008 意外なお誘い
3時限目を終えると昼休みに念願の昼休みに突入した。俺はいつものように弁当箱の入った袋を取り出し、ファスナーに手を掛けた、その時だった。
「織原くん、小森さん」
その声に小森さん共々、顔を上げるとそこには佐藤さんがいた。俺は硬直する小森さんを尻目に問い掛ける。
「佐藤さん、どうしたの?」
「一緒にお昼、食べたいなって」
笑顔と共に弁当を持ち上げて見せた彼女に、俺は呆気にとられた。同時にざわめきと共に視線が集まるのを感じた。
彼女はクラスの中心にいるような人間だ。それが末端の日陰者である俺たちを昼食に誘うなんてただ事ではない。さらに言えば俺は佐藤さんに告白され、振った身だ。それはもはや周知の事実であり、その渦中にいる俺はプレッシャーに押しつぶされそうになった。
「…………」
しかし当の彼女は屈託のない笑みを浮かべて返答を待っている。その健気な様に俺は彼女も同じ思いでいるのではないかと考えた。とあれば早々に決着を付けるべきだ。
「俺はいいよ」
そう答えると彼女の目が煌めいたのを俺は見逃さなかった。その変化に俺はホッと胸を撫で下ろしつつも疑問に思う。
あの一件以来、俺たちは何の接点も持たないでいたが、彼女から接触してきたのは何故だろう?
俺に心残りがある……わけではないな。あの日あの時、彼女が浮かべた笑みはまっさらなものだったのだから。きっと言葉通り、単に昼食を共にしたいだけなのだろう。
そう結論付けると俺は「小森さんもいいよね?」と問い掛ける。この混沌とした教室に彼女をひとり置いていけるワケがないから、というのもあるが、俺は小森さんと一緒に昼食が摂りたかったから。
そんな思いが伝わったのだろう。彼女は弁当の入った袋で口元を隠しつつ「い、いいです、よ」と上目遣いに返答した。すると佐藤さんは再び口を開く。
「せっかくだから教室じゃなくて中庭で食べよ? 今日は天気も良いから」
「それが良いね。行こ、小森さん」
そう呼び掛けながら席を立つと彼女も弁当を手に立ち上がった。
こうして俺たちはクラスメイトたちの視線を集めながらも教室を後にし、中庭にやって来た。俺たちの学校は中庭が広く確保されていて、テーブルと椅子が四つ配置されていた。既に3つは埋まっており、俺たちは運良く残っていた1つに腰掛けた。俺と小森さんが腰を並べ、対面に佐藤さんが座った。しかし、長椅子の中心ではなく俺の前で掛けていると言うことは――
「おまた~」
ひとつ間違えれば卑語となる言葉と共に大谷さんが現れる。小
森さんがビクリと跳ね上がる中、彼女は当たり前のように佐藤さんの隣に掛け、購買部で買い込んだであろう昼食をどさりとテーブルに置く。
まあ、大谷さんは佐藤さんとセットだからな、と俺が納得する中、2人はそれぞれの昼食を広げ始めた。俺は若干気が引けつつもそれに倣った。だがただ1人、小森さんだけは硬直したままでいた。
「小森さん」
俺が呼び掛けると彼女は意識を取り戻して弁当の開封に掛かった。
こうしてそれぞれの昼食を広げると購買族の大谷さんの昼食が目立った。
「そんなにジッと見てなによ?」
大谷さんの言葉に俺は凝視していたことに気付かされた。
「あ、ああ。大谷さんは購買なんだなって」
勝ち気な彼女らしいと言えばらしいが。
「なに? なんか文句あるわけ?」
「いやあ、なんにも」
そう答えると彼女は購買部で人気だという焼きそばパンを頬張りながら言い返してくる。
「ほほひふはふははへふほふはほへ(そういうアンタは弁当なのね)」
「ちょっと京子! 食べながら喋らないでって何度も言ってるでしょ?」
保護者然とした言葉に焼きそばパンを嚥下した大谷さんはコーヒー牛乳のパックにストローを刺しながら「あーわかったわかった」と疎ましげに答える。そんな日常的なやり取りに俺の緊張は解れていった。
「はは! 佐藤さん、お姉さんみたいだね」
「ほんと、昔から京子はがさつなんだから」
「そういう性分なんだから仕方ないでしょ」
「仕方なくない。今すぐ直しなさい」
「いや」
ぶっきらぼうに答えるとコーヒー牛乳を一口飲んで俺に再び問うてくる。
「アンタは弁当なのね」
「うん。姉さんのを作るついでにね」
「アンタ、姉貴いんの?」
「そう。2人暮らしなんだ」
するとみんな意外そうな目をした。
「2人暮らしって、織原くん、実家通いじゃないの?」
「うん。中学の頃からね」
「へー、それにそのお弁当、織原くんが作ってるんだね」
「居候させてもらう代わりに家事を引き受けてるんだ。うちの姉さん、不健康な食べ物が大好きだからね。俺が弁当作ってあげないときっと偏食するだろうから」
俺の言葉に佐藤さんは感心しつつも大谷さんを見やる。
「そう言えば京子。野菜全然食べてないんじゃない?」
「余計なお世話よ」
そう言って焼きそばパンを頬張る彼女の今日の昼食は、焼きそばパンに唐揚げ弁当だった。そのラインナップに俺が苦笑していると、隣で小森さんが所在なさげに弁当袋を弄んでいるのに気付く。
「そうだ。俺たちも食べないとね」
「あ、そうだったね。いただきましょ」
「小森さんも」
俺が呼び掛けると彼女は緊張を隠しきれない様子で頷いた。
そうして各々昼食を食べ出すと佐藤さんが小森さんに問い掛ける。
「そういえば。小森さんはなんでこんな時期に転校してきたの?」
すると彼女は俯いて「あ、嫌なこと、あった、から……」と答える。
いじめとかかな?
俺は小森さんを心配しつつも、地雷を踏んでしまった佐藤さんのフォローに回ろうとしたが、さすが佐藤さん。「そうなんだ」とさらりと受け流して「転校か~」と遠くを見ながら物思いに耽るように言う。
「私はずっとここに住んでるから。転校とか、ちょっと憧れるな」
新天地への憧れを表すとその幼なじみである大谷さんが「そんなの、アタシが許さないわよ」と娘の嫁入りを認めない父親のような物言いで断じる。すると佐藤さんは小さく笑って「京子を残して遠くに行けるわけないじゃない」と返す。
その様子に本当に仲が良いんだなと思いつつ俺はウインナーを頬張る。
そうして和やかな空気が流れる中、佐藤さんは思い出したように言う。
「そうだ。2人に相談があるんだった」
やはりこのランチには何か目的があったようで、俺は神妙な心持ちで応じる。
「相談って?」
「前に『罪と罰』を読んで思ったんだ。私、長文が読めないんだなって」
「あー、LINEとかXとか、短い文章を読む機会の方が多いからね」
「そうそう。あとほら、来年には大学受験とかも控えてるじゃない? だからこの機会に読めるようにならないとって、試しに夏目漱石の『こころ』を読んでるんだけど、あんまり頭に入ってこなくって」
「あーなるほど。確かに『こころ』は教科書に載るくらい有名な作品だし、文学の足掛けとしては最高だよ。でも『読書』の足掛けとしてはちょっとハードルが高いかもね」
「そうなんだよ。それで読書好きな2人に相談。何かおすすめとかない?」
その言葉を受け、俺は脳裏を巡らせようとしたがふと、小森さんが話しに全く入れないで箸を弄んでいることに気付く。だから俺は彼女に問い掛けた。
「おすすめは色々あるけど、小森さんはどう?」
「え? あ、ええと……」
不意を突かれて口ごもる彼女だが、俺の言葉だからか、さほど激しい反応を見せることなく、時間は掛かったが答えを出してくれた。
「……『成瀬は天下を取りに行く』、とか……?」
すると大谷さんが「あ、本屋で見た気がする」と反応を示す。それに続いて佐藤さんが「女の子が表紙のヤツだよね?」と問いを重ねる。
「あ、そ、そうです」
「どんな内容なの?」
「え、ええと……」
口ごもった末に小森さんが救いを求めるように俺を見た。幸いにして俺も読了済みの作品だったからバトンタッチして答える。
「成瀬あかりっていう女の子が毎度変わったことをやり出しては周囲に影響を与えていくって言う話で、コミカルに進んでいく短編集だからきっと読みやすいと思うよ」
「そうなんだ。2人のおすすめなんだから間違いないね。ねえ、京子?」
「なんでアタシに振るの?」
「京子はゲームばっかなんだから。私よりも京子の方こそが読書になれるべきよ」
「いや!」
子供みたいな拒絶の仕方に俺の隣で「ふふ」と小さな笑い声が上がる。俺と対面の2人が反射的に振り向くと小森さんが笑みを浮かべていた。しかし視線が集まったのに気付くと耳を真っ赤に染めて俯いた。
「あ、ご、ごめん、なさい……」
「謝るようなことじゃないよ?」
俺が呼び掛けると佐藤さんが感慨深そうに言う。
「小森さんが笑ってるとこ、初めて見た」
「アンタ笑えるのね」
大谷さんが歯に衣着せないことを言うと小森さんは一層恥ずかしがった。そんな様子に2人は親しみを抱いたようで、佐藤さんは微笑ましげに、大谷さんはニヤニヤとイタズラな笑みを浮かべていた。それに俺は安堵しつつも小森さんに助け船を出す。
「話もいいけど、早く食べないと昼休み終わっちゃうね」
「っと、そうだった!」
大谷さんは焼きそばパンを口に詰めし込んでモゴモゴと咀嚼した。
「こら! そんな一気に食べないの!」
2人の忙しない問答に小森さんが再び笑うが、それに気付いたのは多分、俺だけだろう。
それはともあれ、俺たちの昼食は当初思ったよりも良い具合に進んでいった。俺は素直に楽しかったし、小森さんもきっと同じ思いだろうという確信があった。だからチャイムの音に終わりを告げられると名残惜しく思われた。そうして席を立とうとした時だった。
「今日はありがとうね。またランチに誘ってもいい?」
佐藤さんの言葉に大谷さんが続く。
「ま、たまにはこういうのもありなんじゃないの?」
2人の好意的な言葉に俺は「もちろん」と素直に答えると佐藤さんの目が煌めいた。俺に対して心残りがあるのかは知れないが、彼女の親しみに満ちた好意を俺は嬉しいと思えた。
「あ、わ、わたしも」
小森さんが精一杯、答えると2人は満足そうに笑んだ。
「それじゃ、教室に戻りましょ」
こうして俺たちの昼休みは愉快な内に幕を下ろすのだった。




