帰国するにはしたけれど
その後はバイエルンとの国境の河にたどりつくまで、以前の苦労が嘘のように順調な行軍になったんだ。
サーベルタイガーの族長さんが回春のお礼だか何だか怪しい理由で派遣してくれた虎さんは、ロワール東辺境の森を熟知しているらしかった。その後も毎日私たちに新鮮で安全な水をもたらしてくれた、本当にありがたかったわ。
無事にロワール領を踏破できたのは彼のおかげだってことがこの数日で全軍に知れ渡っていて、国境の橋で別れた時は全軍敬礼で虎さんを送ることになった。そんなセレモニーを見ていたロワール軍の兵たちの眼は、驚きで丸くなっていたけどね。
そうね、外国の軍から見たら、驚くしかないかもね。バイエルンでは魔獣……ヴィクトルたちサーベルタイガーが人間の軍隊と共に戦い、あまつさえ友軍を守るために自らの生命を捨てた話が、例の歌劇だけじゃなく酒場で流れる叙事詩でも、もはや定番となって唄いあげられていて……魔獣と人間が尊重し合い助け合うことができるという認識が、この二年ほどの間にすっかり浸透している。だけどロワールをはじめとする外国では、魔獣は人間とテリトリーを奪い合い、対立し殺し合う関係というのがまだまだ一般的な認識なのだ。唯一例外として、私が縁を結んだベルフォール辺境伯と虎さんたちが、ゆるい協力関係にあるだけなんだものね。
ロワール軍はサーベルタイガーに脅えて、ここまでの路程でも一歩どころじゃなく二歩も三歩も引いていたけれど、バイエルン兵たちはすでにあの虎さんを、馴れ合いはできないけれど理解し合える隣人として遇しているみたいだった。
そう、これは私がずっと望んでいた、魔獣と人間の理想的関係だ。ちょっと振り返った後ゆっくりと去ってゆくサーベルタイガーの勇姿に、兵たちが帽子や旗を振って歓呼の声を投げるシーンを見たら、少しじわっと来るものがあるわ。だって、ヴィクトルの犠牲と私の想いが、無駄になっていないんだなって思えるんだもの。そして、虎さんの姿が、完全に森に溶ける。
「よし、我々は帰ってきたぞ、祖国バイエルンへ! 全軍、橋を渡れ!」
最高指揮官であるローゼンハイム伯の号令一下、私たちは橋の向こう……大切な家族たちの待つバイエルンの土へ、足を踏み出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
バイエルン領内へ戻ってきたからと言って、もちろん我々の行軍が楽なものになるわけではなかった。国の西部は西教会を奉ずる貴族領だらけで、彼らの多くはこの叛乱に際して第三王子側、ようは西教会についたのだから。
そうした敵対貴族の領地を通過するのは一苦労だ。
領主が賢ければ、住民は食料を始め軍が求めそうなすべての物資を持って森に逃げ込み、村も領主の館も空っぽにしてしまう。自らの兵や領民の損失を避けつつ、私たちに補給物資を与えないためにね。これは私たちにとってかなりイヤな戦術だ、兵力の損耗はなくとも、物資の欠乏はじわじわと効いてくるからね。
一方頭の良くない領主の場合は、兵を率いて城にこもって全力で抵抗してくるわけなのだ。教会や第三王子に己の忠誠を見せつけてやろうってことなのかも知れないけれど、はっきり言って悪手だと思うわ。千や二千ぽっちの領兵がいくらしゃかりきに抵抗したって、三万の正規軍が本気になったら、まさに鎧袖一触で揉みつぶせるわけだからね。堅固な山城なんかにこもられたら確かに厄介だけど、そんなときはその存在を無視して、堂々と街道を通りすぎてしまえばいいのだ。だって私たちの最終目的は、地方の小貴族を攻め潰すことじゃなく、陛下を奉じて王都を取り返すことなのだから。
とはいえ、いきなり王都を目指すわけにもいかない。まず向かうべき目的地は、バイエルン西部最大の街、ハイデルベルグ……腹黒のクリストフ父様が国王陛下を守ってたてこもり、反攻態勢を整えつつあるであろう、国王派の最大拠点だ。
「ハイデルベルグの街は高い城壁と河に守られている、叛乱軍が攻略するのは難しかろう」
ローゼンハイム伯の力強い言葉に、私は深くうなずく。だけど難し気な顔をしているテオドール様の見方は、少し違うようだった。
「確かに守るには良い街だろう。しかし、あそこは西部地域のどまんなか……周囲は西教会を奉ずる貴族領に囲まれているはずだ。叛乱鎮圧に向け陛下が兵を集めようとしても、援軍がたどりつくことすら、ままならないのではないか? そしてだらだら時を浪費すれば、王都を押さえている叛乱側になびく貴族が増え、国王はどんどん不利になっていくだろう」
「おっしゃる通りです、皇弟殿下。ですから叛乱貴族どもを力で押し切れるだけの兵力を唯一持っている我々が速やかにハイデルベルグに入城し、陛下と合流して逆賊討伐の烽火を上げねばならないのです」
「ふむ、ではまずあの邪魔な連中を、早くなんとかせねばならないな」
テオドール様が指さす先には、街道をドンとふさいで立ちはだかる、敵の一隊がいた。




