初めての報酬と、辺境伯様の甘い提案。無自覚チートはメイドたちの心まで虜にしてしまうようです
初めての報酬と、辺境伯様の甘い提案。無自覚チートはメイドたちの心まで虜にしてしまうようです
大通りのど真ん中で、思いがけず辺境伯様の胃袋を掴んでしまった(?)私とイグニス様は、そのまま護衛の騎士たちに丁重に案内され、シュヴァルツ辺境伯の館へと招かれていた。
通されたのは、王城と見紛うばかりに豪華で、しかし華美すぎない洗練された応接室。
ふかふかのソファに座り、イグニス様と一緒に高級な紅茶とお茶菓子をいただいていると、ガチャリと重厚な扉が開いた。
「待たせてすまない」
部屋に入ってきたその人の姿に、私は思わず目を丸くした。
現れたのは、先ほどまでの血塗れの鎧姿から一転、仕立ての良い漆黒の軍服に身を包んだレオンハルト様だった。
汚れが完全に落とされたことで、彼本来の容姿の美しさが際立っている。夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪に、透き通るような氷色の瞳。
長身で肩幅が広く、引き締まった体躯は、ただ立っているだけで絵画のように美しかった。
(うわぁ……すごく、綺麗な人……)
思わず見惚れていると、レオンハルト様は私の前まで歩み寄り、なんと片膝をついて深々と頭を下げたのだ。
「えっ!? へ、辺境伯様!?」
「レオンハルトでいい。……先ほどは、本当にすまなかった。俺としたことが、君のような可憐な女性を馬で轢きかけるなど」
顔を上げた彼の瞳には、深い後悔と、そして私に対する強い熱が宿っていた。
「それに、君がくれたあの『神話級の霊薬』。あれのおかげで、俺の身体に蓄積していた毒や呪い、疲労のすべてが完全に浄化された。それどころか、魔力の上限値まで底上げされている。君は、俺の命の恩人だ」
「し、神話級なんて、そんな大げさな……。その辺の森で摘んだ薬草を練り込んだ、ただのちょっと苦いクッキーですよ?」
私が首をかしげると、レオンハルト様は「ただのクッキー……」と呟いて、なぜか額を押さえて天を仰いだ。
「あの絶望的なオーガの毒を、ただのクッキーで浄化するとは……。君は一体、何者なんだ?」
「私は、クロエと申します。ただの、しがない錬金術師です」
実家のアルジェント伯爵家の名前は出さなかった。私はもう追放された身だし、無能な娘だった私が貴族を名乗るのもおこがましい気がしたからだ。
「クロエ、か……。美しい名前だ」
レオンハルト様が私の名前を呼んだ瞬間、氷のように冷たかった彼の表情が、ふわりと春の陽だまりのように柔らかく崩れた。
少しだけ頬を染め、恥ずかしそうに微笑むその姿は、「氷の死神」という恐ろしい二つ名からは想像もつかないほど優しげで。
トクン、と。私の胸が、小さく跳ねた。
「クロエ。君のクッキーの代金だ。受け取ってくれ」
そう言って彼がテーブルに置いたのは、ずっしりと重そうな革袋だった。
口が少し開いており、中には眩いばかりの金貨がぎっしりと詰まっている。
「ええっ!? こ、こんなにもらえません! ただのクッキー一枚ですよ!?」
「いいや。あのような国宝級の霊薬、本来なら金貨一万枚でも足りない。だが、今すぐ動かせる個人資産がこれだけだったのだ。足りない分は、後日必ず……」
「足りないどころか多すぎます! 一生遊んで暮らせる金額じゃないですか!」
慌てて突き返そうとする私。
しかし、レオンハルト様は真剣な顔で私の手を取り、革袋をぎゅっと握らせた。
「君の技術に対する、正当な対価だ。俺に、君へ報いる誇りを与えてはくれないだろうか」
「っ……」
正当な対価。
その言葉を聞いて、私はハッとした。
実家の地下室で、何百、何千というポーションを作らされてきた。だけど、私に支払われた報酬なんて、硬くなったパンの耳と、心無い罵倒だけだった。
自分の作ったものが認められ、その対価として「お金」をもらったのは、私の人生でこれが初めてだったのだ。
「……ありがとうございます。大切に、使います」
革袋を胸に抱きしめると、じんわりと涙が滲んできた。
そんな私を見て、隣のソファで優雅に紅茶を飲んでいたイグニス様が、満足そうに頷いた。
「ふむ。辺境伯とやら、見かけによらず義理堅い男のようだな。クロエが受け取ったのなら、それで良い」
「イグニス、様……」
「それで、クロエ。君はこの後、どうするつもりなんだ? もし行く当てがないのなら……」
レオンハルト様が、どこか期待を込めたような、すがるような目で私を見る。
「私、錬金術の工房を開きたいんです。この街の隅っこに、小さな空き家でもあればいいなって」
私がそう答えた瞬間。
レオンハルト様がガタッと音を立てて立ち上がった。
「それなら、この館の敷地内にある『南の離れ』を使ってくれ! 広さも十分だし、設備も整っている。なんなら俺の私財を投じて最高の機材を揃えよう!」
「えっ!? でも、そんな立派な場所を借りるなんて……」
「遠慮はいらない! むしろ、どうかあそこに住んでくれ! そうすれば俺は毎日、君のクッキーを……いや、君の顔を見に行ける……っ!」
ものすごい食い気味の提案。しかも後半、完全に本音が漏れている。
顔を真っ赤にして熱弁する辺境伯様に、私はぽかんとしてしまった。
「おい、辺境伯」
ピシャリと、冷たい声が響いた。
イグニス様が黄金の瞳を細め、凄まじい威圧感を放ちながらレオンハルト様を睨みつけている。
「職権乱用で、ウチの可愛いクロエを囲い込むつもりか? もしクロエに妙な真似をしようものなら、この館ごと貴様を消し炭にするが?」
「そ、そんな下心など断じてないっ! 俺はただ、彼女のような才能ある錬金術師を悪意から守り、安全な場所を提供したいと純粋に願って……っ!(チラッ)」
ものすごく目を泳がせながら、必死に弁明するレオンハルト様。
なんだか、大型犬が怒られているみたいで可愛らしく見えてしまう。
「失礼いたします。閣下、お茶のお代わりをお持ちしました」
その時、コンコンとノックの音がして、一人の年配の女性が入ってきた。
パリッとしたメイド服を着こなす、厳格そうな雰囲気のメイド長さんだ。
彼女は新しいティーポットをテーブルに置こうとした。その時、彼女の手に視線が落ちた。
ひどいあかぎれと、水仕事でひび割れた荒れた手。北の過酷な環境で、長年この館を支えてきた誇り高き労働の手だ。
私は無意識のうちに、エプロンのポケットを探っていた。
「あの、メイド長さん。これ、もしよかったら使ってください」
私が差し出したのは、小さな丸い木箱。
道中で採取したアロエに似た植物と、獣の油を混ぜて作った、私特製の『ハンドクリーム』だ。
「これは……?」
「私の作ったハンドクリームです。水仕事の後に塗ると、手荒れが治るんです。いつもお仕事、お疲れ様です」
私がにっこりと笑いかけると、メイド長さんは驚いたように目を丸くし、やがて「ありがとうございます。お嬢様」と控えめに微笑んで、その場で木箱を開けてクリームを手に塗り込んだ。
――ぽわぁぁぁん……っ!
「えっ!?」
またしても、淡い黄金の光がメイド長さんの手を包み込んだ。
光が収まると……そこにあったのは、ひび割れもあかぎれも完全に消え去った、まるで20代の貴族令嬢のように白く滑らかで、ツヤツヤの美しい手だった。
「なっ……!? 私の手が……長年の痛みが、完全に……!?」
「あれ? ちょっと効きすぎちゃいましたか?」
「『ちょっと』のレベルではないぞクロエ……。細胞が完全に若返っているではないか……」
イグニス様が呆れたようにため息をつく。
メイド長さんは自身の若返った手を見つめ、わなわなと震えた後、なんと私に向かって深々と跪いた。
「あ、ありがとうございます……! 神の御使い様……っ!」
「ええっ!? 御使い!?」
「皆様! 入っていらっしゃい!」
メイド長さんが声を上げると、扉の奥から「見ましたか今の!?」「あれが氷の死神様をデレさせたという伝説の女神様……!」「あのハンドクリーム、私も欲しい!」と、目を輝かせたメイドさんたちがわらわらと入ってきた。
「女神様! どうか我らも、貴女様に忠誠を誓わせてくださいませ!」
「いやいやいや! 私、ただのクロエですから!?」
メイド長さんを筆頭に、館のメイドさんたち全員から熱烈な拝礼を受ける私。
それを横で見ながら、レオンハルト様は深く頷いていた。
「よし。これで館の者たちも、全員クロエの味方だ。……クロエ。南の離れを使ってもらう件、異論はないな?」
「い、外堀が完全に埋められてる……っ!?」
こうして、無一文で追放されたはずの私は、最強の神獣お姉様に守られ、冷徹なはずの辺境伯様に甘やかされ、さらには館のメイドさんたちに崇拝されながら――
辺境伯の立派な離れで、念願の錬金工房をオープンすることになってしまったのだった。
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