男の甘え方。――夜明けの執務室で、不器用な騎士は仮面を外して君を抱きしめる
男の甘え方。――夜明けの執務室で、不器用な騎士は仮面を外して君を抱きしめる
奇病『黒死灰』の脅威が完全に去り、辺境都市シュヴァルツに再び温かな日常が戻ってきてから、数日が過ぎた。
黄金の雨によって癒やされた領民たちは、後遺症もなく普段の生活に戻り、街は以前よりも一層の活気に包まれていた。
「おう嬢ちゃん。顔色、だいぶ良くなったじゃねぇか」
朝の錬金工房。カランコロンとベルを鳴らして入ってきたのは、いつも通り頭にタオルを巻いた龍魔呂さんだった。
あの日、工房のソファで爆睡した彼は、丸一日寝こけた後「腹減った」と起き出し、私が作った特大のオムライスを三皿平らげて、ポポロ村へと帰っていったのだ。
「龍魔呂さん! その節は、本当にありがとうございました! 龍魔呂さんが命を削って『星光華』を育ててくれなかったら、あの薬は絶対に完成しませんでした」
私が深く頭を下げると、龍魔呂さんは「へっ」と照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「俺は畑の土を叩き起こしただけだ。それを奇跡の雨に変えたのは、嬢ちゃん自身の覚悟と力だろ」
「でも……龍魔呂さんの畑、無理をさせたせいで土が痩せちゃったんじゃ……」
「まぁな。だが心配すんな。俺と『創世のクワ』にかかりゃ、またすぐ極上の土に戻してやる。……それに、あの不器用なお坊ちゃん騎士が、一丁前に『反逆』なんて漢気見せやがったんだ。俺だけ出し惜しみするわけにはいかねぇだろ」
龍魔呂さんはニヤリと笑い、ポケットからいつものマルボロを取り出して火を点けた。
紫煙を吐き出しながら、どこか嬉しそうに目を細めている。
「フン。人間の分際で、少しばかり無理をしたからと粋がるな。我が神獣の炎のサポートがあってこその奇跡だったことを忘れるなよ」
奥から、漆黒のブラウスを着こなしたイグニス様が優雅に歩み出てきた。
相変わらずの減らず口だが、あの過酷な錬成を共に乗り越えたことで、彼女と龍魔呂さんの間にも、ある種の『戦友』のような不思議な空気が流れていた。
「へいへい。竜の姉ちゃんの炎も大したモンだったぜ。……それに、その黒い服、やっぱり似合ってんな」
「なっ……! き、貴様! またそうやって、軽々しく……!」
龍魔呂さんにサラッと褒められ、イグニス様が顔を真っ赤にして口元を覆う。
最強の神獣をここまでタジタジにできるのは、世界広しといえど異世界のヤンキー農家である龍魔呂さんくらいだろう。
二人のやり取りに、私はたまらなく幸せな気持ちになり、ふふっと笑い声を上げた。
* * *
その日の夜。
日付けが変わる頃、私はポットとカップをトレイに乗せて、領主の館の廊下を歩いていた。
向かう先は、レオンハルト様の執務室だ。
奇病は解決したものの、王都への事後報告や、隔離病棟の撤収作業など、為政者としての彼の仕事は山積みだった。討伐部隊との一触即発の事態を収拾したあとも、彼はほとんど眠らずに政務をこなしていると聞いた。
コンコン、と控えめに扉を叩く。
「……入れ」
低く、少し掠れた声。
私が扉を開けると、青白い月明かりと蝋燭の火に照らされた執務机の奥で、レオンハルト様が書類の山と格闘していた。
軍服のボタンは少し外され、疲労の色が濃く滲んでいる。
「レオンハルト様。夜分遅くにすみません、温かい紅茶を淹れてきました」
私が声をかけると、彼はハッとして顔を上げ、手からペンを置いた。
「クロエ……。すまない、こんな時間まで起きていさせてしまったな。君こそ、あの凄まじい錬成の直後なのだから、ゆっくり休まなければダメじゃないか」
「私はもう三日もたっぷり寝ましたから、元気いっぱいです。レオンハルト様こそ、少し休まないと身体を壊してしまいますよ」
私は机の空いたスペースにトレイを置き、温かい紅茶をカップに注いだ。
湯気と共に、リラックス効果のある陽薬草とカモミールをブレンドした、優しい香りが執務室に広がる。
「……ありがとう。君の淹れてくれる紅茶は、いつも本当に心が休まる」
レオンハルト様はカップを受け取り、一口飲んで、ふぅっと深く息を吐いた。
そして。
彼はおもむろに立ち上がると、私の目の前まで歩み寄り、そのまま力なく、私の肩にコテンと頭を乗せた。
「ひゃっ……? れ、レオンハルト様……?」
「……少しだけ。ほんの少しだけ、このままでいさせてくれ」
耳元で囁かれる、甘く、低い声。
彼の大きな身体が、私の小さな身体に体重を預けるように寄りかかっている。
いつもは背筋を伸ばし、氷のように冷たく完璧な『辺境の盾』として振る舞っている彼が。今、すべての仮面を外し、無防備な一人の男として、私に完全に甘えていた。
「レオンハルト様……。お疲れ様でした。本当に、頑張りましたね」
私は戸惑いながらも、そっと両手を伸ばし、彼の広い背中を包み込むように抱きしめた。
厚い軍服越しでも伝わってくる、彼の体温と、張り詰めていた筋肉の強張り。
トントンと、子供をあやすように優しく背中を叩いてあげると、彼から「あぁ……」という深い安堵の吐息が漏れた。
「俺は、怖いものなど何もないと思っていた。だが……あの時、君が命を削って大鍋に向かっていると知った時、俺は初めて、腹の底から恐怖したんだ」
「恐怖、ですか?」
「あぁ。俺の都合で、君を失ってしまうのではないかと。……俺は、為政者としては三流だ。理屈で領民を切り捨てることができなかった。そのせいで、君をあそこまで追い詰めた」
彼の声は、懺悔のようだった。
けれど、私は首を横に振った。
「違います。レオンハルト様が、自分の保身を捨てて討伐部隊の前に立ち塞がってくれたから。……泥を被って、時間を稼いでくれたから、私は最後までやり遂げることができたんです」
「クロエ……」
「あなたは三流なんかじゃありません。誰よりも優しくて、不器用で……世界で一番、かっこいい私の騎士様です」
私が背中に回していた手に力を込めると、レオンハルト様の肩がビクッと震えた。
彼はゆっくりと顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見つめた。
至近距離で交わる、氷のように澄んだブルーの瞳。けれど、そこにはもう冷たさなど微塵もなく、蕩けるような熱と、深すぎる愛情だけが満ちていた。
「君は……本当に、俺をどう狂わせれば気が済むんだ」
掠れた声でそう呟くと、レオンハルト様は私の腰に腕を回し、グッと自分の身体へと引き寄せた。
「わっ……」
「俺はもう、君なしでは生きられない。あの時、君が火竜の背から俺の名前を叫んでくれた瞬間……俺の心は、完全に君のものになった」
彼の大きな手が、私の頬をそっと包み込む。
親指が、私の唇を優しく撫でた。
「俺の傍にいてくれ、クロエ。君のすべてを、俺に守らせてほしい」
「はい……っ。私も、レオンハルト様の傍にずっといたいです。ずっと、あなたと一緒に生きていきたいです」
私が涙ぐみながら頷くと、レオンハルト様は世界で一番幸せそうな微笑みを浮かべた。
そして。
彼が静かに顔を近づけ、私たちの唇が、夜明けの光が差し込み始めた執務室で、そっと重なり合った。
優しくて、温かくて、少しだけ不器用なキス。
言葉よりもずっと深く、互いの魂を確かめ合うようなその熱に、私は目を閉じて、彼の背中に回した手にぎゅっと力を込めた。
無能だと虐げられ、実家を追放された私。
だけど、あの暗い地下室から抜け出した先には、こんなにも美しくて、愛おしい世界が待っていた。
狂気すら宿る天才錬金術師と。
愛する女のためにすべてを捨てる覚悟を持った、不器用な騎士様。
そして、規格外の神獣のお姉様と、異世界のヤンキー農家。
彼らと過ごすこの辺境の街は、きっとこれからも騒がしくて、時々無茶苦茶で、でも……世界中のどこよりも、幸せな場所だ。
「愛しているよ、俺の天才錬金術師」
「私もです、私の不器用な騎士様」
私たちの、愛と奇跡に満ちた辺境スローライフは、これからもずっと、ずっと続いていく。
ここまで「第三章」を最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!!
絶望的な奇病との戦いを終え、平穏を取り戻したシュヴァルツ。
前半は、龍魔呂アニキとイグニスお姉様の相変わらずの(尊い)やり取り。
そして後半は、すべてが終わった後の夜明けの執務室で……レオンハルト様が、ついに完璧な仮面を脱ぎ捨ててクロエに甘える、最高のご褒美回でした!
「一人で討伐部隊の前に立つ反逆の騎士」という最高に漢らしい姿を見せた男が、愛する女の前だけで見せる疲労と弱音、そして全幅の信頼。
女性向けテンプレの「ただ溺愛するだけのヒーロー」の殻を破り、血の通った一人の男としての覚悟と甘えを描き切ることができました。
二人の魂が本当の意味で結ばれたこのシーンで、第三章は最高のハッピーエンドとなります!
「レオンハルト様のギャップ最高!」「クロエもよく頑張った!」「龍魔呂とイグニスもずっと見ていたい!」
「第三章、過去一で熱くて泣けた!」
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