サーベルタイガーのお婆さん
倒れた虎さんの背中やお尻には、矢が数本痛々しく刺さっている。だけど、森の王者サーベルタイガーがこんな傷くらいで倒れるはずがない。
「ごめん、虎さん、身体を調べるよ……」
私が急いで、つやつやしてるけど普通のサーベルタイガーより白いその毛皮を撫で回すと、原因はすぐわかった。虎さんの脇腹あたり、ちょうど柔らかいところに槍で突いたのであろう深い刺し傷が一つ。出血は少ないけれど内臓まで達し、体内に相当なダメージを与えているのだろう。
「この傷で騎士様を乗せて駆け戻って来たなんて……」
「そうなのだ。私が伏兵を見つけ、すぐ戻れば良いものを、もう少しだけ敵の様子をつぶさに見ようと欲張って、敵に見つけられてしまったのだ。このサーベルタイガーは何度も、私を制してくれていたのに……済まぬ」
騎士様が沈痛な表情をする。おそらくこの虎さんとのコンビが長いのだろう。自分の判断ミスで騎獣に致命傷を負わせてしまったショックは、計り知れない。
「大丈夫です、この虎さんは私が必ず助けます。騎士様は早く伏兵の状況を辺境伯様に復命なさって下さい!」
半ば命令調になってしまったけれど、時間がないのだから致し方ない。私は急速に生命力が失われていく虎さんにがばりと抱きついて、魔力を染み込ませようとした。だが、虎さんの鼓動は、一旦持ちこたえたものの、また徐々に弱くなっていく。
「くっ、どうして……」
(お嬢ちゃん、あたしはもう年寄りなんだよ。あんたの注いでくれる魔力は極上だけれど、もともと衰えている老体を蘇らせるのは難しいよ。あたしみたいな魔獣のために必死になってくれてありがとうね……もう、諦めていいんだよ)
優しい女声の念話が、私の頭に響く。だめ、こんな穏やかで気高い魔獣が、下らない人間同士の争いに巻き込まれて生命を落とすなんて。何か、何かできるはず……私の注ぐ魔力が足りないなら、もっと惜しまずあげられる方法が。
その瞬間、ピンときた。私は立ち上がると、傍の魔剣グルヴェイグを鞘から抜き放ち、その妖しく光る刃を、左手首に当てた。
「せ、聖女様、何を!」
周りの兵隊さんたちが制止する声が聞こえるけど、私に迷いは無かった。怖さはあったけど、やるしかないとグルヴェイグの刃を少しだけ滑らせただけで、さすがに魔剣だ……手首の静脈がかなりざっくりといったのがわかる。切味が良すぎて、あまり痛みを感じないのがありがたいわ、痛いのは、とっても苦手だから。
「さあ、おばあさん! 口を開けなさいっ!」
力なく半開きになっている彼女の口にがばっと右手を突っ込んで無理矢理大きく開き、したたり落ち始めた左手首の血を、そこに流し込む。
これが最適解かどうかは、わからない。だけど私のおかしな魔力を与えるには、抱きつくより直接体液をあげる……キスの方が速いってことがわかっている。それなら、唾液よりよっぽど魔力がたっぷり流れているであろう血をあげるのが、一番強力じゃないかって思ったんだ。
しばらく、虎さんは身動き一つしない。もう相当の血液を喉に流し込んだけど、逆にこれで窒息したりしないかと、妙なことが心配になってしまう。私自身も、これだけ血を流したのは初めてで、若干くらくらし始めている。やっぱり、思い付きの治療法は、ダメだったのかな……
「おお、尻尾が動いたぞ!」
やや意識が薄れかけていた私も、その声で我に帰る。言われて気付けば、無理に突っ込んだ左手首を、何やらざらざら気持ちいい虎さんの舌が優しく舐めてくれていて……出血も止まっている。
(ありがとうね、お嬢ちゃん。もう二百年以上も生きて、ここで終わりでも仕方ないと思っていたけど……あんたのお陰で、まだしばらくは動けそうだよ)
そんなことを言って頬をぺろりと舐めてくれちゃったりしたら、私の涙腺が決壊するのは、仕方ないだろう。サーベルタイガーの首にすがって、わんわん声を上げて泣く私を、ロワール軍の将兵さんたちが、茫然と見つめていた……らしい。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その晩は、虎のお婆さんと添い寝した。あれだけの重傷を負ったのだから、心配で付き添い……と言うのは表向き。本当は、ヴィクトルの一族であろうお婆さんとお話したかったのだ。
(そうかね……こんな強烈な魔力は滅多にないと思っていたけど、あんたがヴィクトル坊の連れ合いであったか)
「うん、そう……だけど、ヴィクトルは……」
連れ合いって言われるとまだ違うような気はするけど、もう心はつながっていたから、間違ってはいないか。
(一族の者はヴィクトル坊がすでに亡いことを、皆知っておるよ。最後の力を使ったのじゃろう、大事なものを守るために)
「そ、そうなの。私が間違った選択をして、ヴィクトルを追い詰めてしまったの……」
そんなことを口に出すと、また涙があふれてきてしまう。思わず嗚咽を漏らしかける私を、お婆さんは優しく胸に抱き込んでくれた。
(ヴィクトル坊は、あんたを守ると誓ったのだろう? であればあんたを守って死ぬのは、魔獣として誇らしい生涯であったろう。そこを気にやむのは、やめた方がええ。むしろあんたが、ヴィクトル坊が憧れた生き方のままでいることが、坊の望みにかなうであろうの)
ぶっきらぼうな言葉だけど、とっても優しくて……ヴィクトルが言ってたことと、同じようなことを言うお婆さん。何だか嬉しくて、そのまま胸に抱かれているうちに……お子様な私はそのままぐっすりと寝入ってしまったのだった。




