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読書家の俺が、作家を目指す彼女の“最初の読者”になった話  作者: 丘引みみず
第1章 織原くんと小森さん

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11/11

011 大作家との出会い

 丁寧にアイロンを掛けた制服を纏い、コロコロで丹念にホコリを取る。それから洗面所に立ち、髪型をチェックしていく。そうしていると休日を家でダラダラ過ごしていた姉さんが寝癖そのまま、寝間着そのままの格好でやって来る。


「なに? 友達の家行くだけなのに制服なの?」

「先生に会うんだから当然だよ。それより姉さんこそ、着替えたらどうなの?」

「今日は家でダラダラするだけなんだから着替える必要なんてないわ」

「それでもメリハリってものがあるでしょ」

「休日は安楽するためにあるのよ」

「まったく……」


 だらしない姉さんに呆れていると、洗濯機の上に置いていたスマホが目覚ましと同じ嫌なメロディを発する。もう時間だ。


「行かなきゃ」


 俺はアラームを切るとブレザーのポケットにスマホを押し込んで鞄を引っ掴み、姉さんの脇をすり抜け、玄関へと向かう。


「行くの?」

「ああ。10時に待ち合わせだから」

「まだ9時20分よ?」


 家から駅前までは徒歩10分ほどだ。30分は待つことになるだろう。しかし、そうでなければならないのだ。


「間違っても先生を待たせるワケにはいかないからね」

「徹底してるのね。まあ、今日は楽しんできなさい」

「そうするよ。それじゃ、行ってきます」

「行ってら~」


 姉さんに見送られて玄関の外に出ると初夏の兆しを感じさせる温かい風が頬を撫でた。何となしに外廊下の欄干(らんかん)に手を突いて外を見やるとちぎれ雲一つ無い澄み切った青空が広がっていた。今日に相応しい、良い天気だ。





待つこと20分と少し、駅前のロータリーにTOYOTAのクラウンがやって来る。それは俺の前で停車し、助手席のドアが開き、小森さんが現れる。


「こんにちは、織原くん。あれ? 制服なの?」


 そう問い掛けてくる彼女は(ひだ)のついたブラウスにフレアスカートと言うラフでありながら令嬢らしい気品あふれる装いをしていた。


「こんにちは、小森さん。先生に会うんだからね。私服でなんて来れないよ」


 するとクラウンの向こうから低音の聞いた笑い声が響いてくる。その声に俺はビクリと背筋を伸ばしてそちらを見やるとヒゲを蓄えた壮齢の男性が姿を見せる。


「ははは! そんな畏まることはないんだぞ?」


 大きな顔に彫りの深い顔立ち。顎先から頬にかけて生えたヒゲ。それは昨日、スマートフォンで眺めたそれと全く違わなかった。本物の本居貢太郎だ。


「あ、ああ……!」


 興奮で言葉を紡げないでいると小森さんが彼を紹介する。


「紹介します。本居貢太郎(もとおりこうたろう)こと小森鋼太郎(こもりこうたろう)、わたしの父です」

「初めまして。君が織原くんかな?」

「……あ、はい! 織原紬です!」


 上擦った声を出してしまうと先生は笑って右手を差し伸べてくる。それに対し俺は慌ててハンカチを取り出し、手汗を拭うと握り返した。その手は大きく、皮が厚かった。この手で、この指で執筆をしているのだと思うと俺の興奮は一層のものとなった。


「娘が世話になっているね」

「こ、こちらこそ! 小森さんが転校してきてから、毎日が楽しいです!」


 そう言うと先生は満足そうな笑みを浮かべ、その隣では小森さんが気恥ずかしそうにしていた。そんな娘を気遣ってか、クラウンを手で示して頷く。


「立ち話もなんだし、早速我が家へ招待しよう。さ、織原くん」


 先生は手ずから後部座席をドアを開けると俺に乗り込むよう促した。俺は恐れ多く思いながらもクラウンに乗り込んだ。新車の匂いと微かにタバコの匂いが籠もった車内に踏み込むと俺はそっと座席に腰掛けた。


「わ!」


 包み込まれるかのような優れたる座り心地に思わず声が出てしまう。どうやらそれは先生の耳にも届いていたようで、愛車を誇らしく思う気持ちが在り在りと感じ取れる声で「閉めるよ」と言ってその通りにした。


「こんな凄い車で通学してるなんて、小森さん凄いね!」


 助手席にではなく俺の隣の席に座った小森さんに呼び掛けると、彼女ははにかんで「すごいのはお父さんですよ」という。


「文章を書くことでこんな車買えちゃうんですから」


 その言葉には父への尊敬とは別の何かが内在しているように感じられた。不思議に思っていると先生が運転席に座り、シートベルトを締める。


「さ、出発するよ」


 その言葉に俺は慌ててシートベルトを締めようとしたが、上手くいかなかった。


「慌てなくて良いですよ」


 小森さんの言葉に(なだ)められてようやく装着すると、バックミラー越しに俺を見ていた先生が笑ってパーキングブレーキを解除して「さあ出発だ!」と、まるでこれから旅行に出るかのような明るい調子で言った。


 その声に俺は心を高ぶらせていると車は動き出した。先生の運転が上手いのか、この車の性能がいいのか、あるいはその両方か。体に掛かる負荷がまるで感じられなかった。一日ここに座っていても疲れなさそうだ。


 感動しているとバックミラー越しに先生と目が合った。


「急な話で申し訳ないね。君の予定を潰してなければいいのだが」

「あ、休日はいつも家にいますので、全然大丈夫です!」

「はは! そうかい。君は読書家だと聞いてるが、いつも本を読んでいるのかい?」

「はい。昨日は『灼熱』と『海辺のルルカ』を再読しました」

「それは光栄だね。私は時折、自著を読み返すが、稚拙(ちせつ)に思えて痛ましい限りだよ」

「稚拙だなんてそんな!」


 俺が声を上げると「書いた時は凄く良いって思えるけど、あとで読み返すといろいろ(あら)が見えてくるんですよ」と言う。


「そうなんだ。……ん? 小森さんも小説を書くの?」


 問い掛けると小森さんはビクリと跳ね上がって「――って、前にお父さんが言ってました!」と慌ただしく付け加えた。それを(いぶか)しく思っていると先生が声を上げた。


「さ、もうそろそろ着くよ」


 いつの間にかクラウンは都心に近い高級住宅街に差し掛かっていた。先生の功績とクラウンに乗ってる事実にそんな予感はしてたが、やはりお金持ちみたいだ。随分と縁遠い世界にやって来てしまったと感慨に浸ってるうち、車は右折した。


「あれが我が家だよ」


 先生が指し示したのはダークグレーの寄棟屋根にガラスの胸壁のバルコニーが目を引く現代的な邸宅だった。それを見て俺はため息をつくより他になかった。驚嘆しているうちにクラウンはバックでピロティに入り、慣性を感じさせないほどにゆっくりと停車した。


「到着だ」


 サンバイザーをフロントに張り付けながら先生が言うと先生が言うと小森さんがドアに手を掛けた。それを見て俺も恐る恐るドアノブを手にして外側へ押し開く。そうして小森邸に降り立つと俺はさながら、不思議の国に迷い込んだアリスのような心地になった。


「すうう……はあ…………」


 深呼吸で気持ちを落ち着かせていると小森さんが隣へやって来る。


「さ、こっちですよ」


 彼女に導かれてポーチへ向かうとその小さな手がドアノブを引っ張るのを眺めつつ、俺はこの邸宅への期待と緊張を膨らませていった。


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