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読書家の俺が、作家を目指す彼女の“最初の読者”になった話  作者: 丘引みみず
第1章 織原くんと小森さん

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002 図書室での交流

「はあ……」


 姉さんの夕食を温めながら俺はため息をついた。すると耳聡(みみざと)く風呂上がりの姉さんが揶揄う調子で話しかけてくる。


「なに? 恋のお悩み?」

「半分ハズレ」

「じゃあ半分アタリなのね。で、どうしたの?」


 姉さんは席に着きながら問うてくる。俺は酢豚を配膳すると対面に掛けて答える。


「昨日、また告白されたんだよ」

「アンタ、顔だけは良いものね」

「一言余計だよ。まあ、今度も振ったんだけど、その人がクラスの人気者だったんだよ」

「あー、それで嫌な目に遭ってるワケね」

「話が早くて助かるよ。それで、今日転校生が来たんだよ」

「女の子?」

「そう。読書が好きみたいだから喋りたかったんだけど、邪魔が入ってね。ロクに話せなかったよ」

「それは災難ね。ま、1週間もすればほとぼりも冷めるでしょうよ」

「だと良いんだけどね」


 そう言い残すと俺は席を立った。


「また読書?」

「そう。食べ終わったらシンクに入れといてね」

「は~い」


 そうして食事を続ける姉さんをダイニングに残して俺は自室に戻った。西側の壁には天井まで届く本棚があり、それは既に7割ほど埋まっていた。『読書は数』というつもりはないが、こう、本棚が埋まっていくのを見るとなんだか達成感が感じられた。


「…………」


 本棚を眺めていると小森さんの本棚はどうなっているのか気になったが、それ以上は考えないようにした。理由は何となくだ。


 ともあれ、俺は読書をする準備をした。


 今、俺の読んでいるのは主人公ラスコーリニコフが自首するシーンだ。これから始まる一連のシーンこそ、この作品の核であり、俺は本腰をいれて読書に臨まねばならない。そのために読書の最大の友であるコーヒーを()れるのだ。そのためにキッチンへ向かうと姉さんが食器をシンクに入れて冷蔵庫に手を掛けたところだった。


「コーヒー淹れるけど、飲む?」

「いや、いらない」


 姉さんの好物は1にビール、2にエナドリ、3にコーヒーだ。3は1に勝てないものだ。


「ビールビールっと」


 姉さんはビールとコンビニで買ったであろう摘まみを手にダイニングへと向かっていった。俺はそれを尻目にコーヒー豆とミルとその他もろもろを引っ張りだし、ティファールでお湯を沸かしながら豆を挽いた。


 このゴリゴリとした感触が手と耳に心地よい。


 コーヒーは飲むものではない。()くものだと俺は思っている……とまあ、通っぽく思ってしまう自分の浅ましさに苦笑させられた。


「何ひとりで笑ってんのよ」

「明日はサワラの塩焼きにしようと思ってね」

「ちょっと! 朝からそんな嫌がらせしないでよね!」

「さあ、どうするかな」


 と、その時豆を挽き終わった。同時に湯も沸いた。ドリッパーにフィルターを載せ、そこに挽いた豆を入れる。少し湯を掛けて蒸らしてから『の』の字を描くようにゆっくりとお湯を注いでいく。すると芳しい香りが鼻腔をくすぐる。今日も上出来だ。一連の工程を経てついにコーヒーを淹れた俺は自室へと下がった。





 不朽の名作に触れ、大らかな気持ちで夜を過ごした俺は姉さんに朝食を出す。ベーコンエッグにトーストと、これまた定番のものだったが、姉さんは大喜びだった。


「よかった、サワラじゃない」

「魚が食べたくないなら俺の機嫌を損ねないことだね」

「なによ上から」

「いつだって厨房に立つ人間が強いものだよ」


 我ながら、なかなかの至言だ。






 俺には本以外に友達がいない。世間ではこういう人間を『陰キャ』とラッピングしたがるようだが、俺は充実感を感じている。だからそんなくだらない見栄に(こだわ)ることはしなかった。


「…………」


 横目で俺を見る、あるいは(にら)む同級生を無視して着席し、今日からのお供であるジョージ・オーウェルの『1984』を取り出し、読み出そうとしたその時、ふと隣を見たが、そこに小森さんの姿はまだ無かった。俺はそれを多少、残念に思った。


 人の少ない今なら少しは話ができただろうに……。

 

 それはともあれ、俺は読書を開始した。


 キンコンカンコン。


 予鈴を耳にふと顔を上げると担任の柏木先生がやって来た。それからちらりと隣を見るとそこにはいつの間にか小森さんの姿があった。彼女は周囲と目を合わせないためか、わずかに俯いていた。そんな彼女を横目に、俺は大した内容のないホームルームを終えた。


 一時限目は国語だということもあり、俺は心持ち強く望んだ。


 人に眠気を催させる魔法使いと名高い平田先生だが、俺が、そして小森さんが真剣に臨んでいることもあり、それなりのやる気を見せてくれていた。だがそれが災いしてしまった。平田先生は名簿を見ながら口にする。


「ええと、小森くんだったかな。君は読書家だと聞いている。ひょっとしたら私よりも詳しいのではないのかい?」


 それは先生なりのユーモアだったのだろうが、そのせいで彼女に視線が集まってしまった。そんな中で彼女は迷子の子供のように淡々とうわごとを繰り返している。先生が流してくれれば良いのだが、その辺り、先生はデリカシーが足りていなかった。だから俺は助け船を出すことにした。


「俺も読書好きなんで、きっと俺の方が詳しいはずですよ」


 俺がそう言った時、どっかの誰かが「イキってんじゃねえよ」と明らかに聞こえるように陰口をついた。すると教室全体に剣呑な空気が漂う。それは鈍感な平田先生も気付いたのだろう。いつもより僅かに大きな声で言う


「はは、本好きが2人もいるクラスなんて他にないよ。お陰で私もやる気十分だ。どれ、話を戻すとしようか」


 そうして俺から視線が散ると彼女は深いため息をついた。それから俺の方を見て、小さい声で「あ、ああ……」と言っている。きっとお礼を言ってくれてるのだろう。だから俺は微笑んで見せると彼女は顔を赤くして俯いた。


 一時限目が終わり、退屈な授業を凌いで放課後まで漕ぎ着けた。


 俺は本好きが高じて図書委員を任されており、今日が当番の日だった。やることと言っても本を整理したり、貸し出し記録を見て期限を過ぎている人をリスト化し、返却を催促するくらいだ。難しい仕事じゃない。


 俺は受付に人が来ないのを確認すると返却された本を戸棚にしまい込んでいた。するとガラリと引き戸を開ける音がした。本棚の影から首を伸ばすと小森さんの姿が見えた。


「……っ!」


 一瞬、目が合うがすぐに伏せられてしまう。


 だろうなと思いながら本を戻す作業を終えた俺はカウンターに戻り、貸し出しリストのチェックをしていると「貸し出しお願いします」と言われ顔を上げた。


 そこにいたのは下級生の女子で、よく本を借りに来る日吉さんだった(図書カードで名前を知った)。彼女は必ず3日以内には本を返しに来るのだ。これだけ聞けば読書家なんだなと誰もが思うだろう。俺もその一人だった。


 しかしあるとき、俺も読んだことのある本を返しに来た時に同好の士を見つけたと思って「どの場面が好きですか」と何気なく問い掛けたが、本編には全く存在しないシーンを口にしたことによって俺は落胆させられた。


 結局この人は俺のガワを目当てにしてやって来ているに過ぎないのだ。佐藤さんたちと同じだ。


 辟易(へきえき)しながらも対応すると彼女は雑談をしかけようとしたが、ここが図書室であるということを利用し振り払った。そうすると図書室内には俺と小森さんだけが取り残された。するとそこで俺はようやく気付いた。本棚の影から彼女が様子を窺っていることに。


 目が合うと彼女はサッと隠れたが、すぐに観念してやって来る。


「あ、あの……」

「なんですか」


 立場上、敬語で問い掛けると彼女は「あ、ええと、その……」視線を巡らせたが、俺は辛抱強く待った。そうして30秒くらい経った頃、彼女はようやく言葉を繰り出した。


「あ、さ、さっきはありがとう、ございます……」


 言葉尻(ことばじり)は霞んでほとんど聞こえなかったがともあれ、俺は言葉を返す。


「国語の時のこと?」

「そ、そうです」

「まさか、お礼を言いにわざわざ?」

「い、いや……本棚を見に来たらいた、から」


 そこまで言うと彼女はハッとした。


「あ、ええと、もののついでというつもりじゃ……」

「わかってるよ。転校してきたばかりの君が、俺が図書員だなんて知るはずもないもの」

「うう……機会があればと思ってたんです、けど。わたし、人が多いの、苦手で」

「俺もだよ」


 すると彼女は意外そうに胡桃色の目を見開く。


「だって俺、本以外に友達がいないんだよ。君と同じさ」


 そう言って微笑みかけると彼女は表情を弛緩(しかん)させた。


「『アンの青春』はどう? 俺、『赤毛のアン』しか読んでなくて」


 話を振ると彼女は頬を紅潮させて答える。


「はい! アンがハリソンさんの牛を自分ちのと勘違いして売っちゃって!」

「はは! 相変わらずおっちょこちょいなんだね」

「うんうん!」


 と、そこまで語って彼女は自分が喋りすぎたことに気付いてカーッと赤くなる。


「ご、ごめんなさい……」

「謝ることはないよ」

「周りで本の話できる人、いないから、つい……」

「俺もそうだよ。だからこうして小森さんと話せて楽しいよ」

「わ、わたしも……!」


 彼女の精一杯な意思表示に俺はふいに『可愛い』と思ってしまった。今にして思えば彼女は綺麗な茶髪をしていて、顔も小さく整っていて、小柄で愛らしかった――


「っ……!」


 俺としたことが、人のガワを気にするなんて……


「ど、どうかしましたか」

「……いいや、なんでも。それよりここの本棚は見た?」

「いえ、まだ……」

「『若草物語』とか『あしながおじさん』とか、小森さんの好きそうなものもあるよ?」

「あ、どっちもまだ読めてなかったやつです」

「そう。ならいつでも借りていってね」

「はい。あの、本棚見てきてもいいですか?」

「どうぞご自由に」

「じ、じゃあ、わたしはこれで」


 彼女は丁重に頭を下げると本棚の方へトコトコ掛けていった。転んで本棚の角に頭をぶつけたりしないか、俺は一瞬、心配したが、そんなことはなかった。

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