう。その方が、お互い楽だと思います」
イリアがわずかに目を見開いた。こちらの物言いの率直さに、少し面食らったらしい。
——王族相手にこの切り出し方、普通しないよなあ。
でも、遠回りに敬語を重ねるより、ずばっと言ったほうが早い。向こうだって、処遇の話を自分から切り出せずに困っていたのはバレバレだ。困っている側に先に言わせない——こういう時の、商売の基本である。
「日本の実家は商売をやっておりまして、商売なら、まあ得意なんです。市民権と、商人としての身分をいただければ、この国で自立してやっていけます」
少し間を置いて、続けた。
「——帰る方法が、見つかるまで、ですが」
イリアが真剣な表情で姿勢を正した。
「高瀬川様。我らの都合でお呼び立てし、このような結果となり……誠に申し訳なく思っております」
取り繕いの言葉ではなかった。王女の声に、薄く重さが乗っている。
ガレスが引き取って続けた。
「市民権、商業ギルドへの推薦、一年分の生活費——せめてものご用意として、ご提供させていただきます」
おっ。
——予想の倍、出てきたな。
「商業ギルドの会頭には、我が王家より直接推薦状を」
エドモンが頷きながら加える。いつのまにか、実務段取りに入るときの顔に切り替わっていた。
「城下町での立ち上がりについて、便宜を図れるよう手配いたしましょう」
スムーズ。想定より、だいぶスムーズだ。
——やっぱり、こっち側に後ろめたさがあったな。
発注ミスで巻き込んだ異世界人を、身一つで放り出したとあっては、王族として外聞が悪い。三人にしてみれば、「穏便に出ていってくれる」方がむしろ助かる展開のはずだ。こちらが自分から出ていくと申し出た時点で、話の骨格は、もう決まっていたのだろう。
「ありがとうございます。助かります」
頭を軽く下げる。
——さて、ここからが本題だ。
「それで、もう一つご提案があります」
「はい」
イリアが続きを促す。俺は机の上の野菜を、指先で軽く示した。
「このスキル、戦力にはなりませんが、野菜と果物は召喚できることが、一応確認できました」
少し身を乗り出す。
「正直、これで商売になるかは、まだ分かりません。この国で白菜や大根がどれほどの値で売れるのか、採算が取れるのか——試してみないと、何とも言えない段階です」
三人の視線が、机の上の野菜と、俺の顔との間を往復した。
「ただ、平時の個人的な商売とは、別の話として」
声のトーンを、意識して一段だけ落とす。
「——有事の際、国が食糧不足に陥った時、このスキルは、**まとまった量の生鮮品を、一気に供給できるかもしれない**」
短い沈黙が落ちた。
イリアとガレスが、目を見合わせる。エドモンは微かに眉を上げ、口の中で何かを呟いた。
——食いついた。
心の中で、小さくガッツポーズをひとつ。
魔王が大陸に迫る。戦線が広がる。避難民が流れてくる——そういう局面で、「野菜を無限に召喚できる人間」の値段は、どう転んでもゼロにはならない。戦闘力じゃなくて、兵站。昔から「戦は数で、数は兵站で決まる」と言う。商売と同じで、売れる相手のない品物に価値はないが、全員が欲しがるタイミングで供給できる品物は、金塊みたいなものだ。
そしてこの提案の本当の狙いは、数字や兵站の話の裏にある。
——「ショウマを遠くへやっちまって、本当に大丈夫か?」。
向こうにその一抹の不安を、そっと置いていくこと。それが、俺の保険だ。
「平時は、自由に商売をさせてください」
静かに、続ける。
「ただし、国家的な食糧危機の際には、王国からの要請に応じて召喚に協力いたします。対価は、都度のご相談で構いません」
ガレスが、ゆっくりと頷いた。
「……なるほど。保険として、でございますか」
「そういうことです」
俺は明るく返した。
「お互い、最悪の事態には備えておけます。いかがでしょう」
イリアが、しばし考え込むように沈黙した。それから、ゆっくりと口を開く。
「——それは、我が国としても、ありがたい申し出です」
背後で、エドモンが半歩、前のめりになる。
「有事の際の連絡手段を確保させていただきたく。商業ギルドを通じて、いつでも王城にご一報いただける体制を整えましょう」
「助かります。こちらからも、何かあればご相談させてください」
俺が応じると、イリアが改めて姿勢を正した。
「高瀬川様。我らとの縁を、このような形で繋いでくださり——ありがとうございます」
「いえ、お互い様です」
軽く、頭を下げる。
「何かあれば、遠慮なくお声がけください」
王女が、この場で初めて、柔らかく微笑んだ。
「……高瀬川様のご商売が、繁盛されますように」
——繁盛させてもらいますとも。
あなた方が、想像もしていないくらいに。
胸の内だけで、そう返した。背筋をそっと、伸ばす。
——と、その時だった。
隣で、ずっと黙っていた奏多が、控えめに口を開いた。
「あの……ショウマさん、本当に、一人で大丈夫なんですか」
いつもの弾みが、声から抜けていた。俺は視線を隣に移し、軽く笑ってみせる。
「大丈夫大丈夫。商売なら家業で散々やってきたから。俺には俺のやり方がある」
「……そうですか」
奏多の声が、少しだけ沈んだ。
ああ、そうか。
召喚の間から、ずっと一緒に怯えて、ずっと一緒に驚いてきた、たった一人の同郷だ。そいつが自分だけ残して、先にどこかへ行ってしまう——この子にとって、それは、思っていたより大きいことだったのだ。
俺は軽く、少年の肩を叩いた。
「その才能は、本物だ」
奏多がこくり、と頷く。まっすぐな目だった。
——大丈夫だよ、この子は。
本人より先に、まわりが熱くなるタイプだ。すぐに勇者一行が編成されて、仲間ができて、きっと大事にされる。俺が心配することなんか、何ひとつない。
エドモンが、実務家の顔に戻って口を開いた。
「では、具体的な手続きについて、後ほど別室でお話させていただきます。市民権の発行、商業ギルドへの紹介状、当座の金銭について——一通り、こちらで整えさせていただきますので」
「お願いいたします」
「一晩お休みいただき、明日の朝に出立されるのがよろしいでしょう」
イリアが柔らかく、締めくくった。
「城下町までは、お送りいたします」
「ありがとうございます」
全員が立ち上がるのに合わせて、腰を上げた。
応接の間の扉へ向かう道すがら、内心で、短く息を吐く。
——思ったより、すんなり話がついたな。
王国側の後ろめたさと、俺の自立志向と、有事の保険契約。三つの利害が、カチッと噛み合った瞬間だった。こういう時の感覚は、元の世界でも、異世界でも、不思議と変わらない。
これで、自由に動ける。
廊下に踏み出す直前、机の上の野菜と果物を、肩越しに一度だけ振り返った。
白菜、大根、人参、キャベツ、リンゴ、オレンジ、バナナ。
——魔王討伐には、欠片も役に立たない。
でも、商人の手札としては——悪くない。
さて、明日から一人で、異世界でビジネスの立ち上げだ。




