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第4話  一九九〇年有馬記念

 一九九〇年一二月二三日。 中山競馬場のテレビ中継は、異常な熱気に包まれていた。


 有馬記念。それも今後五〇年は現れないであろう葦毛の怪物の引退レース。


 オグリキャップ、競馬を知らない人でも名前を聞いたことはある名馬が出走する。


 中山競馬場には異常な数のファンが押し寄せ、場内に入れない人もいた。


 ファンファーレが鳴り響く、画面の向こうで、一六頭の名馬と騎手がゲートへと向かっていく。


 その中に、青い帽子の騎手とオグリキャップがいる。


 父親の視線は、もう完全に画面に釘付けだった。


「いよいよだな……」


 その横顔を見て、太陽は気づく。


 この時間だけは、未来も金も関係ない。




 ゲートが開いた瞬間、世界が動いた。


 一六頭のきれいなスタートと共に実況が告げる


「ゆっくりと、ゆっくりと、ヤエノムテキが押していく……」


 歓声と地鳴りのような実況。


 オグリキャップは前目につき三番手か四番手の位置。


 すぐ後ろにはメジロライアンが付いてきている。


 馬群が流れ、正面の直線に入る。


 オグリキャップは五番手から六番手ほどの好位置につける。


 十七万人の歓声の中、第一コーナーへ向かう。


 瞬きを許さないような競馬に太陽と父親は魅了され、言葉が出なかった


 そして——


 第四コーナーを曲がり、最終直線に入る


「オグリが先頭、オグリが先頭!! オグリが先頭!!!」


 オグリキャップが得意の末脚で前を差し切っていく。


 次の瞬間、画面の中でオグリキャップが先頭に出る。


「……勝つ」


 思わず声が漏れた。


 隣で父が立ち上がる。


「行け……行け!!」


「ライアン来た、ライアン来た! しかし、オグリが先頭、オグリ先頭」


 呼吸を許さないような一瞬の出来事に生唾を飲む。


 そしてゴール。


「オグリ一着、オグリ一着、オグリ一着、オグリ一着、右手を挙げた!」


 父の体から力が抜けるように見えた。


 その顔には、笑いとも涙ともつかないものが浮かんでいる。


「……やったな」


 小さく呟く声が震えていた。


 母も言葉を失っている。


 ただ、テレビの中の馬を見ていた。


 太陽は、その光景を見ながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。


 前の人生では、見なかった景色。


 父と同じものを見ているという感覚。


 それだけで、息が詰まりそうになる。


 ——だが同時に、別の冷たい感情もあった。


 これを知っているのは、自分だけだ。


 そして、これを使うのも自分だけだ。


 次の有馬記念。


 ダイユウサク。


 単勝百倍。


 その未来が、すでに頭の中にある。


 ふと、父の横顔を見る。


 まだ余韻の中にいる。


 その姿を見て、太陽は初めて思う。


 ——これを、何度も使ってはいけない。


 金を稼ぐために未来を切り売りすることはできる。


 だが、それを繰り返せば、きっと何かが壊れる。


 父の好きな競馬で、父の時間を奪っていくことになる。


 だから決める。


 これを最後にする。


 「一回だけ」だ。


 ダイユウサクで資金を作ったら、それで終わりにする。


 もう二度と、この方法は使わない。


 その代わり——


 その金で、今度こそ父を守る。


 母を守る。


 この時間を、失わないために。


 太陽は小さく息を吐いた。


 テレビの中では、まだオグリキャップの余韻が続いている。


 だが、すでに次の未来が、静かに始まっていた。


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