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読書家の俺が、作家を目指す彼女の“最初の読者”になった話  作者: 丘引みみず
第1章 織原くんと小森さん

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003 佐藤さんの想い

「…………」


 ぼんやりと小森さんの様子を見守る。彼女はまるでおもちゃコーナーにやって来た幼児のように目を輝かせていて、その緩急の激しい動作に俺の心は惑わされそうになるのを必死に(こら)えているとといつの間にか彼女がそこにいた。


「あの、これ、お願いします」


 その一言と共に差し出されたのは俺がおすすめした『若草物語』だった。


 素直な子だなと思いながら俺は「これでいいの?」と(すす)めた側として押しつけてしまっていないかと心配して問うた。


「あ、ええと、素敵な本いっぱいあったけど、織原くんのおすすめが1番読みたい、から」


 その言葉はまるで夏のそよ風に揺られる風鈴の音のように俺の心に響いた。


「そう……ならまずは初めての貸し出しだから図書カードを作らないと」


 言いながら俺はスマホくらいの大きさのカードを差し出した。


「ここに名前と日付、作品名を書くんだ。それからこっちで判子を押すから」

「うん」


 どうやら以前の学校で借り慣れているようで、彼女は手際よく記載し、俺に手渡してくる。それを受け取り、判を突くと手続き完了となった。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 そうしてやり取りが終わるとしばし沈黙が流れた。本を借りたのだから帰るか、そこの机で読んでいけば良いものだが、彼女はその場に留まっていた。


「ん? どうかしたの?」

「あの、織原くん」

「なに? そんな改まって」


 問いを重ねると彼女は視線を彷徨わせながら、絞り出すように言う。


「また来ても、良いですか?」


 その言葉に俺は凄く懐かしい、温かい感情が胸に込み上げてくる。これは……友達ができた時に感じた喜びだと、俺は気付かされる。自然と頬が緩む。


「もちろん。ここは学校の施設なんだから。それに、また小森さんと話がしたいから」


 ありのままの気持ちを打ち明けると彼女は頬を紅潮させ、大きく見開いた目を潤ませて力強く頷く。


「わ、わたしも織原くんともっとお話したい!」


 そうして見つめ合っているとガラリとドアが開き女生徒が入ってくる。それはまるで俺たちの聖域を踏み荒らされるかのようで不愉快だった。


 小森さんも同じ感覚を抱いたのか……いや、単に居たたまれなくなったようで「ま、またね」と図書室を出て行った。俺はそれを残念な思いで見送っていると「返却」と無愛想に女生徒が本をカウンターに放った。


 本を愛する俺にしては許しがたいことだが、立場上、努めて感情を押し殺した。その中で俺はようやく彼女が大谷さんだった。


「なに? アンタ、ああいうのが好みなの?」

「何の話?」

「小森さんのことよ。アンタ、涼花(すずか)を振っておきながらすぐ他の女と仲良くするんだから」


 涼花は佐藤さんの下の名前だ。


「小森さんとは単に気が合っただけだよ」


 俺は聞き流しながら図書カードを改めるが、大谷さんのものがなかった。


「探してもないわよ。アタシ、涼花の代わりに来たんだから」

「借りたものは自分で返すのが常識だと思うけど?」

「振られてすぐに来れるわけないじゃない! アンタ、ほんとに女心を知らないわね!」

「そんな勝手なものを押しつけられても困るよ」


 そう言うと彼女は頭に血が上ったようで、バンッとカウンターを叩いた。


「アンタね……ほんっと! 最低!」


 女性が語彙(ごい)が尽きたときに発するその言葉は実に稚拙なもので、俺は彼女の狭量さに呆れ果てた。


「……俺を嫌うのは良いけど、だからって小森さんに八つ当たりしないでよね?」

「しないわよ」

「机を叩いて恫喝(どうかつ)する人ならやるさ」


 ここまで嫌みを言ってやれば本当に八つ当たりは出来ないだろう。とはいえ、彼女らの間に友情が芽生えなくなったのは明白だった。俺はこの判断が正しいものであるのか測りかねたが、言ってしまったのだから仕方ない。


「…………」


 無言で睨み合って数秒、俺は佐藤さんの図書カードの返却済みの欄に判を捺した。すると大谷さんは嫌みったらしく鼻を鳴らして「精々、小森さんとくらいは仲良くすることね」と言い残して引き戸を乱暴に閉めて図書室を出て行った。


 そうして訪れた静寂の中、俺は数秒に渡って佐藤さんの気持ちを考えたが、俺にはどうも、他のガワだけを見ている連中と同じにしか思えなかった。小森さんと違って、彼女は俺との接点がないのだから。


 反動で半端に開いた引き戸を閉めると俺は大谷さんの置いていった本を手に取った。


「…………」


 俺は言葉を失った。この本のタイトルは『罪と罰』だったからだ。


「そういえば……」


 この学校の国語の授業では冒頭で5分間スピーチがある。


 先月の(4月、つまり最初の)お題は確か『おすすめの小説を紹介する』というものだった。そこで俺は『罪と罰』を紹介した。佐藤さんはそれで俺に話を合わせられるように本作を読んだのではないのだろうか。


 それに確か、佐藤さんはそれ以前に『私、小説は読まないんで漫画を紹介しま~す!』と言っていたはず……


 俺はこの手にある本と向き合う。


「……行かなきゃ」


 俺は図書委員の務めを放棄して廊下に飛び出した。延々と続くかのように長い一本道の廊下には大谷さんの背中が小さく見えた。そしてそこにもう1人の影が加わると俺は一層強く床を蹴った。


「大谷さん!」


 すると2つの影はピタリと動きを止めて振り返った。


 大谷さんと合流したのはやはり佐藤さんだった。佐藤さんは俺を見るなり俯いたが、その一方で大谷さんは蛇蝎(だかつ)を見るが如き目つきで俺を睨んだ。


「なに? アタシ、いまさらアンタに用なんてないのよ――」

「俺が悪かった!」


 大谷さんの言葉を打ち消して詫びると長い沈黙が訪れた。その中で俺はこの手にある本をギュッと握り絞め、2人に深く頭を下げていた。そうして数秒が経った後、「な、何を今更……」と言った。


「ちょっと京子! とりあえず頭を上げて、織原くん」


 その言葉を受けて尚俺の頭は重石を載せたかのように重く、上げるのに苦労した。そうして頭を上げた俺の目には心配と気まずさとを()い交ぜにしたような表情をした佐藤さんが映る。


「悪かったって、どういうこと?」

「……これ」


 俺は今し方大谷さんが返却してきた『罪と罰』を彼女に差し出した。


 すると彼女は目の色が僅かに変わった。俺はその僅かな変化を受け止め、自らの推察が正しかったのだと悟った。同時に俺は彼女に酷いことをしてしまっていたのだと思い知らされる。


「確か佐藤さん、漫画しか読まないって。それなのにこれを手に取ったのは、俺を理解しようとしてくれたんでしょ」

「それは……」


 彼女が口ごもるとその隣で落ち着いた様子の大谷さんが口を挟む。


「そうよ! 涼花はアンタを知るためにこの訳のわからない本を読んだのよ! 一ヶ月も掛けて!」


 普段漫画しか読まない人間が小説を読むのは、例えライトノベルだとしても苦しい作業となるだろう。それを文学、ましてや難解なロシア文学を読むんだ。その苦労は相当なものだろう。


 だからこの本には、彼女の、俺に対する思いが込められていたのだ。


 それが無為に終わってしまい、自分の手で返しに来れなくなった彼女は幼なじみであり、1番の理解者である大谷さんに預けたのだ。そんな尊い思いを俺は、『借りたものは自分で返すのが常識だと思うけど?』などと無下にしたんだ。


 大谷さんがあれだけ怒るのは無理もない。いや、むしろ当然のことだ。


「良いのよ京子。もう、終わったことなんだから……」


 そう口にした時、佐藤さんの目からは涙が1粒、ぽたりと落ちた。そうして再び沈黙が蘇るかに思われたが、彼女の消え入りそうな声がそれを払った。


「私はバカだし、織原くんのこともよく知らないけど……それでも、好きになっちゃったの。ねえ、もう1度だけ聞かせて。こんな私と付き合って、くれる……?」

「佐藤さん……」


 彼女の言葉に俺の脳裏に苦い記憶が湧き起こりそうになり、それを振り払うように首を横に振った。


「ごめん。前にも言ったけど、俺は恋愛に興味が無い……いや、()()()()()なんだ」

「……そう。やっぱり、ダメなんだね」


 彼女がハンカチで目元を拭うと大谷さんが彼女の名を呼びながら肩を抱いた。そこには今まで見たことのない優しさがあった。


 温かい沈黙が場を支配する中、佐藤さんは鼻を啜り上げて、真っ赤になった目を細めて健気な笑みを浮かべた。


「振られちゃったのは残念だけど、私の想いがちゃんと伝わってて嬉しい。ありがとう、織原くん」

「佐藤さん……俺1人じゃ、気づけなかった」


 俺はそこまで言うと今なお友を抱き続ける大谷さんへ目線を向けた。


「大谷さんが気付かせてくれたんだ」


 すると大谷さんがばつが悪そうに答える。


「でも気付いたのはアンタよ」


 そこまで言うと大谷さんは佐藤さんの手を取って階段を下り始めた。踊り場に差し込む夕焼けに照らし出された2人へ向け、俺は精一杯の言葉を贈った。


「俺は恋愛は嫌いだけど、佐藤さんのことは嫌いじゃないから」


 すると2人は脚を止め俺へと向き直る。


 そうして露わになった佐藤さんの顔は雨上がりの花のように煌めいて見えた。

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