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読書家の俺が、作家を目指す彼女の“最初の読者”になった話  作者: 丘引みみず
第1章 織原くんと小森さん

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10/12

010 素晴らしき今日に

「ただいま~」


 姉さんの声に俺は読書をやめ、出迎えに向かう。


「お帰り。今日も遅いね」

「ほんと。残業代だけで来月も過ごせそうだわ。それより、晩ご飯はなに?」

「唐揚げ」

「マジ?」


 サイコロステーキに並ぶ大好物の名に姉さんは目を輝かせた。


「マジ。今から揚げるから姉さんは早く風呂に入っちゃって」

「やった! 揚げたて! これはビールが捗るわ~!」


 そんなことを言いながら姉さんは荷物を置きに自室へと入っていった。それを見送ると俺は夕食の支度に取り掛かることにした。





 からからと揚げる音が響く中、姉さんは風呂を上がってきた。弟とはいえ一応異性がいるにも関わらず姉さんはキャミソールにショートパンツといったラフな格好でいた。キッチンにやって来るなり唐揚げの山に歓声を上げ、頂点にあったそれをつまみ食いした。


「はふはふ!」

「そんな子供みたいな真似しないの」


 呆れて言うと、姉さんはどうにか唐揚げを飲み込み即座に冷蔵庫を開放。缶ビールを引っ張り出す。プシュッと響いたのも束の間、姉さんはごくごくとビールを流し込む。


「ぷはあ~! くう~!」

「そういうのは席に着いてからにしてよ」


 と、最後の一個が揚げ上がった。


 俺はそれを食卓へ運ぶと姉さんがまたつまみ食いを始めないうちにサラダとご飯とを配膳し、夕食を始める。


「いただきます」

「いっただっきま~す!」


 そう言うと姉さんは箸の一本一本を2つの唐揚げに突き刺して口内に放り込み、リスみたいな顔をして咀嚼し、(わず)か2口目にして缶ビールを空けた。


「はあ……紬の作る唐揚げはニンニクがガツンと来るから良いわね!」


 そう言って燥ぐ姉さんに「ひとり6個までだからね」と告げると途端に凍り付いた。そして瞬間解凍。


「そういうのは先に言いなさいよ!」


 たく……と呟きながら席を立ち、新しいビールを持ってくると一口飲んでから問うてくる。


「何か良いことでもあったの?」


 その問い掛けに俺は胸の内で燃え(たぎ)っていた情熱を抑えられなくなった。


「良いことなんてもんじゃないよ!」


 急に大声を出したものだから姉さんは瞠目して、その顔のままご飯を一口食べた。


「前に小森さんの話したでしょ?」

「ああ、転校生の」

「そう! それで、小森さんのお父さんは小説家で、しかもあの本居貢太郎なんだよ!」

「本居貢太郎って、紬の好きな作家じゃない」


俺は本居貢太郎先生の作品は全て読破してるし、代表作であり最高傑作と呼び声の高い『灼熱』に至っては手垢に塗れるほど繰り返し読んできた。それくらいに俺は先生の作品が好きだった。姉さんが『最近何読んでんの?』と何となしに問うてきたとき『灼熱』と答えたのも決して一度きりではない。


「でもほんとなの? そんな都合の良いことある?』

「嘘だと思ってるの?」

眉唾物(まゆつばもの)ね」


 忌憚(きたん)のない意見に俺はムッとなった。


「小森さんが嘘つくわけないよ!」

「……信用してるのね。その子のこと」

「友達だから」


 そう答えると姉さんは頬を緩めて問いを重ねる。


「それで? 良いことはそれでおしまい?」

「いやいや、ここからが本題だよ! なんと先生の家にお邪魔することになったんだよ! しかも明後日!」

「それは随分急ね。ご迷惑にならない?」

「先生は基本、自宅にいるみたいだし。それに何より! 先生の方が俺に会いたがってくれてるんだよ!」

「それは光栄なことね」

「うん。小森さんにそう聞かされた時、天にも昇る心地がしたよ!」


 俺は興奮を収めようと夕食に手を付ける。我ながら良くできてる。醤油とニンニクを纏った揚げ鶏の旨味を受け止めるように白米を描き込んでいると姉さんは真面目な顔をして言う。


「喜ぶのは良いけど、失礼のないようにね」


 その言葉には先ほどまでとは打って変わって、保護者らしい躾けるような響きがあって、俺に冷静さを取り戻させた。


「うん。わかってるよ」

「そう、なら良いわ」


 そう言って姉さんは唐揚げに箸を伸ばす。


「ところでそれ、何個目?」

「……7個目」

「あのねえ……」


 俺はため息をつきつつも姉さんに唐揚げを分けてやった。呆れながらも、こんな暴飲暴食をしてよく体型を維持できているものだと感心させられるのだった。





 夕食を終えた今、いつもであれば読書をしている頃合いだが、今日は違った。


「…………」


 俺はスマートフォンで先生の画像を見ていた。それは2年前、4度目の『読者大賞』を受賞された時の写真だ。


 体格の良く、背広を纏っていて、大きく彫りの深い顔には顎から頬に掛けてヒゲを生やしている。実に威厳に満ちた出で立ちをしているが、その大らかな笑顔には心根の明るさが隠せないでいた。

……明後日、俺はこの人に会うんだ。


 そう思うとうずうずと胸が沸き立っていく。さながら遠足を前日に控えた小学生のようで大人げないが、この感情は極めて抑え難いものだった。


 俺は思い余って勢いよく立ち上がると本棚の前に立ち、眺める。


 天井まである本棚の最上段には本居先生の作品が刊行順に並べられている。約4年前、転校するに際して数百冊の本を実家に置いてきたが、先生の本だけは全部持ち込んできたのだ。


「…………」


『灼熱』を手に取ると俺はその表紙を眺める。真っ暗な背景の中、炎が燃えさかる様を映したシンプルな装丁だが、それだけに威厳が感じられた。ページをパラパラとめくるとその内容がすぐさま脳裏に蘇り、情景へと変換される。


 この本は大学を舞台に大企業の社長令嬢と苦学生が出会うところから始まり、大恋愛をへて駆け落ちするまでを情熱的な筆致で綴った作品だ。ジャンルで言えば恋愛小説になる。


 恋愛を嫌悪する俺は当然、恋愛小説なんて好き好んで読まないが、この作品だけは例外だ。


 先生の実体験をもとに書かれたという本作は個人の好悪(こうお)を超越して没頭させるだけの訴求力(そきゅうりょく)があるのだ。こんな文章を書ける先生は表現力だけではなく、感受性も人並み以上に豊かなのは想像に容易い。


 繊細さと言い換えられるそれに、俺はふと、先生のご令嬢である小森さんのことを思い浮かべた。


 日頃の振る舞いから、先生の繊細さは小森さんに引き継がれていることは確かで、そんな彼女が文章を綴るのであればきっと内情的なものになるだろう。


 小森さんのことを考えていると、俺は明後日、憧れの先生のお宅へお邪魔するだけでなく、友達の家に行くのだということに今更思い至った。数年ぶりの体験に俺の興奮は二乗された。


 どうやら今日は眠れなさそうだが、幸いにして明日は土曜日、休日だった。


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